月城深玲の物語



 いずれ散ってしまうかもしれない小さく儚い物語。

 私、月城深玲は自らの運命を受け入れ、運命に抗い、肯定し、否定し、その瞬間瞬間を必死に生きた。それは忘れてしまいたい大嫌いな記憶。そして決して忘れたくない大切な記憶。そんな相反する想いは、いつか月城深玲でなくなった私自身を苦しめるのだろうか。だとしても。私にはその想いを捨て去ることなんて出来るはずがない。どんな過去だろうと全部が全部、この私が、月城深玲が、現世を生きた記憶であり戦歴なのだから。


 私の人生は平凡で、ありきたりな日々だった。…なんて人に言えば大抵可笑しな顔をされる。波乱万丈だと言われたこともあった。何故笑っていられる、お前の頭はおかしいと罵られたこともあった。不憫だと憐れに思われたこともあった。しかし、他人からどう思われようと私の見解は変わらない。私の人生は平凡で、ありきたりな日々だった。

 私が物心つく前に、母親は家から出て行った。ちゃんとした理由は分からない。が、きっと父が原因だろう。大人になった今でもそれ以外に思いつかない。家にあった母の写真は、父によって焼き捨てられてしまったので、私は母の顔を覚えていない。声も、温もりも、優しさも、愛情も、なにも覚えていない。私にとって母親と言う存在は、幽霊よりも虚ろで、幻影で、実体がないものだ。まるで本で読んだ空想世界の動物のような存在だった。

 私は父と暮らすことになった。父と私、二人だけ。父子家庭だからと言って悪い訳ではない。世の中にはいろいろな『家族』の形があって然るべきだ。当人たちが『家族』と呼べるのであれば形はどうあれ幸せだろう。だが私の家は劣悪環境のモデルケースのような、いっそ笑い飛ばしてしまえるほどに、底抜けに気持ちが悪いほどに、オカシイ父子家庭だった。
 そう思えるようになったのは私が就職してからだ。それまでは疑問すら持たなかった。
 当時の私はあの状況がオカシイ事だったなんて微塵も考えつかなかった。それこそ平凡でありきたりな『家族』なのだろうと思っていた。怖いぐらいに思い込んでいた。子供は単純で純粋で環境への適応力が高い。だからこそ私は、救いようのない地獄に、素っ裸のままで、何の疑問も感じずに灼熱地獄のど真ん中に座っていられたのだろう。

 父は働いていなかった。理由は知らない。今思えば、アレは真面目と言う言葉から遠く離れた場所で息をするような生き物だったように思う。国からの支援金をしたり顔で貰い受け、それを全てギャンブルや酒で溶かすような人間だった。酒に溺れ、気まぐれで私を殴り飛ばし、大きな声で恫喝する。当然のことながら我が家にはお金がなかった。電気を止められガスを止められ果てには水道も止められた。そんな絵に描いたような貧困を私は幼いころから経験出て来た訳だが、それが異常だと言う事に気が付かなかった。だってそれは、私にとっては『日常』だった。
 
 私はその日常をただぼんやりと過ごしていた。そんな時に、私の処女は唐突に奪われた。

 その日は茹だる様に暑かった。突き抜けるような青い空と入道雲。眩しいぐらいにきらきらと輝く木の葉。五月蠅いぐらいに落ちてくる蝉の声。ゆらゆらと漂う陽炎。アスファルトが焼ける臭い。大輪の向日葵。萎んだ朝顔。犬の鳴き声。近所のおばさんの笑い声。あの日の風景だけは吐き気がするほどに頭の中に焼き付いている。
 正確な日付は覚えていないが、小学生の時、夏休みの中盤に差し掛かったころだったと記憶している。幸か不幸か私を犯した相手の顔は覚えていない。その時の行為を思い出そうとすると眩暈がするので、何があったのか詳細は分からない。が、ただただ怖かった。痛かった。泣けば怒鳴られるので必死に自分の腕を噛んで堪えた。背中をたくさん叩かれた。耐えて堪えてそれが終わる時をひたすらに待った。今思えば大した時間ではなかったと思う。それでも当時の私にとっては永遠よりも長く感じられた。

 気持ちが悪い。相手に対してではなく、自分に対してそう思った。自分は気持ちが悪い存在になったと漠然と感じてしまった。そこから私の人生は狂い始めたのだろう。歯車が狂ったなどと言う甘い表現では足りない。外殻を全て偽物に挿げ替えられ、最重要である基盤をものの見事に破壊された。そしてそれは、今でも直っていない。きっと、元通りになんて二度と戻らないのだろう。もしあの時相手を憎んでいたとしたら何か違っていたのかもしれない、なんて今だから言える。

 行為が終わった後、私は泣きながら家に帰った。走って、走って、走って。玄関先で父は待っていた。いつもと違う笑顔を、満面に浮かべて。
 父は私の事を褒めてくれた。鬼のような形相は綺麗に消え去り、声音も穏やかで、何度も何度もいい子だと言ってくれた。汚れた頭を撫でてくれた。汚れた体を抱きしめてくれた。
 私はそれが嬉しくてたまらなかった。私にはこの人しかいないのだ。この人にも私しかいないのだ。そう錯覚してしまった。簡単な擦りこみなのかもしれない。都合のいい洗脳なのかもしれない。しかし、子供にとって褒めてくれると言う行為は、麻薬よりも依存性が高い娯楽である。特に私は、まともに褒められたことがなかったので、ソレはとっても良く効いた。嬉しくて嬉しくて、もっと頑張ろう。もっといい子だと言ってもらえるようにしよう。と、自然に思ってしまった。その日を境に父の口から出る『いい子』と言う言葉は、私にとって甘い甘いお菓子と化した。

 あの日から私は、商品になった。抵抗する術を持たない子供という物は、大人にとっては最高の道具だったのだろう。私は散々に使われ、その分お金が手に入った。そのお金は食費、生活費、学費へと形を変えて私を生かしてくれた。人並みの生活を送ることが出来た。だからこそ、その行為を止めることが出来なかった。それをやめることは、私にとって自殺を意味した。そうしてずるずると。ずるずると。それは私が高校生になっても続いた。


 結果、私は妊娠した。
 このお腹の中には赤ん坊がいる。誰の子かもわからない赤ん坊。穢れを知らない純真無垢な赤ん坊。生れ落ちた瞬間から地獄よりも酷い責め苦を味わう赤ん坊。この子に罪なんてないのに。この子は何も悪くない。悪いのは私だ。私が馬鹿で悪い子だから、この子は辛い人生を歩むのだろうか。誹謗。中傷。憐憫。憤怒。侮蔑。様々な負の感情に取り巻かれるのだろうか。
 毎日毎日考えていた。ぐるぐるぐるぐる。思考が渦巻く。同じ場所で、私の考えは動こうともせずにその場で回る。知らず知らずのうちに、停滞する思考は精神と言う岸を削るのだ。じりじりと私の思考が私自身を削る。それは自傷行為に近いのだろう。精神崩壊寸出で私は答えを出した。堕胎。もうそれしかなかった。人として最低でこの子にとっての最善の行動。私はそれを選択し、実行した。
 
  人殺し、だと思った。私の身体を罪悪感と喪失感が埋め尽くす。仕方のない事だ。私は自分自身を納得させる為に嘘を吐く。お前のような子を増やしてなんの意味がある。自分に向けての戒めの言葉。お前は幸せになれるはずがない子供なんだ。言葉の鎖が私を固く縛り付ける。
 頑張れば何とか出来るなんて絵空事を、さも模範解答のように宣える人間には反吐が出た。お前は地獄を見たことがないからそう簡単に無責任な事を言えるのだ、と罵りたい衝動に幾度も駆られた。飢えすら知らない人間が吐く言葉なんて銀蝿の羽音よりも煩わしく感じた。平穏な日常と言うものが奇跡の連続だと言う事を忘れ、平和な日常と言う名の微温湯に浸かった蕩けた脳味噌が、自動的に吐き出す生ぬるい思考は非常に気持ちが悪い。

 もう二度とこんな経験はしたくなかった。商品としての従順な私を、私は産婦人科の帰り道に川へと投げ捨てた。一刻も早くこの状況を変えなければならないと心に決めた。父から逃げるために、自身の組み上げたオカシナ現実から逃げるために、必死に勉強し、就職を決めた。


 そして私は、一本の電車に乗ることになる。

 月城深玲の物語は、これで終わり。


×/戻る/top