悪夢


 ヴィヴィアがそうっと口を開けると、中からクラゲが吐き出された。彼は両手を器のように丸めながら顔の下で揃えており、口から溢れ出す透明な液体とクラゲを受け止める。人肌程度に生暖かい。指の隙間から、掬い切れない液が滴り落ちる。身体に害はなく、直感的にこれが水道水だと理解した。だが、食道のあたりが痺れており、おそらく嘔吐か毒のせいだろうと当たりをつける。いずれにせよ、この不快感を抑える術はないため、それ以上考えるのはやめた。
 吐き出された水はネオンのように青く光っているように見えたが、多くの水が零れ落ちた後に、その源がクラゲであったと分かった。ヴィヴィアとクラゲはしばし見つめ合う。UFOのようにも、キノコの傘のようにも見えたが、少ししてオワンクラゲの名を思い出す。なるほど、逆さにしたらお椀にも見える気がした。海水を掬うのにいいかもしれない。釣られて、緑色蛍光タンパク質という単語が頭に浮かぶ。他には何も出てこない。依然として喉の痺れは取れておらず、痛みは段々と上へ登り、ついには頭もふらつく気がしていた。
 ヴィヴィアのいる場所は暗闇だった。クラゲの放つ淡い光の他には一切の明かりがない、暗闇。ほんの小さな青だけが、ヴィヴィアをヴィヴィアたらしめ、闇と自分を切り分けるものだった。次第に頭痛は酷くなり、視界が回る。ぐるぐるというより、世界がぐにゃりと歪むような感覚。体が宙に浮くような不安が芽生えたが、飼い慣らすのは容易だった。いつもと同じだ。
 ヴィヴィアは手のひらをそっと内側に倒す。なぜだかそうすべきだと思った。隙間から水が溢れる。滴り落ちた水は暗闇に溶け、消えた。そのままゆっくりと手を合わせようとすると、冷たくてつるりとした傘に触れる。ふよふよと動く触手がくすぐったい。命の危機を目の前に、クラゲは顔色ひとつ変えようとしなかった。手が窄まり、暗くなるほど、青い光は強さを増す。その分、ヴィヴィアの周りは暗くなり、自分と空間の境が曖昧になる気がした。あと少し、ヴィヴィアは手を動かす。生き物が、自分の手のひらで潰れることを想像する。あともう少しで…というところで、ヴィヴィアは動きを止めた。やはり、これ以上進むことができなかった。
 あと一歩踏み込むだけの覚悟が、今の彼にはなかった。
 はぁ…と小さくため息を吐く。それは、無意識の息というより意図的に吐き出された音のようなものだった。仕方なく彼は、手の椀を口元へと運ぶ。そっと目を瞑る。小さく口を開くと、唇に冷たいものが触れる。椀を傾ける。舌の上にゴムのようなものが転がる。含み切れなかった水が、口の端から垂れ落ちる。
 ごくりと、彼の白く細い喉が動いた。
 ヴィヴィアは頭の片隅で、自分の腹が淡く青く光る姿を想像した。





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