染みの色は

 一本の電話のせいで、私は田舎に帰省することになりました。子供の頃を過ごした、あの家に――。


 私が子供の頃に暮らしていたのは、母方の祖母の家でした。築五十年をとうに越すような古い家でしたので、至る所にガタが来てはいましたが、私はその家の事を気に入っていました。
 罅が入った土壁。何度直しても雨漏りをする天井。歩くとみしみしと音を立てながら撓る床。傾斜が急すぎる階段。陽の光が差し込まない座敷。白くて細い線香の煙。祖母の家に引っ越した当初は、まだ幼い時分でしたので、始終どこかが暗いその家の事を薄気味悪く感じていたものです。しかしそんなものは、幼子ゆえの好奇心のせいか、日が経つにつれてすっかり和らいでいきました。
 祖母の家を出て十年経った今でも、その光景を懐かしい思い出として、瞼の裏にありありと描くことが出来ます。

 電車を乗り継ぎバスを乗り継ぎ、私はそこへ帰ったのです。最寄りのバス停で下車をして、寂しい田舎道を十五分ほど歩きました。祖母の家がある場所は大層な田舎ですので、当然都会のように光が満ち溢れてはおらず、街灯すらがぽつりぽつりと、数十メートルの間隔で点在するばかりでした。際立つような眩しく白い光はありませんでした。満月の光ばかりが田畑を煌々と照らしていました。
 祖母の家に着いた頃には、もうすっかり夜に包まれていて、その深々とした穏やかな闇になにもかもが浸っていました。
 玄関へと向かう途中に、家の前に広がっている庭が目に入りました。夜色に染まった庭。細かな輪郭が分からないほど黒い庭。月夜に沈んだ庭。
 そんな庭を見て、私は昔を――子供時代の記憶を、ぼうっと思い出したのです。


 当時の私は、生き物の事がなにより好きな子供でした。鬼ごっこやかくれんぼ、誰かの家に集まってテレビゲームをして遊ぶよりも、樹木や野の花、トンボや野良猫を見て回るのが好きな、同年代の子たちとは少し異なるような遊びをしていましたので――と言っても大人たちには何も言われない程度ですが――子供の集団からは、ある意味で浮いたような子供時代を過ごしていました。
 そんな私の遊び相手は同級生ではなく、祖母でした。祖母と一緒に野原や山、竹林や田畑で遊んだことをよく覚えています。勿論この、祖母の庭でも遊びました。
 
 庭には、花が沢山咲いていました。春には春の。夏には夏の。それはもう様々な種類の花が代わる代わるに、絶えることもなく庭中で咲いていました。
 咲き並ぶチューリップ。太陽に手を伸ばすヒマワリ。朝露に滲むアサガオ。大きな葉を揺らすエンジェルトランペット。造花のようなガーベラ。木陰に佇むキキョウ。布細工に見えるグロキシニア。硬さを主張するガザニア。大勢のポーチュラカ。小さく豪快なミニバラ。夜に輝くゲッカビジン。大輪の、アマリリス。
 それから。それから。
 ベゴニア。プリムラ。スイートアリッサム。ノースポール。カンナ。ビオラ。クロッカス。ケイトウ。タイツリソウ。シクラメン。サルビア。
 どの花がどの時期に咲いていたのか、残念なことに今の私は覚えていません。名前と花の雰囲気だけは覚えているのに、どうにも明確な季節だけが思い出せないのです。記憶の海に潜っても、思い出すのは、手を土まみれにしながら花を植えている生前の祖母の笑顔だけでした。

 祖母が取り仕切っていたその庭には、花以外にも沢山の生き物が住んでいました。
 家の周りを何度も巡回するトンボやハチ。黒い羽根に青い線が入ったようなチョウ。カラタチの近くをひらひらと飛び回るキアゲハに、白くて大きなカンナの花に止まるカラスアゲハ。暑い暑い夏の日差しの中、私はそのような景色の中を駆け回っていました。
 夜に窓から見る景色も、私にとっては面白くありました。昼間のように庭全体へと降り刺していた太陽がありませんので、庭はただの暗闇となっていましたが、その代わりに、部屋から漏れだす蛍光灯の白い光に誘われた虫らが、窓にべたりと張り付いていましたので、私はそれをよく眺めていました。
 我が物顔で窓硝子の表面を移動するクモ。大きな翅を見せつけながらじっとして動かないガ。無謀にもそれを狙う小さなヤモリ。点描のようなたくさんの羽虫。
 その様子を、私は飽きることもなく眺めていました。それはまるで一枚の絵のようだ、と私は子供ながらに思っていたのです。立派な額のような窓枠と、それに嵌め込められた磨り硝子は、どう見ても、見事なキャンバスに違いありませんでした。


 思い出に浸り終わり、ふと我に返った時には目の前に母が横たわっていました。



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