寒空と君と流れ星

 天気予報によると、今夜の予想最低気温は十度以下らしい。なぜこんな寒い日に流れ星を見に行かなければならないのだろうか。
 いや、普段から天体観測が趣味だとか星が三度も飯より大好きだとか、そういう理由があれば文句の一つ垂れずについて行ってやってもいいのだが、コイツ――春裾マコトは惑星の並び順すら正確に覚えていないようなヤツなので、どうせ今回の誘いも理由なんてものはない単なる思いつきだろう。どうして毎回俺が、アイツの思いつきに振り回されなければならないのか。
 俺じゃなくて、違う奴に声を掛ければいいのに。

 高校時代ならまだ分かる。高校に通っていた時は、何の因果か三年間同じクラスだったのでアイツと話す機会は今より格段にあった。俺達は単なるクラスメイトと言うよりも、一緒にいて楽しい友達という関係性を築いていた。が、大学に入ってからはお互いに心機一転、俺とマコトは別々の友人関係を作った。大学は同じだったが、大学内で鉢合わせしても、話すどころか挨拶すらしない。食堂で見かけたとしても、相手に近寄らずにそれぞれのグループで食事を摂る。休日だって大学での友人関係ありきの時間を過ごしてきた。
 そんな、大学では交流がほぼほぼないというのに、たまに、ごくたまに、マコトから連絡が入ることがある。しかも連絡があるのはスマホではない。俺が借りている部屋のドアポストにルーズリーフが一枚、投函されるのだ。

 今夜飯を食いに行く。午後六時にドアを叩くから。
 明日は朝から海に行く。午前七時にドアを叩くから。
 昨日の晩飯美味かった。来月もう一回食いたい。

 アイツの字はお世辞にも綺麗とは言えない。そんな字で書かれた、手紙と言うより電報に近い短いメッセージを、たまに、ごくたまに、俺が気付かない間にドアポストへと滑り込ませてくるのだ。
 今回の誘いも同様だった。見慣れたルーズリーフに「今夜流星群を見に行く。午前十二時にドアを叩くから。」と、いつもと同じ字で書かれていた。ネットで調べてみると、今夜はしし座流星群を観察できる日らしい。極大夜は日を跨いだ午前一時。つまり今夜の十二時過ぎ、日付が変わって一時間後が極大となるらしい。
 正直言って面倒だった。なにせ夜は寒いし、俺自体は星にもさほど興味はない。どこをどう流れたとしても感心を持てない流星群の為に睡眠時間を犠牲になんてしたくなかった。それに――何度も言うが、今夜の最低気温は十度以下だ。絶対に寒い。

* * *

 時計の針が十二を指している。現在の時刻は午前十二時。マコトとの約束の時間だ。
 あのルーズリーフの投げ文の欠点は、差出人が明確に分かっているというのに返事を出すことが出来ないところだ。俺はアイツが借りているアパートの住所も部屋の号数も知らないので、同じようにドアポストに手紙を投函することが出来ない。
 なので、手紙に関してなにか聞きたいことがあるときは大学でアイツを探し出し、こそこそと声をかけるしかないのだが、今回のように、俺から拒否されるだろうと予想できる内容の手紙を投函した場合は、マコトは大学内で俺と目が合うたびにダッシュで逃げてしまう。要するに話すことが出来ない。
 結果、約束を断ることが出来ない。
 悲しきかな、俺には拒否権がないのだ。いや、権利は有しているのだろうが、実行はさせてくれないのだ。横暴だ。自分勝手で自己中心的だ。高校の時から何も変わっていない。当時の記憶を遡っても、現在とほぼ同じアイツの姿が脳内に浮かぶ。あの頃から三年経ったというのに。いい加減他人にかかる迷惑の量を理解してくれ。
 今回も、約束を断ることに失敗してしまった僕は、大変不本意なのだが、マコトと天体観測に行く事になってしまった。

 ドンドン。ドンドン。ドアを叩く音がした。どうせアイツだろうが、念のためにドアスコープを覗いてみる。そこには厚手のパーカー羽織ったマコトがいた。最後の悪あがきに居留守でもしてみようかと思って少し観察してみると、開かないドアに痺れを切らしたのか、マコトが大きく息を吸い込んだ。
 今後の展開は予想できる。アイツは部活で培った無駄に馬鹿でかい声で俺の名前を呼ぶつもりなのだろう。おいおいちょっと待て。今何時だと思っているんだ。近所迷惑以外の何物でもないことが分からないのか。
 慌てて鍵を開けると、俺がドアを押すより早く、マコトがドアを引いた。

「…よう」
「なんだ、いるじゃん。いるなら早く出てよ。もう少しでご近所さんに迷惑かけるところだったんだけど」
「はあー?早く出てほしいならゴリラみたいにドアをドンドン叩くんじゃなくて、人間らしくチャイムならせよ。部屋の中で聞いてると、不審者か借金取りが来たみたいでドアに近づきたくなくなるんだって」「うっわなに?お前借金してんの?」
「バカ。例え話だよ。お前本当に国語力ないのな」
「冗談だよバカ。冗談を本気にするなんてお前本当に会話力ないのな」

 ハッと鼻で笑うマコトの顔にむかついたので、俺はドアを閉めようとする。直前、滑るようにマコトが中に入ってきた。玄関に適当に置いていた俺の靴に足を取られて転びそうになりながら、マコトは俺の肩を掴む。顔の近さとお互いの間抜け顔に二人して噴きだした。マコトが笑いながら口を開く。

「ほら、さっさと行くぞ。早く行かないと全部流れる。ばーって」
「はいはい。行けばいいんだろ行けば。俺が風邪ひいたらお前のせいだからな」
「これぐらいの寒さで風邪をひくのはカズマの体が弱いって事だろ?それはカズマのせいだ。自分の至らない部分を棚に上げて、なんでもかんでも人のせいにしてると素晴らしい大人にはなれないぞ」
「……素晴らしい大人になれなくても、今すぐにお前を追い出して鍵をかけることぐらいできる」
「ほう。やってみるか?」
「望むとこ……」

 ろ、と発音したとき、マコトが俺のスマホを奪い取った。貝殻ねこ――貝殻ねこはホタテの貝殻に挟まった猫のキャラクターで、絶妙な目の荒み具合とネガティブな台詞で一部の疲れた大人たちの間で人気を博している――のストラップが俺の目の前でゆらゆらと揺れる。さっきまで上着のポケットに入っていたはずなのに、一瞬で悪魔の手中に落ちてしまった。ストラップ越しにマコトがいたずらっ子のような笑みを浮かべているのが見える。
 
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