※及川義妹設定
「うわ〜っめっちゃ雨降ってんじゃん」
昇降口の外を見ながら及川が呟いた。
「台風らしいからな」
「まぁね〜…」
宮城には今台風12号が近付いてるらしく、ここ最近天気がずっと悪かった。雨と言っても普通の雨ではなく、打ち付けられるような雨。
近付くにつれ酷くなってるのは俺も気付いていた。
「まっつん傘持ってきた?」
上履きを脱ぎ、自分の下駄箱を開けて履きなれたローファーに足を通した。
「もち」
「まじか〜ッ!!」
「忘れた?」
「そう」
「台風なのに傘忘れるバカどこにいんだよ」
及川は顰めっ面しながら渋々「ここにいます」と言ってきた。流石にバカだと思う。
「岩泉と花は?」
手に持っていた傘を下に向けて開く。父親から貰った傘は少し錆び付いていて鉄の匂いが鼻をくすぐる。
「2人とも委員会」
後に継いで及川がそう言った後、「何でこんな日に限って雨なんだし」だのなんだのとぶつぶつ愚痴っていた。
「あーそうだったな」
下に向けていた傘を上に差して大きな溜息を吐いた。すると顰めっ面だった及川の顔が急にニヤニヤし始めて、俺の肩に手を寄せた。
「ってことでまっつん傘入れて♡」
「…は?」
思わず反射的に口に出てしまった。薄々気付いてはいたけど。
「は?じゃない大事なチームメイトでしょ〜?」
と、いつも通りの笑顔で言ってくる。数秒の沈黙が流れた後、また大きな溜息を吐いて肩を落とし、「はいはい」と適当な返事をして及川と雨の中を歩いた。
───
十一月
夏が終わり、より一層寒くなった頃。
受験まで二ヶ月を切った。春校予選は敗北。俺達に残されたのは勉強だけだった。
毎日放課後に足を運んでいた体育館も、部活終りにみんなで集まった部室も行かなくなった。引退とはこういう事なのか、と胸が抉られた。他にする事が無いと言っていいくらい本当に何も残らない。
何も、
「じゃ、まっつん俺こっちだから。傘ありがと!」
我に返ると、いつも通りの及川の帰路に着いていた。
帰り道、ずっと無言でも及川が何も言わなかったのは多分、薄々気付いていたんだと思った。
「おう。風邪ひくなよ」
「あったり前でしょ!まっつんもね!」
俺の背中をバシッと叩いてニカッと笑って見せた。そして及川はもう1度俺に手を振ってから雨の中を走っていった。
及川の姿が見えなくなるまで目で見届けてから、歩く方向を変えて歩く。
制服のポケットからスマホを取り出してLINEを開く。新着メッセージはなく、ある人とのトークを開いてみるが既読がついて終わっている。
「…」
「来るわけないか」と自分に言い聞かせてスマホをポケットに戻した。
数分歩くといつも差し掛かる精肉店が目に見えた。どうやら台風で店が閉まってるみたいだ。雨宿りしている人がいるだけでさほど気にはならなくそのまま歩いた。
丁度、精肉店の横を通る時にその子が自分の知り合いだと気付いた。
「名前ちゃん」
気が付けばその子の前に立っていた。
無意識のうちだった。きっと脳が、体が反応したんだと。
「松川先輩」
タオルで制服を拭いていた手を止め、少し驚いた顔でこっちを見上げていた。雨のせいか、彼女の髪の毛は濡れている。普段より少し色っぽくて胸がきゅっ、とした。
「傘、ないの?」
そう聞くと彼女は一瞬固まるも、頬を掻きながら目を逸らした。
「…ちょっと、まぁ。壊れちゃって」
本人は気付いていないかも知れないが、これは彼女が嘘をつく時の仕草だ。彼女が嘘をついたのなんかすぐに分かった。及川が言っていた。名前ちゃんが学校でいじめられているだとか。本人は隠している様だが、さすがに兄にはバレていた。
視線を下に落とし、よく見ると彼女の手は少し汚れている。その手が、今日あった事を物語っていた。そんな痛々しい彼女の事を考えると虫唾が走って、居ても立ってもいられない気持ちになった。
「名前ちゃん、一緒に帰ろうか」
そう言った後、彼女はハッとしてから唇を噛み締めて、こくこくと首を縦に振った。一旦傘に付いた水滴をはらってから、彼女の汚れた手を取って今日あった出来事を隠すかの様に手を繋いで雨の中を歩いた。
「…にしても寒いな。真冬になったら俺死ぬかも」
「これからもっと寒くなりますよ」
「確かにな〜また雪降る季節になるのか」
「早いですね、時って」
「…一年経つ度に歳とってって、あっという間におじいさんになるんだろうな。まぁ俺、老け顔だから何とも言えないけど」
「急に笑いとるのやめて下さいよ…」
いつも通りの彼女の笑顔見て、安心した。今はこれでいい。このままでいい。
自分の事で心配されるのを彼女は嫌がる。
それを知っていたから無駄な干渉はせずに、ただ、ひたすらに、彼女の心の在処を必死に探した。
────────
「まっつん〜今日飲みいこ!」
「急だな」
二十四歳の秋。
社会人になって二年が経つ。及川と偶然にも同じ会社で働いていて、また高校の時のようによく話すようになった。高校卒業してからも何回かバレー部のメンバーで会う事があったが、就活を機に会う回数も減っていった。でもこうしてまた話せるのが自分の中では嬉しかった。
「じゃあ、いつもんとこ行くか」
そう言いながら及川の背中をとん、と叩いて歩いた。すると及川は、「さっすが!」と言って俺の所に走ってきた。
「お待たせしました〜もつ煮と串の盛り合わせです!」
いつもの店でいつものメニューを頼んだ。置かれた途端にすかさず手を伸ばして口に頬張る。
「うま」
「ほんとにここのもつ煮美味しいよね。毎日来たくなる」
そう言って及川も何口か口に頬張った。少し経った後に口を開いた。
「急に飲みに行こうとか。なんかあった?」
及川は一瞬固まるも、目を逸らしてから「…バレたかぁ」と口にした。こういう所は名前ちゃんに似てるなぁ、とそんな事を考えた。
「バレバレ」
そう言って水を飲んだ。
「…名前と暮らそうと思ってさ。なんだろ、相談的な感じ」
彼女の名前を聞いて体が反応した。悟られないように水を飲んで平常心を保つ。
「住めばいいんじゃない?それだけでしょ」
「そうなんだけどさ、なんて言うか、一緒に住んだら欲が溢れそうで」
「下ネタ」
「いやまぁ下ネタなんだけどね!?割と真剣なんだよ!?」
カッとなった及川は、そう言いながら俺の肩をガシッと掴んできた。軽く引っぱたいて「落ち着け」と言って、静かにさせる。
「…」
煙草を吸って、吐いた。煙が及川にかかって、少し顔を顰めていたが、気にしない事にした。長い沈黙を消すように、重い口を開く。
「まだ好きなんだな」
それを聞いて及川はハッとした。少ししてから目を細めて彼はこう言った。
「…好きに決まってんじゃん。好きになってくばかりだよ」
その目はまるで、愛する人を見る様な目だった。彼女の事を話す時、本当に幸せそうな顔をする。それを横で見ている俺は、毎回胸が抉られた。
「そう」
吐き捨てる様にそれだけ残した。そうか。まだ好きなのか。そうだろうと思ってた。
でもどこかで、彼女ではない他の女の話が出る時を俺はいつも期待していた。そんな時が来るはずもなく、及川の口から出るのは名前ちゃんの事ばかりだ。
なんだか自分が情けない気がしてきた。そんな自分にイライラしながらも、及川の相談にのった。
────────────
及川を助手席に乗せて車を走らせた。すると、だんだん車窓に水滴が着いてきて、最終的にはどしゃ降りの雨が降った。
「うわ〜めっちゃ降ってんじゃん」
「台風来るの忘れてた。洗濯物取り込んでない詰んだ」
「まっつん主婦かな??」
「一人暮らし舐めんな」
「いや俺も一人暮らしだよ??洗濯物くらいするよ??」
そんな何気ない会話をしている内にゴゴゴ、と音が鳴った。その音は光り、より一層音を大きくしてまた光った。
「今の近い」
「な。俺が車で良かったわ」
「まっつんに感謝」
三十分程車を走らせると、及川の家に着いた。車を停めると、何秒かの沈黙が続いた。
「ずっと気になってた事聞いてもいい?」
「うん」
そう答えると、真剣な顔をして及川が口を開いた。
「まっつんて好きな人いた事ないの?」
及川の事だから変な事を聞かれるのであろうと思っていたが、それは想定外だった。その上気付いてないのは驚いた。及川は勘が鋭いから、てっきり気付いてるのかと思っていた。
「好きな人いるけど、聞かない方が身の為」
「え、何それもしかしのゲイ?」
「何でそういう思考しか出てこないんだよ」
「身の為とか言うからじゃん〜」
車のナビゲーションを切って、煙草に火を付けて吸った。煙草の煙が車内に充満して、鼻をくすぐる。
「好きな人知りたい」
そう言う及川を横目で見ながら、またも煙草を吸った。
「知らない方が身の為だって言ったろ」
「それでもいいよ」
俺の言葉に被せるように言った。本当に気付いてないんだと改めて思った。隠してきたけど、ここで言わないと多分及川は帰らない。大きく深呼吸してから重たい口を開いた。
「名前ちゃん」
彼女の名前だけを吐いた。返事が返って来るわけもなく、及川は黙っていた。ただ、どしゃ降りの雨が車窓を打ち付ける音だけ車内に響いていた。
「分かったんなら帰って。俺からは何も言う事ない」
そう言うと、及川は何も言わずに車から出ていき、雨の中を走っていった。車のドアを強く閉めたのは、きっと、怒っていたんだろう。早く家に帰りたい衝動に駆られて、すかさず車を走らせた。
十一時四十分過ぎ。台風とどしゃ降りの雨で渋滞していた。軽い渋滞で良かったものの、雨とさっきの出来事で気分が悪い。
「…まだかよ」
イライラしながらも渋滞から抜け出すのを待っていた。
二十分程奮闘していると、やっと渋滞から抜け出せた。生憎、雨は土砂降りのままだが。いつも通りの帰路を車で走っていると、近くの古びた店の屋根で雨宿りしている人を見つけた。
途端、帰路から外れ、近くの路上に車を停め、自分が濡れるのを関係無しに無我夢中でその店まで走った。
「…名前ちゃんっ、」
無意識に、体が勝手に動いていた。雨宿りしているのが彼女と分かった途端の事だ。
息を切らして、膝に手をつけて肩呼吸をした。彼女の汚れた靴が視界に入った。
「えっ、松川先輩…?」
あまりの急さに彼女は驚いている様子だった。まぁ、急に大男が雨の中走ってきたらそりゃ誰だっでビビるわな。
「帰り道なんだよ、この道。通ったら名前ちゃんがいてさ、人違いだったら恥ずかしいけどな、でもそんな気がしたんだよ」
「そうだったんですか…急に雨が降ってきて傘も持ってないし、どうしようって思って」
「そっか。俺も急に降るとは思ってなかった。終電は大丈夫?」
そう聞くと彼女は一瞬目を逸らして、頬を掻きながら「…逃しちゃいました」と答えた。タクシー代でも出そうかと思ったが、それよりも先に彼女に風邪を引いて欲しくない気持ちの方が大きかった。
こういうやりとりが、六年前にもあった。
丁度この時期で、台風がきて、彼女が雨宿りをしていて。でも今は同じ状況といえど、お互いもう大人だ。子供の頃とは違う。彼女の濡れた髪は、六年前よりも伸びていて、顔立ちも綺麗になっている。
何故か俺はこのまま帰ったら、もう彼女には会えない気がしたのだ。そんな不確かな事を頭の中で考えていた。
「久しぶりですね、何年ぶりですか」
彼女の大きくて透き通るような、目に見据えられた。
変わってない。この子に何年も片想いをしていたのだ。そして、この片想いを拗らせて後戻り出来ないまま、大人になった。なんて情けない。
「六年ぶり?」
目を細めて彼女の濡れた髪に触れる。
「スーツ濡れてますよ、風邪ひいちゃいます」
彼女はハンカチで俺のスーツを拭こうとした。そしてその手を掴んで、彼女を抱き寄せる。
もう、手遅れだった。限界がそこまで来ていた。めちゃくちゃにしたい。その髪も、彼女が誰かに募らせてる想いも、全部ぶっ壊してやりたい。
「せんぱ、」
「ねぇ、名前ちゃん」
耳元で呟くように言うと、彼女はぶるっと身体を震わせた。
「家、泊まりにおいで」
_______
「…あっ、はぁ…」
薄暗い部屋で彼女の喘ぎ声が響いている。
「声我慢しなくていいよ」
彼女の腰を掴んでゆっくり動いた。
「…ふぅっ、んっ」
彼女は顔を赤くして、シーツを思い切り掴んでいた。白くて細い、触ったら壊れそうな程の華奢な身体。乱れた髪に、滴る汗。
何もかもが俺の理性を壊した。彼女を誰にも取られたくなくて、その一心であちこちに印を付けた。もう大丈夫だろうと、打ち付ける速度を速くした。
「んぁっ、あっ…!んんっ」
彼女の感じる所だろうか。それを見つけて優越感に浸る。
「ここ、きもち?」
「…っ!」
耳を甘噛みしながら言うと、きつく締まるのが分かった。
「…はぁっ、きゅに締め付けないで名前ちゃん、っ」
「…せんぱい、」
「きっつ…余裕ないな、おれ、っ」
大好きで大好きで仕方がなかった。考えればいつも彼女の事ばかりだ。高校の時からずっと。及川の妹だって知ってたにも関わらず、自然に、気付けば惹かれてた。
諦めようと思わなかった。思ったら全部崩れそうな気がして、一定の距離を保ってないと壊れそうな気がして。ずっと我慢してた。ずっと。名前ちゃん、俺知ってるんだよ。
及川の事が好きって。
知ってる。知ってた。ずっと。騙すような事してごめん。寂しさに漬け込んで振り向かせようとした俺はずるい奴だ。少しでも俺が入れる隙があれば逃さずに入り込んだ。でもそれ以上はいかなかった。入ったままで終わり。俺よりも及川の存在の方が大きい。勝てるわけが無いのにどうしても二人を裂けたかった。そんなん最初から無理な事だった。
「はっ、…う、げんかいっ、」
彼女を壊れるくらい強く抱き締めた。
一層の事壊れてしまえばいい。
「…ごめん、名前ちゃんごめん、及川じゃなくて…っ、ごめん、っ」
ただ、ひたすらに彼女を抱き締めて謝った。悔しくて、情けなくて、辛くて、涙が止まらなかった。息をするように彼女を愛した。壊れたら壊れたで直せばいい。
「松川一静」という大きな傷を抱えて生きてけばいい。そしたら俺も傷を抱えて生きてくから。
だからもう少し、あとほんの少しだけ夢を見させて。
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