「佐久早選手、本日3回目のストレート!」



いつもより早く終わってしまったバイト。帰宅してご飯を食べて、お風呂に入った後に何となくつけてみたテレビ。その画面の向こうに彼は居た。

佐久早聖臣。
あまり思い出したくない人物。久しぶりに聞いたその名前に、思わず目を見開いてしまった。


「あと2点で2セット獲得!さあ、次はどんな強烈サーブが来るのでしょうか〜?」


高校の時よりも確実に伸びている背。少しガタイが良くなっていて、髪が短くなっていた。唯一変わっていなかったのは、バレーに精一杯な事だけ。


「かっこよくなったなあ...」


自分の口からぽろりとでたそれは、テレビの向こうにいる彼には届くはずもなく、消えてった。しばらくぼうっとしていると、次の画面でまた彼がサーブを決めた。わあぁ、と声援で溢れ、盛り上がる。実況者も興奮して次々と言葉を発していく。

彼を見ていると胸が苦しくなる。嫌な過去が、思い出したくない事まで鮮明に蘇ってきてしまう。





3年前。

高校2年生の時、彼と付き合っていた。告白してきたのは聖臣の方からで、私はその前から気になっていたから、告白されてとても嬉しかったのを今でも覚えている。私は吹部で、お互い部活をしていたからあまり時間が合わなかったけど、それでも帰れる日は一緒に帰ったり、オフが被った日はデートしたりとか、本当にそこら辺の恋人達となんら変わりない恋愛をした。

そして何より、彼にとても大事にされていた事。

連絡はすぐ返ってくるし、毎日「好き」と言ってくれたり、体調を崩してしまった時は部活帰りに家までお見舞いに来てくれたりとか、家が反対方向なのに、最寄りの駅まで送ってくれたりだとか。言ったら多分キリがない、他にもたくさんある。
そして彼は少し独占欲が強かった。異性の話をすれば、いつもブツブツと文句を言っていたし、クラスメイトと話していたら「そいつ誰。何年。なんてやつ。ドコ中」みたいな事言われて問い質されたりもした。

重いなんて思わなくて、純粋に私の事が好きなんだなって思ってた。彼は嘘はつかない。いつもいつも素直だった。愛情表現がとても上手で、その口から溢れ出てくる想いを全部受け止めては、私もいっぱいいっぱいに返した。

そうやって過ごしていって1年が経とうとした頃。受験を控えている中、私は突然彼の隣に居るのが怖くなってしまった。

バレーがすごく上手くて彼が有名な選手なのは知っていた。スカウトが来て、大学に入学して、多分彼はきっとすぐに全国の場で活躍する人となる。キラキラとした未来。そんな輝かしい将来が確約されている彼の隣に、私は居てはいけない。彼と違って私は、普通に大学に入学して、就活して、卒業して、働いて。本当に普通の人生を歩むと思う。彼の隣に相応しい人ではない≠サのプレッシャーが一気にのしかかった。私と幸せになるよりも、もっと、こう、キラキラしている彼にはキラキラした人がお似合い。月と星のような、そんな感じ。

そうやってずっと悩んだ。「別れたい」と言ってもきっと別れてはくれないし、理由を言っても耳を傾けてはくれないと思った。だから私はあの日、こう言ったんだ。




『嫌いになったから、ごめんね』




精一杯声を出して言った。声が震えてしまったし、手も震えていた。下を向きながら涙がこぼれそうなのを我慢した。毎日毎日、想いを伝えていたから、余計に反動が大きいと思う。この言葉1つで大きく傷付けてしまうのは、私が一番よく知ってる。

しばらく経っても返事が返って来なかったから、恐る恐る顔を上げて聖臣の方を見た。いつもより眉間にしわが寄っていて、瞳がぐらぐらと揺れていた。今までに見たことない、今にも泣き出しそう表情。小さい声で『...なんで、』と。その声は震えていた。我慢ができなくなってぽろりと涙が落ちてしまった頃にはもう手遅れだと思い、逃げるようにしてその場から立ち去った。

それから連絡先も写真も全部消した。生憎、彼とはクラスが離れていたから会う事はほぼほぼ無かったし、そのまま卒業して私は大学生になった。


きっと、あの時の彼の表情は一生忘れない。今でも脳裏にこびりついている。


それから私は恋人が出来てない。出来てないというよりかは、作っていない。告白されても全部断ってきた。明確な理由は自分でもよく分かっていないけど、彼に対しての罪滅ぼしになるかな、なんて思っている。

本当にバカだと思う。そんなので罪滅ぼしになる訳なんてないのに。彼がどれほど傷付いたかなんて、私は彼じゃないから心の痛みなんて分からない。かと言って今更修復なんて出来ない。画面の向こうにいる彼は、当時私が思っていた未来と全く同じように、キラキラとしていた。


ほんとうに、かっこいいね。本当に好きだったんだよ、ずっと一緒に居たかった、あんな顔させたかったんじゃない、笑っていたかった、あなたの隣で、


数年間、蓋をしていた想いがぽろりぽろりと溢れてきた。本当はものすごく後悔している事、本当は今でも忘れられない事、本当は大好きで大好きで仕方がない事、未だにふたりの写真を待ち受けにしている事。振ったのは私の方なのに、情けない。明日で20歳になるのに、もう大人にならなきゃなのに。まだまだ私は子供だった。あの時のまま、時間がずっと止まっている。


『佐久早選手お疲れ様でした!いやあ、良い戦いでしたね』

『そうですね。手応えはいい感じです』


テレビに視線を移せば、聖臣のチームが勝っていた。実況者や記者の質問に淡々と答えていく。彼は本当に遠い存在になってしまった。


『佐久早選手はいつもどんな事を考えていますか?例えば〜んー、生きる糧があるように、試合を頑張れる糧があったりするんでしょうか?』

『...あぁ、まぁ、はい』
『おぉ、どんな事でしょうか?』


その記者の質問は、別に変な事ではかったと思う。簡単に言えば頑張れる理由はなんですか、とただ普通の質問。好きな人だったりするのかな、彼女だったりするのかな。考えたくないのに考えてしまう。自分で自分の傷口を開いているのと一緒なのに、どうしてもそういう風に考えてしまう。やだな、どうして手放してしまったんだろう。


『ずっと、好きな人が居るんですけど、』


耳を疑った。その相手が自分という確信はこれっぽっちもないのに、何故か私は少し期待をしてしまった。何を今更、馬鹿なんじゃないの。彼が、私を忘れられないままでいるのかなんてそんな不確かな事。あんな酷い振り方をしたのに、期待なんて持ち合わせるもんじゃない。違かったら傷付いて泣く癖に、本当にバカ。


『少し早いんだけど、誕生日おめでとう、名前』


一瞬息が出来なくなった。彼はカメラに向かって少し笑っている。なんで、どうして、私の誕生日、


『これで観てなかったら相当恥ずいですよね』


なんて少しうつむき加減で言った。じわじわと眼球の奥が熱くなっていく。溜まりに溜まった涙が頬をつたう。すると、止まらなくなってぼろぼろと流れてしまった。

彼の記憶に私がまだ残っていた事に、そしてまだ彼が私を想っていた事に、全部信じられない。けどこれは本当なんだと。その反面、私という存在が彼にまとわりついてしまっていた事。嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちが入り交じって余計に分からなくなってしまった。

両手で抑えても涙は止まってはくれなかった。それどころかずっと溢れてきてしまって、もうどうする事も出来ない。




あの時のまま、ずっと止まっていた時間が、ゆっくりと動き始める。

10代最後の夜。最愛の人を想い、部屋の片隅で嗚咽のように泣いた。




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