染みの色は

 それは母であり、死体でした。母は白装束に包まれて、棺の中に納められていました。私は母の葬儀に出席するために、帰省したのです。
 ああこうなったのか。私が母の遺体を見て思った感想は、たったのそれだけでした。自分でも笑ってしまうほどに、私は母の死に顔を見ても、大した哀しみを感じませんでした。どうやら私にとって、『産みの親』の死と言うものは案外どうでもいい物なのだなと、まるで他人事のようにすら思いました。

 私は、薄情なのでしょうか。
 ですがこの、棺の中で眠る母とは、母娘らしい会話どころか、一般的な親子や家族のような会話を、日々を、なにもかもを私は経験していないのですから、感情が浅いとしても仕方がないような気がします。そもそも私は、母が祖母の家で暮らしていたと言う事実も、訃報を聞いて初めて知ったぐらいですから、母は母で、私に関心を持っていなかったのでしょう。薄情なのはお互い様、だと思います。
 語弊を承知で言いますが、母とは、謂わば他人なのです。産みの親でしかない母の死は、他人の死と同じでした。碌に会ったことも、話したこともない母。棺の中で眠る母は名義上の母であり、血の繋がりがあろうとも、私からすれば家族ではないのです。
 私の『母』は、『育ての親』は、祖母でしたので。

 祖母が死んでしまった時、私は小学六年生でした。私の十二歳の誕生日の二日後に、祖母は急死したのです。死因は心臓発作だと聞いています。祖母が死んだ事実を受け入れられなかった私は、一時期、引きこもりのような生活をしていました。一日中泣いていました。数週間もの間、泣いていました。
 不幸中の幸いですが、祖母が死んだのは春休みの最中でしたので、私がそのような生活を送ったとしても、心配されるようなことはありませんでした。ありませんでしたし、そもそも、心配してくれるような間柄の人がいませんでした。これも、不幸中の幸いと言ってもいいのかもしれません。
 私は春休み期間中に、遠い親戚の家へ引っ越すことになりました。私の母は、母として生きてはいませんでしたので、私を引き取ることなく、勝手気ままに遊んでいたと誰かから聞かされたことがあります。今思い返せば、この時からでしょうか。母に対して、他人とは違う、所謂、親子の絆とでもいうような、特別な想いが消失してしまったのは。
 だからこそ、大人になった今でも、母を特別な人として見ることが出来ません。他人なのです。私にとっては。 

 母の死体はモノでした。母の死体の前で親戚に何を語られようとも、それはモノ以外には成り得ませんでした。
 祖母の死体は祖母でした。火葬されどんな姿になろうとも、私にとってモノには成り得ませんでした。

 母と祖母の死を経験することで私は理解しました。その物への関心が希薄であればあるほどに、コトだった事実とモノである現実の重さの差が開けていくと言う事を。
 死体を一目見てモノであると認識をすると言う事は、それがそう言うコトだった記憶の量が少なく、関係性が薄く、左程興味がなかった、と心の奥底で判別しているのだろうと私は思います。
 自身が興味を持ちえない生き物の死体とは、野良犬の死体とイコールなのです。興味を持ちえないモノ。例えそれが人であっても、人は知らず知らずのうちにモノとして勘定するのです。

 だから私にとって。母はモノ、なのです。

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