薔薇の花束



 十月十五日。薔薇は十一本だった。またメッセージカードが添えられていた。メッセージカードには、汚い字で私の名前が書かれていた。
 認めたくはないのだか、この花束に少しだけ慣れてきている自分がいた。カードを開くことを躊躇わない自分がいた。
 薔薇はゴミ箱に捨てた。その上から散らすように、メッセージカードを破き捨てた。
 この迷惑な薔薇の花束のプレゼントは、一体いつまで続くのだろう。いつになったらやめてくれるのだろう。いい加減警察に行こうか。でも。これ以外に、薔薇の花が届くこと以外に、被害がない。

*

 彼女の名前は以前から知っていた。Tと言う可愛らしい名前だ。彼女によく似合う良い名前。僕はその名前を知ってはいたが、当然、呼ぶ機会はなかった。
 花屋に行って十一本の薔薇を買った。赤い薔薇に赤いリボン。
 メッセージカードには彼女の名前を書いた。利き手ではない方で書いたので、その字はとても汚かった。僕が書いたこの文字を、彼女はちゃんと覚えていてくれるだろうか。彼女の印象にどれだけ残すことが出来るのだろうか。その事が不安だった。

 花を贈った次の日。僕は見てしまった。
 いつものように二人で通勤している時に突風が吹いた。そして彼女は、靡く髪を手で押さえた。その時に僕は見てしまったのだ。
 彼女の左手の薬指には、朝日を受けてきらきらと輝く指輪があった。婚約指輪だろうか。あんなもの昨日までなかったのに。どうして。
 彼女は他人の物になるのか。なんて、身勝手な事を考えた。きちんと話したこともないのに。僕と彼女の接点は、薔薇の花束。それも僕が一方的に贈りつけているだけの、薔薇の花。きっと彼女は気味悪がっているだろう。差出人不明の贈り物に戸惑い、気持ち悪いと思いながらゴミ箱に捨てているのだろう。
 そんなこと初めから分かっていた。花を贈ろうと決めた時から、当然予想は出来た。だけど。それでも良かった。彼女の生活に。彼女の記憶に。僕と言う存在を、密やかに確実にねじ込むことが出来るだけで、僕は幸せだった。彼女にとって僕は不審者なのだろう。不審者。不審者は他人ではない。その他大勢ではない。個人としての、認識。
 それでいい。

*

 十一月十五日。薔薇は十一本だった。バースデーカードが添えられていた。開くと黄色の花びらが一枚挟まっていた。
 吐き気がした。どうして十一月が誕生月だと知っているのか。眩暈がした。壁に手をつき、倒れそうな体を支える。花束が床に落ちた。その薔薇が、憎くて。憎くて。仕方がなかった。どうして私がこんな思いをしなければいけないのだろう。私が何をしたのだろう。
 薔薇の花をゴミ箱に捨てた。私は、知らないうちに泣いていた。
 そして。

*

 彼女の姿を見かけた。隣には男がいた。見たくなかった。知らない他人と結婚するのではなく、その、彼女の隣にいる、そいつと結婚するのだろうか。結婚。婚約者。そうか。そうか。
 どうにか、しなければ。
 後日、花屋で黄色い薔薇を買った。ネットで調べた。黄色の薔薇の花言葉には、いい意味もあればよくない意味もあるらしい。黄色いバラの花言葉は、“薄らぐ愛”“嫉妬”。
 彼女は気が付くだろうか。気が付いてくれるだろうか。僕はそう思いながら、黄色の薔薇の花を千切った。一枚一枚花弁を解して、一番綺麗なものを、一枚の花弁を、選びあげた。そしてその特別な花弁を、バースデーカードに挟んだ。
 作業中に男と目があった。
 僕は立ち上がり、その男へと近づく。床で転がっている男の目には、様々な感情が籠っているように見えた。男の顔に汗が伝う。涙なのかもしれない。まあ、どっちでもいい事だが。

*

 今日、十二月十五日。届いた薔薇は、十一本ではなかった。
 数十本の薔薇の花。赤色の包装紙に、みっしりと包まれた薔薇の贈り物。花束と言うよりも、それは深紅の塊に見えた。玄関先に放置することも出来ないので、抱え上げて部屋に入る。それは大きくて重かった。
 この大きな花束をどうしようかと戸惑っていると、私の腕に何か、水のような何かが伝い落ちてきた。リボンで纏められた茎の部分から、つうっと何かが流れてきて。

 冷たかった。水だろうか。そう思い、濡れた場所を手で拭う。拭った掌を確認すると、赤かった。赤い水だった。絵の具のような。赤錆びのような。血のような。
 私は驚いて腕を見た。拭った時に色が伸びたのだろう、私の腕の一部分は薄く、赤みがかっていた。その上には赤い線が。赤い線があった。それはじわじわと染みだすように、花束から、流れていた。
 息をすれば、匂いがした。鉄のような。知っている匂いがした。恐る恐る、赤く染まった掌を嗅いだ。血の匂い。赤い液体は血だった。血。

 血だと理解した途端、背中から寒気が駆け上がってきた。肌が粟立つ。怖い。気持ちが悪い。部屋中が、吸い込む空気が、内臓が、氷水の様で。悪寒がする。
 怖い。薔薇が。血が。どうして。薔薇の花の。血。プレゼント。花束。薔薇。薔薇の花弁。赤い。血。蕾。赤黒い血。血。
 私はその花束を床に投げつけた。硬い音がした。花束なのに。硬い、音が。
 花が散る。薔薇が散る。花弁が舞う。ひらひらと。壁に血が飛んだ。床が赤く染まる。目の前に広がるのは、薔薇。薔薇。薔薇。
 花束の中に何かがあった。薔薇の隙間から顔を見せたそれは、ごろりと、花弁の上に転がった。楕円形の何か。歪な。血が塗られた何か。楕円の、血の正体。頭だ。人間の。知らない人の、頭。
 私はそれを見て、意識を手放した。

*

 九十九本の薔薇の花束には、“永遠の愛”と言う意味があるらしい。永遠。そう、僕は君を永遠に、誰のものでもない君を永遠に、愛している。僕の物にしたいだなんて烏滸がましい願いはない。ただ、愛していたい。
 そして出来る事なら、僕の事を、花束を贈る見知らぬ誰かの事を、永遠に覚えていて欲しい。
 彼女は今、何を考えているだろう。あの贈り物を見て何を思ったのだろう。人間の頭部が入った、九十九本の薔薇の花束を見て。
 彼女はあの花束を気に入ってはくれないだろう。だとしても。きっと、あの贈り物は、彼女の記憶に、印象に、心に、人生に、深く、深く、根差すことが出来ただろう。彼女は一生、あの頭を、顔を、忘れることは出来ないだろう。見知らぬ顔を。僕の顔を。
 そしてもし、彼女があの頭の検死結果を知ることが出来たのなら、どんな思いをその胸に抱くのだろうか。どんな顔をするのだろうか。僕の顔に似せたあの頭部が、元々は婚約者の頭だと知ったら。

 警察に捕まる前に、僕はもう一度彼女に会えるだろうか。
 もう一度彼女に、直接薔薇を渡すことが出来るだろうか。
 もう一度彼女に、面と向かって言うことが出来るだろうか。

 薔薇の花束を持って、お届け物です、と。



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