※及川義妹設定


「もしもし、月島君?及川徹です。名前がっ…」





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9月27日
眩しいくらい日が差す雲1つない綺麗な今朝の晴天も、お昼過ぎにはすっかりと消え、分厚い黒い雲に覆われた。暑くてベストを脱ぐくらいだったのに、一気に寒さが増して身震いするくらいだ。6限目。眠さがそこまで来ている中、重たい体を起こしつつも古典の授業を受ける。廊下側の席の山口に視線を移せば、眠さに負けたのかもう既に机に体を預けて寝ていた。
遠くに聞こえるグラウンドにいる生徒の声。カツカツ、とチョークと黒板が擦れる音。周りから聞こえる他愛のない話。全てが筒抜けだった。朝練の時、名前がいなかった。休む事が珍しいわけでもないが、なにか違和感を感じてあまり集中出来ずにいた。

「月島君、プリント」

ぼうっとしていると、前の席の人に話し掛けられた。「ごめん、」とだけ伝えプリントを受け取る。あー、やっぱり集中出来ない。でも名前はきっと来る。大丈夫だ。もやもやが抜けないけど後の授業を受けよう。そうしよう。そう自分に言い聞かせてプリントにペンを滑らせた。




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「ツッキー部活行こう!」

HRが終わり、鞄に荷物を詰めているとさっきまで寝ていた山口がいつの間にか起きていて、にこやかな表情で自席に向かってくる。

「寝てたでしょ」
「あははー、昨日寝てなくて…」

ポリポリと頬をかいてへらっと笑う。頬に服の跡が付いているのは言わないでおく事にした。「名前ちゃん、来るかな」と言われ、返答に困った挙句に出た言葉は「知らない」だった。僕が知りたいよそんなの。そして部活に行こうと自席を立った途端、ポケットに入れていたスマホがブーブー、と鳴って、すぐさま取り出した。ロック画面にはメッセージの通知。相手は名前だった。

【連絡遅れてごめんね、ちょっと用事が長引いちゃって。部活は出るから今から向かうね】

なんだそうだったのか。一気に力が抜けて安堵の息をつく。黙って歩き出すと慌てて山口が追いかける。

「あ、月島君お誕生日おめでとう〜」

廊下に出ると、すれ違い様にお祝いの言葉を貰う。それに続いてクラスメイトが「おめでとう」などと言ってくれた。

「ありがと」

適当にあしらってそのまま体育館に向かう。嬉しいはずなのに、こういう態度をとってしまうのは自分の悪い癖だと痛感している。

「ツッキーいつ空いてる?今度駅前のケーキ屋の新作食べない?誕生日だしさ」
「水曜日」
「オフの日か、ちゃんも誘う?」
「…別に」
「今日聞いてみるね」
「っ、…分かった」

そう言うと山口は満足げに鼻歌を歌い出した。足取り軽く、体育館に続く通路を歩いていく。山口にはきっとお見通しなんだろう。僕がずっと名前を好きだという事。彼なりの粋な優しさなんだろうと思い、少し嬉しかった。早く名前に会いたい。会ったらまずなんて言ってくれるのだろうか。こちらに走ってきながら、「お誕生日おめでとう」とめいいっぱい言ってくれるのだろうか。そうだ、16歳だし名前より1つ上になるのだから少しばかり遊んでやろうかな。小馬鹿にして、頬を膨らます、きっと。楽しみだ。名前が来るまで練習メニュー終わらせておこう、待っていよう。



<でも、結局名前は部活に来なかった。



休憩中に送ったメッセージもずっと既読がつかない。連絡も一切来ない。何か僕は悪い予感がした。不確かな事ではあるが、そんな気がしたのだ。不安で仕方がない。着替えながら、そんな事を思った。

「なぁ、名前はどうしたの?」
「…メッセージ既読つかない。なんかあったのか…」
「影山のにも既読がつかないって、忙しいとかじゃないよな?」
「日向も返事来てないだろ」

ザワザワとざわめく部内。悪い予感が当たってしまったらどうしよう。そんな事しか考えられなくなった。横で不安げに見ている山口の顔さえ、見ようとも思えないほどに。今日は僕の誕生日だ。皆と一緒にご飯に行こうと提案したのは名前だ。名前に何があったのか、それが気になって仕方がない。頼む、何も無いでくれ。重圧に潰されそうな時、着信音が鳴りスマホを取り出すと、そこには【及川さん】の文字が。すぐさま応答を押して、耳に宛てがう。

『もしもし、月島君?及川徹です。名前がっ…』

耳に宛てがうスマホを持つ手が震える。聞きたくない。聞きたくない。ほら見ろ、悪い予感が当たった。なんでなんだ、と言わんばかりに唇を噛み締める。痛さなんか感じなかった。

「…名前が、どうしたんですか」

精一杯出した声は震えていた。そう僕が答えた後、電話越しで及川さんの鼻がすする音が聞こえた。




『…名前が、死んじゃったっ、……』




色も何もついていないその言葉。手からスマホがすり抜けて、床に落ちてガシャン、と勢いよく音がした。それに気付いた周りのみんなが、近寄り目を見開いていた。

『…仙台病院、来て欲しい』

床に落ちたスマホから聞こえる及川さんの声。それを聞いて状況が理解したみんなは、顔つきが変わり、息を呑んだ。いてもたってもいられず、床に落ちたスマホとロッカーに閉まっていたバッグを無造作に拾い、部室を出た。部活で疲れてるとかそんなの関係ない。バスなんか待ってる余裕ない。ただ、ひたすらに走った。横を通り過ぎる車のエンジン音も、普段は煩いくらいの蝉時雨も、全部全部遠かった。一心に走った。どくどくと脈だつ心臓の音がやたら大きい。耳鳴りがする。息苦しい。でも、走る事を止めてしまったら本当に終わる気がしたのだ。着いたら、今まで以上に強く抱きしめて強く手を握って、それから、それから……酸欠になりながら考えた。まだ泣いてはいけない、そんな暗黙のルールが自分の中ではあった。1秒でも早く行かないと。



仙台病院。緊急治療室
そう書かれたドアを思い切り開けた。そこには、ベッドに項垂れながら大泣きする及川さん。周りに岩泉さんや松川さん、青城の3年と1年。そして、





ベッドの上で眠る名前がいた。





すぐさま名前の元へ足を運んだ。唇の色が真っ青になって、顔中に傷痕と包帯。恐る恐る手を伸ばして髪を撫でた。いつも通りの綺麗な髪だった。僕がいつも「綺麗な髪だね」と言うといつも「そんな事ないよ」と少し照れた表情で言う。でもそんな名前の今の顔は、お世辞にも綺麗とは言えない。横に目をやれば、及川さんが泣きながら名前の手を強く握っている。それから周りに目をやれば、みんな顔を下に向けていた。

「交通事故なんだ」

そう言ったのは松川さんだった。

「急いでたのか点滅信号無視して名前ちゃんは走ったらしい。そしたら右折しようとした来たトラックに丁度ぶつかって...それで...それで、...」

そこから言葉が出なくなったのか、顔に手をあてがい泣いていた。なんで信号無視した?なんでだ?なんで、なんで、どうしてなんだよ...今日は、

それから名前の服をシワが出来るくらい思い切り握った。




「......僕の誕生日なのに、っ」




吐き気がした。声が出せない。嗚咽のように泣いた。息も苦しくて、呼吸が乱れる。

「月島、これ」

そう言って岩泉さんが渡してきたのは、茶色の紙袋。なんなのかと疑問に思いながら受け取って、中身を見た。その中身を見て途端、底から全身の力が抜けて膝から崩れ落ちた。

「月島の為にコルクボード作ったんだと思う。大事にしてやってくれ」

そこには色鮮やかな画用紙、マスキングテープ、手書きのメッセージ、僕と名前が写っている写真が貼られていた誕生日のコルクボード。紙袋の中を探ると、また紙袋があった。手触りは固く、紺色の包装紙を開くと僕がずっと欲しかったヘッドホンが手紙と一緒に入っていた。白い封筒に、見慣れた名前の文字。
【月島くん、お誕生日おめでとう!また来年も一緒にお祝いするからね。16歳楽しんでね】
手紙の内容は至ってシンプルであった。一つ一つの文字が僕の胸を突き刺す。

「また来年も一緒にって、いないじゃんか……ッ」

微かに揺れる肩を手で押さえて、静かに泣いた。その途端、ふわっと名前の香りがした。思わず振り返ると、別に名前がいた訳ではなかった。永眠している名前に目をやれば、少し笑っていたような気がしたのだ。「誕生日なのにごめんね」と眉毛を下げた名前の顔が頭をよぎって、彼女の事を恨んだ。




喪失

積み上げてきた想いと時間は、自分の誕生日に崩れ落ちた。悪い夢ならどうか、覚めて欲しい。

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