柴大寿の悪夢𝐈𝐈
あの人が居てくれたおかげで孤独じゃなかったオレの心は、遅れて理解が追いついた母親の喪失感とあの人と二度と逢えない絶望感で押しつぶされそうだった。
母親が死んだということを1番理解できなかったのは八戒でも柚葉でもなくオレだった。
オレは、最後の挨拶もなにもなく呆気なく死んでしまった母親が、"死んだ"ということを分かっていなかったようだ。
心のどこかで、オレがいい子にして頑張れば退院して、帰ってきてくれると思っていた。そんなことと病気は無関係なのに、そう思っていた。
ドラマや映画で酸素マスクが外されて最後の遺言を告げて死ぬあのシチュエーションは現実世界ではほぼ起こらない。
人間が病気で死ぬ時は周りの医者や看護師がバタバタ忙しなく動き続け新しいチューブを幾つも繋ぎ足し、オレたちには分からない機械のモニターと音をどうにか正常に回復させるために足掻くのだ。
きっと親父も受け入れたくなかったんだろう、アイツは最期も病室に姿を現さなかった。
オレたちはガキだったから、白い服を着た知らない大人達が必死な顔で母親が居るであろうベッドの周りを動いているのを遠巻きに、大人しく見ることしかできなかった。
母親にサヨナラを言ってもらえなかったオレは、その場で"別れ"を理解できなかったらしい。
葬式で寂しさより責任感が先に押し寄せたのもそうだ、意味がわかっていなかったからだった。もう二度と、顔も見れないし声も聞けないし、あの手がオレを撫でることもない状況を受け入れられなかった。
電車に乗るあの人を見送ったことでやっとオレは、オレを甘やかしてくれた愛する人達にサヨナラを告げなければいけない現実が見えた。
今のオレは独りぼっちで、なに1つ思い通りにできない。毎日毎日、やるせなさがうなじから肩を通って両腕を伝って指先から滴り落ちていく、そんな感覚だった。
まともに向き合ったら潰れそうで、オレの心の拠り所になるものはもう主しか残っていなかった。
──大寿は強い子だねぇ。いいこ、…いいこ
……そうか、オレは強いから主は試練を与えるのか、
──柚葉と八戒の面倒を見てあげてね、お兄ちゃん
乗り越えなければいけない、一人で。
オレは寂しさに蓋をした。
そうして月日が過ぎ、あの人がオレの前から消えてから2年と少し経った。
小5になったオレは、学校の宿泊合宿帰りの普段使わない駅で、ストリートピアノを弾くあの人を見つけ出した。
「っっ?!! オイ!!!!」
「っ、………………」
久々に見たあの人は知らない間にオレの手では届かないほど綺麗な大人の人になっていた。でもあの人だって分かった。
ほらな、どれだけ変わってもアンタだって気がついた。
そんなことを思って顔を覗き込んだら、あの人はなぜか一瞬バツの悪そうな顔をして、すぐにオレに向かって「誰?」なんて言いやがった。
ビックリして思わず強い力を込めて腕を握りしめてしまい、あの人が顔を歪めたその後ろから声が聞こえた。
「パイセン、迎えに来たぜ?……ぁん?誰そのチビ」
セーラー服のスカートの下にグレーのスエット、上には同じくグレーのパーカーを羽織フードを被ったガラの悪い女が出てきた。
「知らない子よ?………行こうはぁちゃん」
「……へぇ?そうだな」
品定めするかのようにオレを見下ろしたその女は、オレに背を向けたあの人と腕を組んで夜の都会へ消えてった。
わけがわからなくなって、初めて拒絶されて、その場で俯いて立ちすくんでいたオレの頭上からさっきの女の声が降ってきた。
「おいガキ、オマエパイセンの知り合いか」
聞くような言い回しで、でも疑問形ではなかった。
バッと顔を上げたオレを見て不敵に笑ったその女に連れられ、オレはあの人をもう一度見つけた場所をあとにした。
ガラの悪い格好をした割に、店に入ってからは行儀のいいその女は、ファミレスのソファ席に座って全て見透かしているようにこう言った。
「オマエは、あの人が今何をしていても変わらねェ態度で付き合い続けられるか」
射抜くような目だった。
「もう、オマエが知ってるあの人は残ってないかも知れねェぞ」
声色に感情は乗っていなかった、ただ淡々と、事実を並べられる。
「それでもオマエは、あの人を離したくないか」
オレは間髪入れずに首を縦に振った。
丁度よく届いたハンバーグを前に並べて、ナイフとフォークを渡しながら女はこう言った。
「気張れよガキ、これはアタシからの投資だと思え。………仕方ねェからストロベリーフロートも食っていいぞ」
「別に要らねぇよ」
この女は羽宮というらしい。
あの人は、どうやらこの女とつるんで不良女の如く遊び回り、しかも家に帰っていないらしい。
メシを食べながら色々聞いた。あの人が今どこに住んでいて、どういう生活をしているのか。
年上の男をつくって金を手に入れていることも、その男たちのこと全員本気で好きじゃないことも、自分からは頑なに過去の話をしないことも、目の前の女は全てをオレに話した。
「テメェあの人にカラダ売らせて自分だけオレとメシ食ってんのか!?ァア"!?止めろ!!あの人はそんなことしていい人じゃねぇ!!あの人をオマエみたいなやつに巻き込むな!!」
「アタシがパイセンと出会ったのは学校。立ち入り禁止の第2音楽室ピッキングで開けてサボろうと思ってたらなんか知らねーけど開いてて、変なウワサたってるあの人がぶっ壊れて使えねェピアノの椅子に座ってた。右手でカッター握って左手何回もブッ刺してた。」
「っ!?」
「別にアタシが進んで危ない色恋させてるわけじゃない。止めてもいいぞ?…止めたらあの地獄に戻るだけだナ。援交でも疑似恋愛でもなんでも、将来のために金稼ぐほうがよっぽど健全だろーが。」
「自分だけ、送迎程度で金分けてもらってるクズは言うことが違ぇなドブ女。オマエが送迎なんてやめちまえばあの人はそんな場所に行かない…!!自傷行為もオレが止める!!!」
「知らねーやつ扱いされてるガキがほざくことじゃねェよ。……あと、送迎やめたらあの人がヤベェ勘違い男に乱暴されるだけだから、アタシに送迎を辞めさせたいならまずパイセンの営業を辞めさせろ。」
「でも…!!」
「アタシは、あの人が殴られて黙ってるつもりはねぇから。それに、アタシがあの人を守らなくなれば、あの人は次に武器でもなんでも使って暴力に手ェ染めるだろうな。
…パイセンはな、アタシみたいに汚れていい存在じゃねーんだ。アタシはもうどう頑張っても何をやっても自分の家族ブッ壊した外道な暴力女だから仕方がないけど、パイセンはそんなモンとは無縁の、ちゃんとした家庭で幸せ掴むんだよ。……未来の家族の顔見る度に、自分の手で壊れていく部屋の光景とか、殴ったやつの青ざめた顔がよぎる様な心の傷を負わせたくない。あの人の手を汚したくない。…壊したもんは無くならねぇんだよ、一生心に付きまとう。
優しいあの人は心から幸せになるべきなんだよ。だからそんなことさせないし、1人にもしないし、アタシはコレを辞めるつもりは無い。」
「………」
「…落ち着いた?」
「………ああ。」
あの人がこの女とつるんでいる理由が段々わかってきた。この女はあの人に利用価値を見出していないようだ。…純粋に、心の底からあの人が好きで、幸せになってほしいのが言葉の端々から伝わってきた。
膨大な期待や理想像、両肩にのしかかる責任感を努力と根性だけでこなしてきたあの人にとっては唯一タダの自分で居られるのだろう。
……愉快じゃない。あの人の芯を知っているのは今までオレだけだったのに。鼻につく女だ。
「あの人の昔を知らねぇから全部はわかんねぇけど、少なくとも今1番仲良いのはアタシだ。…アタシは、別にあの人が掘り返されたくない過去を聞きたくてオマエにメシおごってんじゃない。そんなことに興味はない。
……だいたいは、なんとなく分かってっし。いつか話してくれそうだからまだ今は待ってる」
「……じゃあ、何しに」
「いや?あの人のこと訪ねてきた過去の人間、オマエが初めてだからよォ?オマエ頭キレそうだし、何よりパイセンに害意なさそーだし、金以外の手段なんだとしたら使わない手はない」
「金以外の手段…?」
「そー。さっき言った通り、アタシはあの人のこと止めるつもりはねぇし、もっと落ちてくなら一緒に落ちていくつもりだよ。
でも、そうなりたくねーから必死こいて金稼いでンだよ。未来変えるために。
ただな?あの人マジ色恋営業向いてねーんだよ。人騙すたびしっかりすり減ってってる。…頑固だから言ってもやめねーしアタシが協力すんの止めたら1人でもっと身ィ削り出す。そんで、努力と根性で1人でどうにかしちまって、更に止まれなくなる。」
「……言いたいことは分かる。…知ってるから。」
「そ。
……もしオマエがあの人をこんなクソから救い出してやる金以外の最善の手段になれるなら、アタシはオマエに協力してやる」
「何をすればいい」
「はァ?知らねェよ甘ったれんなテメーで考えろ」
「…………」
「睨みてェなら睨んどけ。今日のハンバーグを生かすも殺すもオメェ次第だ」
「………とりあえず、オマエの連絡先」
「いいぜ?気が向いた時に位置情報送ってやるよ」
塞ぎ込んでいる場合ではない、あの人は生きている。病気でももうじき死ぬわけでもない。
アンタは「もう会えない」とは言わなかった。
ならオレが会いに行ってやる。
今度はオレが側に居てやる。昔のアンタみたいに。
コレは、オレに与えられた試練だ。なんとしてもあの人を幸せにする。
それから、毎日夜8時前に場所だけ書いたメールが届くようになった。その場にいるのは決まってあの人だけ、羽宮は居なかった。
どれだけ声をかけてもあの人の返事は返ってこなくて何度も心が折れそうになった。悪い夢だと思いたかった。
昔、オレに歩幅を合わせてくれていたはずの細い足はどんどん前に進んでいって、目に見える距離が心の距離みたいだった。
……しかしもう辞めようかと思った時にチラつくのはあの人のイタズラな笑顔で、どうしてもソレをもう一度見るために付きまとい続けた。
どうやら粘ったオレは間違っていなかったらしい。3ヶ月もの間意地を張っていた甲斐があった。往生際の悪いあの人は遂に「………どうして着いてくるの」と振り返りもせず静かに言った。
声をかけられると思っていなかったオレは焦って「オレの行く方向がこっちだからだ」なんて言った。
やはり、あの人はちょっとズレててよく分からないところにツボがあるのだろう。しゃがみこんで肩を震わせ笑いだしやがった。
「………ンん"っ……wwwwwwwww」
「!?………なに笑ってる!!」
「だって…wwwwww」
その次の日から、なんとなくを装ってたまたま会ったみたいなフリをしたオレと、全部わかってて敢えてわからないフリをしてるあの人は毎日だいたい同じような時間に顔を合わせては「こんばんは♡」「…こんばんは」とだけ挨拶する奇妙な関係になった。
朝に会っていたあの人は夜になってオレの目の前に戻ってきた。
道中は静かだった。無理やりな会話を続けないその静寂が、オレ達と相反してガヤガヤピカピカ騒がしい都会に溶けていく。
オレは柚葉と八戒の話をしなかったし、あの人も母親とか身の回りの人間の話をしなかった。羽宮の話さえしなかった。
こんなにも人で溢れているのに、オレとあの人は2人だけに共有される空気を吸って生きていた。2人ぼっちの世界は、居心地がよかった。
オレにあの人の位置情報をリークしている羽宮が少年院に捕まったと聞いた時はかなり焦ったが、あの人の中学まで行って出待ち→行き先を確認して一旦帰宅→柚葉と八戒の面倒を見終わったらあの人を迎えに行くというストーカー紛いの生活リズムが完成した。
そんな事を続けていたある日、雪の中外で5時間待ってたら、仕方ないような顔をしてメルアドとケー番を向こうから聞いてきやがった。チョロすぎて心配が加速した。
たまに相手の男とブッキングした時に見せるその笑顔は高嶺の花の笑顔であって、オレが見たいものじゃない。
オレが一番好きなあの笑顔が見れるのは、羽宮と2人で信じらんねェ幼稚な遊びしてる時だけだった。どこまでも鼻につく女だ。正直、柚葉があんなことし出したら1週間正座でメシを抜くレベルなのだが、背に腹が変えられないオレは目を瞑っていた。
オレはまだ、正式にあの人の側に居るための交渉材料を何も持っていない。とにかく学歴と金が必要だと思ったオレは、この悪夢を終わらせるために全力を尽くしていた。
なかなか大人になれねェもどかしさを抱えつつ中学生になり、入学式の日の夕方に羽宮に拉致られて無理やりバイクを教えられた。アイツ絶対ェバイクの乗り方間違ってる、なんで事故んねェンか逆にわかんねぇ、つか初めてバイク乗るヤツに教えるって時に400kgのウルトラ出してくるンじゃねェよ馬鹿なンか???
「アタシはな?オマエには期待してんだよ」
「なんのだ?死ねってか?」
3日間の鬼畜トレーニングによりライテクが装備されたオレはバカの反面教師で安全運転を身につけ、ほぼほぼ置物状態だったあの人のウルトラを動かす係になった。
そんなある日のこと
「……オイ、」
終電近い時間にストリートピアノが引きたいと言い出したあの人を後ろに乗せて駅まで連れてきて、そこら辺にあった段差に腰掛けて聴いていたら、オレと同じかそれ以上にデケェちょんまげ野郎がガンくれてきやがった。
「あ?誰だテメェ」
「ノクターンか?」
「だったらどうした」
さっきまで情けねぇ姿勢だった残業疲れの社畜共が氷水に着けたレタスよりシャキッと背筋を引きしめオレらを避けて通っていく。
「あら?たぃちゃんのお友達?」
なわけねェだろーが初対面だよ
「……アンタもう1回弾け」
「テメェ誰に向かって命令してやがる」
「もー、たぃちゃんたら♡」
「ひっこんどけたぃちゃん」
「あ?💢誰がたぃちゃんだデカブツ」
「お友達がいたなら教えてくれればいいのに〜♡……おなまえは?」
「寺野サウス」
「んーと、じゃあさっちゃんね♡」
「「……さっちゃん………??」」
もう完全にあの人のペースだ、大男2人も揃ってそれぞれの体積1/3くらいしかねェ細腕の女に手玉に取られている。コイツはどう見ても"さっちゃん"ではねぇだろ
「さっちゃんもピアノが好きなの?一緒に弾きましょう♡」
「………vivace♪!!」
何が琴線、いやピアノ線に触れたのかは知らねぇが気に入ったらしい。距離感の線を苗字呼びで引くあの人が最速であだ名をつけた。なんだコイツ。つか連弾って横に座って弾くもんじゃねぇの、股の間に座るモンでは無くねェか??オレでさえバイクの後ろに乗せてる時に腰に回る手が最大限の接触なんだよ、会って5分も経ってねェやつにアンタ、……ちょっと、…オイ、………チッ…………クソが…………。
その日だけだと思って我慢したのに、デカブツは毎日どっかから嗅ぎ付けてオレらをつけ回すようになった。イラついて手が出そうになると「アナタ達は昭和のテレビ同士なの?…私の知り合いにブラウン管なんて居ないけど。」なぁんて声が掴みあいそうになったオレらの間から聞こえてくるせいで手が止まる。絶対零度は耳でも感じ取れるらしい。一気に寒気がした。
外国産のデカブツは、仕方がねェから仲間に入れてやったら図に乗ってオレのアジトに入り浸るようになった。イラっとしたので勝手にウルトラ使って撒いてたらどこで手に入れたのか知らねぇファットボーイで「ヴィイヴォオオオ!!!」とか叫びながら追っかけてきてカーチェイスになった。かなりめんどくさかった。二度とやるか。つかエンジンよりデケェ声出してんじゃねぇよフォルティッシモを仕舞え。ついでにデケェ図体もピアニッシモにしてこい。
「おいパルセイロ、蘭からメールだ。アマービレとアジタートが道玄坂でクソデケぇフルーツパフェたのんで食べきれねェから責任取って迎えに来いだとよ」
「はァ………」←慣れっこ
オレのアジトに置いてある革張りのソファで行儀悪く寝っ転がりガラケーを開きながらスナックを頬張るサウスは、いつの間にかオレをパルセイロだなんて呼ぶようになった。オレはオマエと相棒になった記憶なんてねェよブラジル帰ってサンバでも踊っとけ。
ちなみに、こいつの言うアマービレはあの人のことでアジタートは羽宮のことだ。変なあだ名でもつけないと生きていけないのだろうか。
………ア?オイ待てよオマエ今"蘭"つったか?…遊ぶなら斑目とか半間にしとけ、灰谷だけはやめろマジで。アイツ年々ガチ臭くなってやがる。
……本人は気づいていないがあの人は兄弟の上の方に入れ込まれやすい。めんどくせぇ目の上のたんこぶは羽宮だけで腹いっぱいなんだよ、灰谷も黒川もバイク屋も散れ、出しゃばって来んな。特に灰谷蘭、テメーだけは絶対ダメだ。
前髪をかき上げ、3人で揃えたライダースとバイクのキーを持ちアジトを後にする。サウスも着いてくるらしい。…テメェ食べかけのスナック密封して輪ゴムしてきたんだろうなぁ、…湿気てたらド突くぞ。
持ち主を迎えに行くために、ドピンクのウルトラに跨りエンジンをつけた。コイツとはもう長い付き合いだ。あぁ、本当に。気が遠くなるほど。
……オレの悪夢はいつまで続くのだろうか、なんとしてもさっさと大学卒業してあの人を黙らせるくらいの給料を手に入れねばならん。
絶対オレが養ってやるからな。そしてなぜアンタはこんなクソデケェパフェを頼んだ、誰が食うんだよオレかよ。
──────────────
「は、…んん、……もう食えねェよ、…あーんじゃねェ、……ん、」
「たぃちゃん、たぃちゃんどしたの?」
「……ンン"、ん?」
「起きた?…寝言?夢で何か食べてた?」
「、あぁ……、特大フルーツパフェ…」
「懐かしい、また食べたいわね♡」
「やめろ」