ゴーストとは?




 わたしが目の前の機械と格闘を始めてから、そろそろ一時間になろうとしていた。片手に持った説明書と照らし合わせながら、ケーブルを確認する。説明書によればこの配線であってあるはずなのだけれど、肝心のテレビはうんともすんとも言わない。中古で買ったビデオデッキと型落ちのテレビでは、ダメなのかもしれない。
「ねえ、貴方。そんなもの、もうやめてしまいましょう」スカリーは不服そうな声をあげ、わたしの横に座った。
「もう少し。もう少しだけやらせてください」
「十分前にも同じことを聞きました」
「じゃあ、あと十分お願いします」
 はあ、と彼はため息をつく。「このビデオがそんなに気になりますか?」
 スカリーはどこからか青色の箱を取り出し、不思議そうに眺める。『死者との共存』だ。
「少なくともわたしは、かなり気になります」
 わたしは身を低くして、裏に書いてあるあらすじを読もうと覗き込んだ。しかし、パッと煙が上がったかと思うと、ビデオは消える。代わりに、その先にあるオレンジの瞳と目が合った。彼はニコリと笑ってみせる。
「きっと、たいしたことありませんよ」元の姿勢に戻るわたしを、彼の目は追いかける。
「でも、確かタイトルが『死者との共存』でしょう? 今のわたしたちにぴったりだと思いますよ」
「そんなものがなくとも、我輩と貴方ならうまくやっていけますよ。そうに違いありません」
 ううん、とわたしは唸る。そういう話ではない、と言おうとして、口を噤んだ。今の彼に、ストレートな物言いでは通らないと思った。
 『死者との共存』とは、わたしがスカリーと出会った時から、彼が持っていたビデオだ。青いパッケージに、チープな絵柄のゴーストとオレンジの屋根の家が描かれたもので、その中身がどんな内容なのかは知らない。ただ、わたしとスカリーを繋いだのは、間違いなくこれだ。そしてどういうわけかスカリーは、わたしにこのビデオの内容を知られたくないようだった。
「でも、そのビデオに触った時、初めてスカリーさんが見えるようになったので、何かあると思うんですよね」
「それは、我輩の持ち物に貴方が触れたからと、前にもそうお伝えしたでしょう?」
「そうですけど」と口籠る。でも、本当にそれだけですか、と聞きたかったけれど、何か漠然とした不安が顔を覗かせ胸の辺りで広がり始めたので、口に出すことはしなかった。触らぬゴーストに祟りなしだ。
「わたし、そのビデオが見たくて、わざわざこれを買ったんですよ」手元のビデオデッキを撫でる。街の中古リサイクルショップで、5,000マドル程度で売られていたものだ。所々日焼けや傷跡はあるもののさほど気にならない。相場をよく知らないけれど、これで配線さえうまく繋げれば、胸を張って「良い買い物をした」と言えるだろう。
「持って帰るのも大変だったんですから」わたしが言うと、スカリーは口を曲げて黙ってしまった。顎に手を当て、「ふむ」となにか考えるような仕草をする。「それでしたら、一度休憩を取るのはいかがでしょうか?」
「あ」と声に出したがすでに遅く、彼は説明書をパタリと閉じて、わたしの手から抜き取った。
「貴方が作業を始めてからもう一時間になりますが……どうやら作業は行き詰まっているご様子。このまま続けても埒が開かないでしょう?」スカリーはわたしの服の裾を掴んだ。「それに、あまり長い時間床に座っていては、お身体が冷えてしまいますよ」
 言われた通り、冷えたフローリングに座り続けるのは肉体的に辛い部分もあり、何度か足を組み替え、座り直しを繰り返していた。興味ないのかと思っていたけれどよく見てる、とわたしは少し驚く。
「ほら、休憩にしましょう。ね?」
 彼は、一度こうだと決めたらなかなか譲らないタチであると知っていた。その場合、少し遠回りをしながらおねだりをするか、今日のところは諦めるのが得策だ。
「分かりました」わたしは立ち上がり、足元の埃を払う。「ちょっとだけ休憩にしましょう」
「ええ、ええ! それがいいでしょう」スカリーの表情がぱっと明るくなるのが見えた。こうもはっきり喜んでもらえると、悪い気はしない。このひとは、こういうところがずるいだ。
「では、こんなものは片づけてお茶の準備をいたしましょう」彼がくるりと手を回すと、ビデオデッキの回りがきらきらと輝き、空に浮かんだ。そうして、魔法で持ち上げたままどこかへ持っていこうとする。鼻歌でも歌っていそうなほど機嫌が良いことが、彼の歩き方から伝わってきた。
「あ、ちょっと待ってください」
「はい?」彼は立ち止まり、振り向く。
「それ、まだ使うので捨てないでくださいね」
「え」驚いたように目を見開く。
「仕舞うとしたら、寝室にしてください」
「そんなあ」彼は頬に手を当て、眉を下げる。「では、屋根裏に置くのはいかがでしょうか?」
「ダメです」きっぱりと言った。「だって、そのまま隠すでしょう?」
 スカリーは目を彷徨わせたかと思うと、無言になった。図星だ、とわたしは思う。
 屋根裏部屋は物置として使用していたが、スカリーが来てからはほとんど彼の部屋となっていた。薄暗い雰囲気が落ち着くというのは概ね同意するが、さすがにそこで暮らそうとは思わなかったので、驚いた。先日覗いた際は、ロッキングチェアやテーブルが置かれていて、ますます部屋らしくなり生活感が増していた。今思うと、あの家具たちはいったいどこから持ってきたのか、謎である。
「それ、わたしが片づけます」
「え」
「お茶の準備は、スカリーさんにお願いします」
「ですが」
「わたしは」彼の言葉に被せるように言う。「自分で淹れたお茶よりも、スカリーさんが淹れてくれた方が好きです」
 一歩、二歩と彼の方に近づいて、下から彼の顔を窺った。「ね、どうですか?」先ほどの彼を真似てみる。
 スカリーは少しだけ黙った後、「分かりました」と言った。彼が指揮者のように指を振ると、ビデオデッキと配線コードがくるくるとひとまとまりになる。慌てて受け取る準備をしていたわたしの両腕に、すっぽりと収まるように飛んできた。スカリーがキュッと手を握った瞬間、きらきらとした光が消え失せ、わたしの腕にはビデオデッキ一台分の重みがかかる。少し驚きながらも、決して落とさないようにしっかりと抱え直した。
「ありがとうございます」
「いえ」彼は言う。「貴方にああ言われてしまっては、断ることなどできません」
 知っています、と言わない代わりに、わたしは少しだけ笑ってみせた。
「ずるいひと」
「そちらこそ」
「え」
 わたしの返答が予想外だったのか、彼は不思議そうな顔をして、首を傾げた。無自覚ならもっと性質が悪いじゃないか、と内心で毒づく。
「じゃあ、これを片付けてきちゃいますね」
「あ、何かご希望のお茶はございますか?」
「いいえ、何でも大丈夫です」と答えた。が、すぐに感じが悪かったかもしれない、と思い「あの」と続けた。「スカリーさんの淹れてくれるお茶がおいしいと思うのは、本当なんです」
 少しばかり見開かれた目に、オレンジ色の瞳が良く目立つ。
「だから、何でも良いんです。すみません、うまく伝えられなくて」
「そうでしたか」スカリーは目元を緩め、やわらかい表情を浮かべる。「かしこまりました。では、このスカリー、貴方の為に最高のお茶をご準備いたしましょう」
 彼は恭しく一礼をしてみせたので、わたしはつい笑ってしまった。「楽しみにしていますね」
「ええ」と彼は頷いて、キッチンの方へと消えていく。その後ろ姿を見送ってから、わたしも寝室へと向かった。
 部屋の隅っこの床に、ビデオデッキとコードを置く。そういえば、説明書は彼に取られたままだ。素直に返して貰えるかは分からないけれど、ダメ元で聞いてみよう、と頭の中に入れておく。
 そのままキッチンの方へと立ち寄ると、ちょうどスカリーが戸棚からお菓子を取り出している所だった。紅茶と一緒にダイジェスティブビスケットを食べるのが、おやつの時間の習慣だった。
「よろしければ、このまま映画でも見るのはいかがでしょうか?」
「いいですよ」お皿に乗ったビスケットを一枚摘まむ。
「では、先に行って待っていてください。でないと、映画を見る前にビスケットがなくなってしまいますから」
 ふふふ、と笑う彼の声やわたしを見る目に、何か柔らかくてくすぐったいものが含まれているような気がして、居心地が悪くなる。わたしは手にしたビスケットをしっかりと食べ切ってから、リビングへと向かった。
 わたしはソファーに座るのではなく、先にソファーの前にあるローテーブルからリモコンを取ってレコーダーを立ち上げた。少し古い製品のため、動き始めるまでに時間がかかるからだ。そのまま、テレビボードの引き出しを開けて、たくさんのDVDを眺める。どれもこれも全部、わたしのお気に入りの作品たち。何度も何度も、繰り返し見た事があるものばかり。ここ数年はDVD自体あまり触れることもなかったのだが、スカリーが来てからは彼と一緒に映画を見る時間がぐっと増えたように思う。
「我輩の生きていた時代には、このようなものはなかったので」と彼が楽しそうに言うものだから、ついつい自分の好きなものや、彼の好みに合いそうな作品を探しては、勧めたくなるのだ。
「おや、またそんな所に座っていらっしゃるのですか」
 振り向くと、ティーポットとマグカップが一つ、それにお皿いっぱいのビスケットを乗せたトレーを持ったスカリーが立っていた。魔法ではなく、両手でしっかりとトレーを握っている。
「その、前から気になってたんですけど」
「はい。なんでしょうか?」
「スカリーさんが手に持てる物と、そうでない物に違いってあるんですか?」
「ああ」彼は自分の手元を見る。「我輩は、命ある生物以外であれば、触れることができますよ」彼は歩きながら答える。
「そうなんですか?」
「ええ」彼はトレーをローテーブルに置いてから、わたしの横に座った。「残念なことに、貴方に触れることはできないのですが……でもこうして、貴方のお洋服であれば持つことができます」
 そう言って彼は、わたしの服の先を摘んだ。「手で持つには重たい物であったり、まとめて複数の物を運びたい際は、魔法で持つこともございますよ」
「なるほど」
「ポルターガイストなどと呼ばれる現象は、ゴーストが物を持って動かしたり、魔法を使って浮かべたりすることで人々を脅かしているのです。多くのゴーストは、人々の目に見えませんから」彼は生き生きと言葉を続ける。「極稀に条件が揃えば、ゴーストが常に顕現できる場所もございます」
「へえ」わたしは、ゴーストたちがその辺りの物を持ち上げている姿を想像した。一生懸命な姿が少し間抜けで、かわいらしい。「わたしたちの場合は、”わたしがスカリーさんの持ち物に触れた”という条件が満たされたから、常に見えるようになった、と前に言ってましたよね」
「はい。その通りでございます」
「そんなに簡単なルールなら、ゴーストなんてもっとたくさん見えてそうですけどね」
「それは、やはり我輩と貴方はこうして出会う運命だったのでしょう」彼は高らかに言い切る。
「はあ」嘘くさい。
「それにしても、貴方の方から我輩について聞いてくださるなんて。ああ、本当に嬉しいです」ふふふ、と彼は笑う。
「そうですか?」
「ええ。いつも貴方は、何も聞いてこないでしょう?」
「そういうつもりは、なかったんですけど」その通り、できるだけ彼について聞かないようにしていた。何をどこまで聞いて良いのか。ゴーストに対して、人間が持ち合わせている倫理観やデリカシーのような境界が、良く分からなかったからだ。それに、これ以上彼のことを深く知ってしまうのは、少しだけ怖かった。この生活がいつまで続くかも分からないと言うのに。知らなくてもうまくやっていけるのなら、それに越したことはない。
「じゃあ聞きますね」わたしはわざと明るい調子で言う。「今日の映画、何が良いですか?」
「そうですね」彼は一緒になってたくさんあるDVDの背表紙を眺めた。「我輩は、先日鑑賞した作品が好きでした」
「先日の?」
「ゴーストと人間の恋物語です」
「ああ、あれ」わたしは一つの作品を思い浮かべる。ゴーストと人間の少女が出会い、最初は友だちとして過ごしていたのだが、次第に互いが惹かれあっていく。ベタな物語だけれど、コミカルなゴーストたちと物々しい建物やマシンが魅力的な作品だ。たしかあの時も、あらすじを見た彼の方から「これが良いです」と希望したはずだ。ふと、わたしの頭にはいくつか考えが浮かんだが、慌てて消し去る。他人のことを勝手に推測するのはよくない、という考えが心のどこかにあった。
「ホラー映画も好きでしたよね」わたしは話を逸らすために、少しずれた話題を振ってみる。
「ええ。人を恐怖させる為だけに創造された物語とは、なんて素晴らしいものなのでしょう」スカリーの言葉は熱を帯びていて、彼が恐怖を好み、愛していることが伝わってきた。「ですが、貴方はあまり驚いていないご様子でしたね」
 言葉に含まれた熱が下がり、じっとこちらに向けられた目線が突き刺さる。
「さすがに、何度も見たことがあるので」
「ふむ。一度、貴方が何かに恐怖するお姿も見てみたいものです」
「最初に会った時に充分見たでしょう」と答えたけれど、彼はあまり納得していない様子だった。風向きが良くない。再び話題を変えるために、「暗い作品と明るい作品、どっちが良いですか?」と、新たに質問を投げかけた。
「そうですね。どちらかと言えば、明るい作品が良いです」
「じゃあ、これにしましょう」
 わたしは一本のDVDを取り出した。
「それは、どのような物語なのでしょうか?」
「ゴーストが掃除機で吸われまくる映画」
「それは、なんというか」
「ポルターガイストの話聞いていたら、見たくなっちゃって」
「なるほど。見てからのお楽しみとしましょう」
「きっと気に入ると思いますよ」
 DVDをレコーダーへと飲み込ませる。わたしとスカリーは、そのままソファーへと座り、リモコンの再生ボタンを押した。レコーダーがデータを読み込む機械的な音が、鳴り響く。
 暗転したテレビ画面に、ソファーに座るわたしだけが映る。




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