踊り場の僕ら



 この学園のどこかに、天文台があるらしい。
 話題の転校生望月綾時が、その噂を耳にするのにそう時間はかからなかった。そんな彼が、「良かったら場所を案内してよ」と僕に頼んできたのが、今朝の出来事。
「たしか、今は入れないんじゃなかった?」
「あれ、そうなの?」彼は小首をかしげる。
「それに、僕も場所は知らないよ」
 嘘。本当は知っているし、行ったこともある。だけど、理事長の一件が起きてからまだ日は浅く、しばらく関わりたくはなかった。傷口は思いの他深く、できれば彼を近づけたくもない。実際に、表向きの事故が起きて以降、先生の許可と監視がなければ入れなくなったのは事実だ。だから、今言ったことは全部が全部、嘘じゃない、と誰に宛てるわけでもなく、心の中で呟く。
「じゃあさ、たとえ入れなくても良いから、僕と一緒に探検しようよ」
 僕は返答に困り、言葉を詰まらせた。「ね、どうかな?」と彼に後押しされると、どうも断りにくくなる。それがほんの少しだけ苦手で、もし分かってやっているんだとしたら、彼は相当わるい人だ。ひとりでふらふらされるよりは良いのかもしれない、なんて言い訳じみたことを考えてみたりして、気づいた時には「いいよ」と頷いていた。

 その日の放課後。約束通り、僕と綾時は学園内を散策していた。率先して歩き回る綾時の足音が響いて、少し遅れて僕がのんびりついて回る。大半の生徒は部活動に励んだり、寄り道をしたり、各々の放課後を謳歌している。意味もなく校舎に残り歩き回っているのは、僕らぐらいだった。
「ここは何?」
「理科の準備室」
「こっちは?」
「放送室」
「あ、大きな木が生えてる」
「あれは、柿の木だね」
 へぇ、と彼は呟いて、すぐに他のものへと興味をうつす。いつもの見慣れた景色のはずだけれど、人の気配が少ないと、印象が変わって見える。今日の綾時はどこか浮足立って見えるのも、そのせいかもしれない。
「ねぇ、今度は上に行こうよ」綾時は天井を指さす。
「別にいいけど、そこからじゃ屋上までしか行けないよ?」
 君が探しているのは天文台じゃないの?と、はっきり口に出すことはしなかった。が、彼は僕の疑問を気に留める素振りもない。
「良いからはやく、君もおいでよ」 
 綾時は軽やかな足取りで、跳ねるように階段を登った。最後の方は一段飛ばしで、勢いよく駆け上がる。踊り場で、彼のマフラーがふわりと揺れる。その時僕は、どうでも良いことを思い出して、思わず「あぁ」と口にしていた。
「ん?」綾時がこちらを振り返る。
「何でもない」
「何でもないことないでしょう?」
 言ってみてよ、と彼は片足だけ降りて、こちらに近寄る。
「どうでもいいことだよ」
「僕は気になるな」
 彼を避けるように大回りしながら、僕は階段を一歩ずつ登ったが、綾時の目はこちらを捉えて離さない。少しの間、睨み合いが続く。はぁとため息をつく。先に折れたのは、やっぱり僕だった。彼に倣ってトン、トンと階段を駆け上がり、僕らは小空間に並んだ。
「ここ、踊り場って言うんだけど」知ってる?と言外に匂わすと、綾時は頷いていた。「じゃあ、なんで踊り場って言うかは知ってる?」
「言葉の由来ってこと?」ううんと彼は首をかしげた後、「知らないな」と素直に答えた。
「スカートの裾が揺れて踊っているように見えたから、なんだって」
 ふうん、と綾時は感心したように呟く。「ん、それで?」
「君のマフラーを見ていたら、それを思い出したってだけ」
「マフラー?」綾時は不思議そうに繰り返してから、くるりと回ってみせた。動きに合わせて裾がなびき、彼の短い髪も揺れる。自分のマフラーを目で追いながらくるくると回る姿は犬みたいで、僕は小さく笑った。自分の尻尾を追い回すコロに、少し似ている。
「ねぇ、君も回ってみせてよ」
「え?」
「自分じゃよく分かんないんだ」
 面倒なことになったな、と僕は思う。実際に「えぇ」という声に、嫌だなという気持ちが全面に乗っていた。だけど、綾時は負けなかった。
「ね、一回くるってするだけだから」
 だめかな? と彼はつけ足す。無言の攻防が、再び始まった。じっと睨む僕と、にこやかに笑う彼。何度か起きる、無音のやり取り。この戦いに僕が勝てたことは、未だかつてない。
「君の聞き方はいつもずるいね」
「何だかんだ聞いてくれる君が、優しいだけだよ」
そういう言い方がずるいのだ、とは言えなかった。
 仕方なく僕は彼を真似して、くるりと回ってみせた。リボンは揺れて、ローファーがキュッと地面を擦る。その瞬間、綾時は僕の手首を掴んだ。僕がわっと小さな声をあげると、綾時はふふっと笑っていた。そのまま、彼は流れるように僕をやさしく引っ張る。もう片方の手は、いつの間にか握られていて、指と指が絡み合う。
 僕は抗議の意味を込めて、彼の方を見た。綾時はいたずらが成功した子どものように、それはもう楽しそうに、笑っていた。
「何のつもり?」
「せっかくなら、君と踊ってみようかなって」
 だってここは、踊り場なんでしょう?
 綾時がこちらへ一歩踏み込むから、その分僕は後ろに下がった。
「こんな狭いところで?」今度は僕が、前に出る。
「楽しそうじゃない?」彼が下がる。
 僕らは会話をしながら、前に後ろに、揺れ動く。
「何を踊るの?」
「ワルツでどう」
「僕、踊れないけど」
「そこは初心者同士、仲良くしよう」
「音楽は?」
「歌ってあげるからさ」
「綾時が?」
「僕が」
 彼はにこりと笑った。「他に何かご不満な点は?」
 綾時は繋いだ僕の手を引いて、顔を寄せる。僕より少し高い位置にある君の目が、僕を映す。
「別に元々、不満なわけじゃない」その声色に不機嫌さが滲んでいて、自分でも少し子どもっぽいなと目を逸らして、そのまま足元を見た。踊り慣れない僕らの靴は既に入り乱れていて、めちゃくちゃだった。
「じゃあ、良いでしょう?僕が君の手を引くからさ」綾時は笑う。
「初心者なのに?」
「お互い様ね」
 僕はどうにか仕返しがしたくて、今度はこちらから彼の手を引いた。予想外の動きに、「わ」と綾時が声をあげ、靴音が騒がしくなる。つまずきそうになる彼を支えながら、僕は片手で綾時を回した。支える手を変えて二回、三回。くるり、くるりと彼は綺麗に回る。黄色が空にたなびき、目を惹かれた。僕はすぐに彼の両手を握り直して、今度は二人一緒に踊り場を広く動いた。何が正解か分からないまま、僕らは見よう見まねで踊り続けてみせた。
 綾時は丸い目を更に大きくしたかと思うと、そのままぼうっとしたようにこちらを見つめているだけだった。僕は少しだけ首を上に向けながら、彼の目を見る。
「ほら、歌うんじゃなかったの?」
 僕が言うと、君ははっとしたような顔をして、ふわついた様子からようやく帰って来た。
「嘘つき」
「ん?」
「踊れない、だなんてさ」
「踊れてないよ。足元、めちゃくちゃでしょう?」
「そういうことじゃなくて」
 話しながらも、僕らは踊ることを止めない。僕は彼の手を寄せて、顔を近づける。
「綾時の方こそ、歌ってくれないの?」
「必要かい?」
「僕とっては必要だよ」
 今度は彼が言葉を詰まらせる番だった。「ずるい人」「お互い様だよ」
 僕らは再び距離を取って、三拍子に動き続ける。少ししてから、彼の方から控えめな鼻歌が聞こえて来た。綺麗なワルツ。それに合わせるように、僕が足を動かすと、つられて綾時も揺れる。マフラーも揺れる。
 コツコツと、ローファーの音が鳴る。君の歌を邪魔しないように、僕は綾時をリードし続けた。傾きだした夕日が踊り場を照らしていて、最初は拙い動きだった僕らも、段々と様になって来たような気がした。つまずくこともなくなって、君は綺麗にくるりと回る。胸が躍り、顔は熱い。繋がれた手があたたかくて、火傷しそうだった。
 僕らは二人で一つなんだと、錯覚してしまいそうになる。
 その時、放課後の終わりを告げるチャイムが校内に鳴り響いた。
 僕らはぴたりと立ち止まった。歌は途切れる。ふっと夢から醒めたように、現実へと意識が戻った。僕は、自分から彼を切り分けるように、繋いでいたやさしく手を離した。体温を分けた手のひらは、少しべたつく感触もした。綾時は離された僕の手をそっと眺めていて、その顔を僕は見ていた。
「満足した?」と声をかけると、彼の青い瞳はようやく僕の顔を見る。
「大満足だよ」
 楽しかったね、と同意を求める綾時に対して、僕は曖昧な答えを返す。だけど彼は「否定しないんだね」と心底嬉しそうに笑うものだから、僕は思わず目を背けた。心のうちを見透かされたようで、腹の底がくすぐったくて、変な感じがする。これ以上、やわいところに触れられるとダメになってしまいそうで、「天文台はもういいの?」と話題を逸らす。そう言われて、綾時は目をぱちくりとさせて、すっかり忘れていたと言わんばかりに「あぁ」と声をあげた。「あれは、もう大丈夫」
「そうなの?」
「うん」
「本当に?」
「本当だって」綾時はふふっと笑う。「ただ理由が欲しかっただけなんだ」
 理由、と僕は繰り返す。
「君と一緒に、放課後の時間を過ごす理由」
 だから、別に何だって良かったんだ。そう白状した彼は、少し照れくさそうに笑っていた。僕は呆れとか、胸がギュッとなる気持ちとか、そういう色々なものを全部、何度目かのため息に込めて吐き出した。
 わるい人。と、心の中でつぶやく。遠くから、部活帰りの足音がパタパタと聞こえて、学園内はまた騒がしくなる。夢見心地の時間は、完全に終わりを告げた。
 踊り疲れた体を引き摺りながら、僕らはいつもの学園を、肩を並べて歩き出す。手のひらは、まだ少し熱い。頭の中で彼の控えめな歌だけが、くるくると回り続けた。


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