いつか死にたい愛の話
小さな子どもの手を引いて、母親は歩く。二人で進む家の廊下は、いつもより賑やかに見えた。それは、子どもの気持ちが高揚しているからではなくて、実際に家が騒がしいためであった。不機嫌そうな足音。子どもを叱る大人の声。心配そうにこちら見やる他の兄弟も居れば、大声に怯える子、私に呆れて部屋に引っ込む子も居たような気がする。そのほとんどは"思い出"にならなかったようで、うまく認識できなかった。人ような形をした黒い影が、ざわざわと蠢いているだけ。ただ漠然と、ここが自宅であり、自分は両親に叱られている、という状況だけが、ぼんやりとした情報の塊として伝えられ、脳で理解させられた。
輪郭の曖昧な世界でも、父の姿ははっきりと見えた。こちらを向いて何かを話しているが、聞き取れない。まるで意味のない音のようだった。突然、視界に姿が明瞭となった母が現れる。小さな子に合わせてしゃがんでくれた母と目が合う。二人が自分の子を見ている。今、二人が見ているのは、あの子。
ふと気がつけば、子どもは物置の中に放られていた。一切の光を遮られた何もない空間だった。外が眩しくて、反射的に目を細める。唯一の光源である引き戸は、目の前で閉まり始めていた。
「ここでしばらく反省してなさい」
誰かが強く言った。この声は誰のものだっただろうか?逆光となるこの場所からでは、相手の姿まではよく見えない。バンと乱暴な音を立てて、無慈悲にも扉は閉められた。ほとんどの光が失われ、暗闇の中に幼子だけが取り残された。目を瞑っているのか、開いているのか分からない。右と左、上と下すら曖昧になる。自分の輪郭がぼやけて、闇に溶けてしまいそうだった。私が、私じゃなくなるみたいだった。そう思うと途端に恐ろしくなり、思わずしゃがみ込む。締め切られた引き戸と床にあるわずかな隙間から、外の光が溢れていた。子どもはようやく、自分が目を開いていたことを実感した。ここが唯一の光であり、空気穴でもある。つまり、子どもの生命はこの数ミリの隙間に握られているというわけだ。
締め切られた部屋は、次第に蒸し暑く感じられた。汗が滲み、頬を垂れる。前髪がぺたぺたと張り付いて、気持ちが悪い。暇を持て余した私は、先の出来事を反芻した。きっとこれが、両親の言う「反省」なのだろう。ただ、幼い子どもは、何故怒られていたのかさえも、すでに忘れてしまっていたので、あまり意味はなかった。これもまた"思い出"には残らない、瑣末な出来事だったのだろう。
いつも思い出すのは、ここまで自分の手を引いてくれた母の後ろ姿。握られた手首に残る熱。あまり顔を合わせない父が、こちらに出向き、こちらを見ていること。ようやく目が合う、二人の顔。
それからあの子は、小さく笑った。ふふふ、と声が零れて闇に消えた。
物語は、ここで途切れる。
結局この子どもがどうなったのか、ヴィヴィアには分からない。そもそも、この物語は子ども自身が語る思い出話であり、信憑性があるとも言い難い。閉じ込められた子どもは、本当は泣いていたのかもしれないし、「なぜこんなことをしてしまったのだろう」と後悔していたかもしれない。だけれど、真実を確かめることは誰にもできないのだ。感情は複雑で散乱しているし、人間は常に何かを思考しているわけではない。だから、人は記憶を辿る際に、筋が通るように道を整えて記憶するのだ。そういう意味では、思い出と物語は似ていると、ヴィヴィアは思う。
それはただの"いい記憶"。