01
世界平和監視機構コンパスは人手不足だ。
コンパス。それはオーブ連合首長国、プラント、大西洋連邦が共同創設した新興組織。
人も技術も価値観も、三国入り混じり状態の不安定なこの組織では、思想理念に偏りがないことや差別意識を持っていないことが大前提として求められる。
しかし、ナチュラルとコーディネイターは少し前まで殲滅戦争をしていた者同士。そう簡単に気持ちを切り替えられる人間ばかりではないのが現実であり、オーブはともかく、プラントと大西洋連邦からコンパスに志願してくる者は極めて少ない。
故にコンパスは常に人手不足であり、その解決が目下の課題であった。
とりわけ早急な対応を求められているのはミレニアムだ。
元ミネルバクルーを大勢引き抜いたことで最低限の人数は確保できているものの、この巨大な戦艦を円滑に運用するにはまだまだ足りない。どうにか回せているのもミネルバがエリート集団で構成されていたということと、そんな彼らが幸か不幸か先の大戦で十分すぎるほどに実践経験を積んでいたからである。
要はこの艦の運営は各人の能力に頼り切りだった。
「せめて自転車操業はやめたいところだが……」
レクリエーションルームのソファになだれ落ちるように腰掛けるコノエがぼやいた。その正面に座りココア缶をちびちび飲み進めていたアーサーと、アームレストに肘をついてタブレットを弄っていたアルバートが振り向く。
「まぁ、艦橋要員、医療班、整備班、開発班どこもギリギリでやっていますからね……いや、技術開発班は足りてるか」
「いえ、全くもって足りていませんよ。今いるのはまるで役にたたないんですから」
ここ最近で人を増やせと言ってきた部門を指折り数えるアーサーにアルバートが無慈悲な言葉を返した。
ミレニアムの開発班は決して無能ではないが、アルバートからすれば誰だって頭の回転が遅い愚図という評価になってしまう。そもそも彼が認めている者がキラくらいという時点で求めるレベルが高すぎるのだ。残念だが今後もそうそう彼のお眼鏡にかなう人材がやって来ることはないだろう。
「まぁ開発班はさておき、艦橋要員と医療班はあと一人二人補充できれば交代もしやすくなりそうですね」
「それはそうだが、これ以上ザフトから引き抜くのは難しい。この間も本部に呼び出された際にジャガンナートから散々嫌味を言われた」
「艦長は嫌味など気にされないでしょう」
「私が気にしなくても、今後のコンパスとザフトの関係を考えるならあまり無理強いはできないだろう」
やはりもうしばらくこの課題とは付き合っていくことになりそうだ。そうコノエが諦めの思考に入った時、何か考え込む様子を見せたアーサーがそろりと挙手した。
「どうした?」
「コンパスは一般人も志願できましたよね? それならちょうど良い機会ですし、紹介したい人がいて」
「聞かせてもらえるかい」
アーサーが頷きプレゼンを開始する。
曰く、女性で28歳。医薬研究者であると同時に医師でもあり、フィブラリウス市に自身の研究室兼診療所を持っている。最近はナチュラルに向けた副作用の少ない薬の開発をしており、当然のことながらナチュラルへの差別意識もないとのことだ。
この時点で十分に要領が良く優秀であり、人格的にも文句無しの人物であることが理解できる。
「最近は義肢の開発もしているようで、理工学にも精通しているみたいです。空間把握能力や情報処理能力、瞬間判断力も相当高いですし、艦橋要員としての適性もあるかと」
今ミレニアムが欲している全てを持っているだと……? 思わずコノエは瞠目した。
本当にそんな万能の代名詞のような人間がいるのだろうか。そう思いつつも、アーサーの発した様々なキーワードから連想される人物には一人だけ心当たりがあった。
ただ、その人物はとにもかくにも盲亀浮木で、顔を知る者はザフト高官や評議会議員でもほぼいないことで有名だ。まさかな、とコノエは脳裏に浮かんだ名前を口にする。
「それは……フォーサイスのお嬢さんだったりしないね?」
「僕も今の話に当てはまる人物はフィオナ嬢くらいしか思いあたりませんでしたがそれはあり得ないでしょう。副長が彼女にコネクションを持っているとは思えません」
コノエに続いたアルバートが首を振る。
しかし、「えぇ〜!」といつもの大袈裟な驚きとともに返された言葉は、彼らが挙げた名前を肯定するものだった
「お二人ともよくわかりましたね!」
「え、嘘だろう?」
「は? あなた彼女と接点があるんですか?」
「いや、なかったら紹介できないじゃないですか。それよりお二人ともフィオナのことご存知だったんですね〜」
そんな呑気な声にアルバートは不愉快そうに眉間よせると、スゥっと短く息を吸い込んだ。
「フォーサイス製薬の一人娘で彼女自身も十代の頃から医薬研究をされています。通常、新薬の開発には約15年の年月の要しその成功率もわずか25000分の1と言われていますが、フィオナ嬢はここ数年で3つの新薬開発に成功し新たな化学物質の発見までしている。他にも彼女が執筆した論文で他の分野の研究が進んだ話を聞くような医薬学界に多大なる影響を与えている才女です。数年前からは薬や手術ではどうにもできない肢体欠損した患者のために義肢の開発も始めています。医薬学に明るくなくとも余程の馬鹿ではない限りフィオナ・フォーサイスの名を知らない者などいませんよ」
いつにも増して早口でまくし立てるアルバートに、コノエが訝しげな視線を投げた。
「随分と興味を持っているんだな。いくら優秀な研究者とはいえお前とは畑違いだろうに」
「かつて存在した世界保健機関は健康を『身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことを指すのではない』と定義づけていました。フィオナ嬢はコーディネイター・ナチュラルの区別なく、全ての人間が正しい意味で健康であることを目指して医学発展はもちろん医薬研究外への取り組みを積極的に行っている方です。尊敬の念を抱くのは当然のことですよ」
「本音は?」
「…………義肢の可動設計があまりに素晴らしかったものでMS開発時の参考のために一度話をしてみたく」
そんなことだろうと思ったよ、とコノエは肩を竦めて呆れ半分に笑った。
「それにしてもアーサー、君はどういった経緯で彼女と知り合いに?」
「幼年学校の頃からの友人なんです。今も休暇中には必ず会うくらいに仲良くしてますよ」
「なるほど、ザフト内に伝手のある者がいるという話を聞いたことがあるが君だったとはね。だが、彼女が頑なに表に出てこない理由を君は知っているんだろう? なら、なぜ私たちに紹介なんてした?」
フィオナ・フォーサイスが秘匿性の塊であることはプラントではもはや常識だった。しかし、そのような状態に至った理由を知るのは彼女と繋がりのある一部の者だけである。
古い友人であるアーサーは当然その理由を知っている。ならば、なぜこのタイミングで大勢の前に引きずり出すようなことをしようとしているのか。コノエは当然の疑問を投げかけた。
「そうですねぇ。彼女、いま絶賛スランプ中なんです」
「それで?」
「それだけです」
答えにならない理由を口にしたアーサーはハの字眉で笑っている。
スランプというのが文字通りに研究に行き詰まっているということならば、フィオナがミレニアムに乗艦するメリットは皆無だ。ミレニアムは最新鋭の戦艦とはいえ研究設備が整っているわけではないし、当然ながら彼女に助言ができる人物が乗っているわけでもないのだから。
つまり、彼女が何かしらの事情を抱えていることは確実で、アーサーもそれを隠すつもりもないようだった。
しかし、コノエにはアーサー・トラインという男がミレニアムないしコンパスに不利益をもたらす行いをするはずがないという信頼があった。
隠し事をしているあからさまな態度は、却ってフィオナに何か事情があることを事後発覚にさせたくないという誠実さの表れにも思える。
「(まぁ不安要素はあるが、内部崩壊を促すようなものではないのだろうな)」
そこまでの瑕疵があるならそもそも紹介もしないだろう。
それはさておき、コノエには二つ返事で頷けない点があった。
「命に価値をつける訳ではないが、彼女はとりわけて替えがきかない人だ。そんな人をいつ何が起こるかわからない環境に置くのは許可しかねる」
「待ってください艦長。それは今さらではないですか?」
珍しく静かに傍観していたアルバートが口を挟んだ。
「私がいる時点でその理由は通用しないと思いますが」
そうなのだ。フィオナ・フォーサイスをその卓越した頭脳と医薬学界への貢献度で替えのきかない人間と評するのであれば、同じ理論がアルバート・ハインラインにも適応される。
ミレニアムが堕ちアルバートを失うことになったなら、それこそプラントの技術発展が大いに滞ることになるのは言うまでもない。
「そもそもお前は私の知らないところで総裁に直談判して勝手に乗艦したんだろう」
「ははは」
「笑い事ではないが」
「まぁ、ですが艦長。私が造り、あなたが指揮する艦が堕ちると思いますか? 否、ありえません。ですからフィオナ嬢が望むならば、彼女を乗せない理由はない。そうでしょう?」
「…………はぁ〜」
アルバートの言葉を聞きながらニコニコと笑うアーサーを視界の端に捉えたコノエは深い溜息をついた。
アーサーはふと思い出したかのように紹介したい人がいると話を切り出したが、場にアルバートがいるタイミングを見計らっていたのだろう(艦橋を除き、アルバートはアーサーがいる空間を避けがちだ)。
コノエが渋るであろうこと、普段は自分の肩を持つことはしないアルバートがフィオナに興味を持ち援護射撃してくれるであろうこと、何だかんだ言いつつコノエはアルバートに甘いこと、すべてアーサーの予想通りであった。
シンやヴィーノといった若者達には見くびられがちなアーサーではあるが、なかなかどうして侮れない男だ。コノエは「仕方ないな」と笑った。
「わかった、わかった。総裁に上申するよ」
「ありがとうございます!」
アルバートがラクスにどんな自己プレゼンを行ったかは定かではないが、前例がある以上、少なくともフィオナを前線に出したくないことを理由に乗艦許可が下りないことはないだろう。彼女の能力を考えると、相当な理由がない限り乗艦が決定しているようなものだ。
さて、個室に空きはあったか。簡易でも研究スペースを用意すべきか。クルーにはどう説明しようか。コノエは少し先の未来に備えて対応を思考するのであった。