志村と田村



 彼女に出会ったのは、一年前の、高校の入学式の日だった。式の会場である体育館へと入場するときに、なぜか彼女は盛大に転び、先生生徒保護者は勿論のこと来賓すらも含めた注目の的となった。あの一瞬の出来事を僕は未だに忘れることが出来ない。そして一年が経った今この瞬間、その彼女が僕の目の前で再び盛大に転んでいる。きっと僕は来年になっても再来年になっても、この日のこの場面を覚えているだろう。なぜなら、彼女のパンツを思いっきり見てしまったのだ。

「み、見た?!見てないよね、ね!?」
「志村のパンツなんて見てない。水色のパンツとか見てない」
「ああああ!!!?見た!見てる!!」

 志村は即座に立ち上がり、無意味に手を動かしながら力いっぱい焦っていた。耳まで至る赤面。耳を劈く様な高音の絶叫。静かだった放課後から、突如犯罪の匂いが漂い始める。幸運な事に、この場には僕たち以外誰もいなかった。窓からオレンジ色の西日が差しこむ廊下。面白いほどに慌てふためく志村と、それを眺める僕の二人だけ。犯罪者なんてどこにもいない。いないし、なるつもりもない。

「田村の馬鹿!!」
「はあ?僕の目の前で勝手に転んだのは志村だろ。僕だって好きで見たわけじゃない」
「そりゃ…いや、好きで見てたら頭おかしい人でしょ!?」
「健全と言えば健全?」
「セクハラ!女子高校生にセクハラするとか最っ低!警察に逮捕されちゃえバーカバーカ」
「セクハラってなんだよ。だから、お前が勝手に、パンツ見せて来たんだろ?み・ず・い・ろ・の」
「ああああもう許さない!殺す!ぶっ殺して校庭で大の字に寝かせて上からチョークの粉かけてやるんだから!!」
「パンツ如きで嘘みたいに猟奇的だな」
「女子高校生のパンツは聖域なんですー。パンツが絡むと、女子の行動は全て正当化されるんですー」

 無茶苦茶だ、と僕は口に出そうとしてそれをやめた。ついさっきまであった羞恥心は、『水色』という合言葉によって何処かに飛んで行ってしまったのか、パンツパンツと連呼する志村を横目に、僕は、志村の後方、そして僕の前方から迫り来る、日本史の横田先生に視線を合わせた。横田先生が近づいてきているのなんて気が付いていないのか、志村はさらにパンツ!と大声を出す。

「だからパンツの罪は殺人より重いの!!分かっ…」
「パンツ?」

 唐突に、しかも背後から横田先生が話しかけたせいか、志村は文字通り飛び上がって見せた。人間、本当に驚くと声より先に飛ぶらしい。

「よこたせんせ、い?」

 志村は、漫画だったらぎぎぎと擬音が付きそうな振り向き方をする。僕は吹き出しそうになるのを必死に耐えながらその様子を観察することにした。横田先生の、困ったような笑顔が志村を襲う。こんなふわふわした人にパンツなんて単語を言わせてしまった罪悪感からか、志村は氷づけにされたように固まった。

「そんなに大きな声で、パ、…パンツって言わない方が良いと思うよ?」
「はい…以後気を付けま……」

 志村の声は最後が聞き取れないほどに小さかった。なぜなら、まと発音を開始した時から、とんでもなく殺意に満ち満ちた目で僕を睨み、般若を背負って凄んでいるからである。僕を睨みつけることに意識が言ってしまっていたからか、言葉が最後まで出なかったのだろう。と言うか、なぜそこまでこの志村に恨まれなければいけないのか僕には分からない。僕はパンツを見せつけられた被害者だ。加害者はもちろん志村。
 チャイムが鳴った。それに促されるように、横田先生は僕たちに向かって慈母のように微笑みかける。

「ほらほら、チャイムが鳴ってるよ。今日は部活動もないんだから早く帰りなさい」
「はい。今すぐ帰ります」

 僕は素直に返事をした。その返答を聞いた横田先生は、じゃあまた明日と言い残して職員室がある方向へと歩いて行った。廊下に二人だけが残される。また二人きり。志村の顔は怖くてまともに見ることが出来なかった。
 ぞわり。まだ九月だと言うのに背筋に寒気を感じた。嫌な予感がする。いや、もうそれは確定事項の様で、何年も前から決まってきた覆すことが出来ない運命のようなものなのかもしれない。悲しき縁か、前世の業か、志村と僕は帰る方向がほとんど一緒なのだ。近所も近所、彼女とはお向かいさんと言うかなり親しい間柄なのである(志村は高校入学を機にこっちに越してきたので、親しいと言ってもたかが二年の付き合いだが)。帰るタイミングをどうにかしてずらさなければ。そう思いながら志村の顔を見る。と、彼女の頬に、絶対に逃がさない確実にぶっ殺す、と荒々しく書かれていた、気がした。

「さて、僕は図書館に本を返しに…」
「一緒に帰ろう?」
「図書か…」
「一緒に帰るよねー!ねー?」

 女の子は怖い生き物だとじいちゃんが言っていたのを思い出した。確かに怖いよじいちゃん。だって、怒りを含んだ声音を発しながら、口元は笑い、目が笑ってないから。こんな芸当怖い生き物しか出来ない。

 次の日僕は、肩に大きな痣を作って登校することになる。幸か不幸か、合服のせいでその痣が友人一同の目に触れることはなかった。



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