三馬鹿と荒木

 
 そこは、閑静な住宅街の一角であった。歩道の端に植えられている木々の合間を、種類なんて分からない小鳥が数匹、ちちちと鳴きながら飛び交っている。上を見上げれば晴天。それも雲一つない見事な青空で。
 そんな頗る良い天気の中でも、秋風が吹けば少し肌寒く感じる。天気はいいが気温自体が低いのだ。木々の紅葉と共に、どんどんと冬に近づくこの時節。正確に言えば十月下旬。更に明確さを足すのであれば十月三十日。ハロウィンの前日である。
 そんな日にこの馬鹿三人は、とある一軒家の周囲で不審な行動をとっていた。男子高校生が三人。しかも制服で。正直いつ警察に声をかけられてもおかしくない。何故なら今の時間は午後二時半。そして本日は日曜日。当然、休日である。高校が休みである日曜日の午後過ぎに、わざわざ制服を身に纏い、他人の家の周りを挙動不審げにうろうろと徘徊している。しかも三人。不審以外の何物でもない。
 その三人の不審行動を簡単に説明すると、一人は玄関前でしゃがみこみ、もう一人はその家の角に隠れるようにして辺りをを見回し、更にもう一人は一軒家の近くに生えている木の上にいた。そして三人ともスマホを手にし、同時通話をしている。目立っている。非常に目立っている。これだけの不審者具合ならば、もう一息に怪しい気持ち悪いと言い切っても過言ではないだろう。

「ヒトヨンサンマル。こちらバード。現在ターゲットの目の前。運のいい事にオールグリーン」
「こちら上原。えー、現在家の角にいますが、見渡す限り人影無し。私的な意見を挙げるとするならば、作戦を決行するには絶好のタイミングだと判断する。以上」
「こちら柳田。えーっと、見える範囲には人いない、です。だけど木の上からなので、枝とかで若干の死角ありー。でーすーがー、上原の、あー、警備担当範囲と俺の死角が被っているので、よろしくー。いじょー」

 玄関の目の前にいる鳥居が上原をちらりと見る。そして鳥居の目から受け取った熱い意志を木の上にいる柳田へと送るように、上原は柳田を見る。アイコンタクト。作戦決行の号砲である。が。

「よし!行け、トリ!!」

 鳥居が玄関先にあるチャイムを押そうとした瞬間、何故か上原が大声を出した。それは大声と言うより、単に合図と言った方が正しいのかもしれない。アイコンタクトで無音で華麗に合図をした直後に、大声で馬鹿みたいな合図をするのが正しいのかはさて置いて。

 ピーン…ポーン…。

 切ないような侘しいような。何とも言えないチャイムの音が家の中から微かに聞こえた。そのチャイムを押した張本人、鳥居は、やってやったぜと見事などや顔を誰にでもなく披露した。そして今まで無線機代わりとして活躍していたスマホの通話を終了させ、尻ポケットの中へと仕舞い込む。玄関とは逆方向、逃げる方向に体を向け、心の中でゆっくりと三秒数えた。その三秒の間で目を瞑り、退路を思い描き、集中する。これは遊びではない。戦争だ。学年一の俊足と名高い荒木との直接戦争である。
 背後で玄関が開く音が聞こえた。それと同時に鳥居は目をかっぴらき、最初の一歩を、何より大事なスタートダッシュを、全身全霊をかけて踏み込む。じりりっと靴の裏が擦れる感覚に好感触を覚えた鳥居だったが、その自信は戦争開始直後、僅か二秒で失墜した。
 荒木宅の玄関前は灰色のタイル張りになっていて、階段のような段差が三段程ある。その段差の二段目。魔の二段目に鳥居が足をかけた瞬間、ものの見事に滑ったのだ。走る勢いのまま前のめりに転ぶ。アスファルトで顔面強打。…となるかと思えたが、反射的に右手を前に付き出し、それを軸にして横に転がる。しかし、ごろりと横転した先にあったのはレンガ造りの門であった。背中を門の側面に強か打ち付け、その場で悶絶する鳥居。

「トリーーーー!!!!!」

 その一部始終を遠くから眺めていた上原の悲痛な叫びが閑静な住宅街に谺する。上原は自身のスマホを強く握りしめ、背中の痛みに悶え苦しむ鳥居の姿を悔しそうに見つめていた。一方柳田は、あーあと小さく声を漏らしながら、素早く木の上から撤退している最中である。
 自分の家の前で絶賛転倒中の鳥居を見下しながら、駿馬の化身、荒木が声をかけた。

「………トリちゃん?何やってるの?」
「え、あ…。転んで、る」
「は?…それは見て分かるけど」

 よたよたと立ち上がり、レンガ造りの憎き門に左半身を預ける。背中の痛みが完全には引いてないらしく、会話中だと言う事もお構いなしに強打した部分を右手で擦っていた。
 そんな満身創痍の鳥居の姿を見た上原と柳田は、静々と荒木宅の玄関前に近づいて行く。二人は鳥居の後ろで立ち止まり荒木を見る。残念そうにため息を吐きながら上原が口を開いた。

 「鳥居はね、ラインで予告した通り、ピンポンダッシュを実行しに来たんだよ」
「そういえば夜中に何か送って来てたっけ。見たような記憶はあるけど…、あれ夢じゃなかったんだ」
「夢じゃない!戦争だ!!二年三組俊足トップランキング一位である俺の意地をかけてのな!!!」

 背中と一緒に頭も強打したのか、と思うほどに意味不明な言葉が鳥居の口から飛び出す。残念ながらこれは盛大に転んだショックでおかしくなっている訳ではない。非常に信じたくはないことだが、これが鳥居の通常運転である。
 今回のピンポンダッシュ、いや戦争(鳥居曰く)は、鳥居発案被害者荒木と言う図式で行われた、世にも一方的なかけっこ対決であったらしい。結果、その対決からは虚しい痛みしか生まれなかったのだが。

「競争するなら普通に言ってくれたらいいのに。ピンポンダッシュなんてしなくても、僕はいつでも相手になるよ」
「強敵相手でも不意を付いたら勝てる確率が跳ね上がる、って上原が言ってた」
「ああ、そう言う…」

 荒木が上原の方を見る。と、上原も荒木を見ていたらしく、かちんと目が合う。上原は何とも言えない気まずさに耐え兼ね、苦笑いをしながら後ろを向いてしまった。荒木は視線を鳥居へと戻すと。制服。荒木の口から言葉が漏れた。今初めて気が付いたらしい。

「今日って日曜日だよね」
「うむ」
「なんで制服着てんの?」
「さっきまで特別強化訓練に参加してたから」
「あ、補習か」
「頭脳強化訓練と呼んでくれたまえ」

 鳥居のどうでもいい戯言に荒木は苦笑いをするしかなかった。そして気を取り直したように、男子陸上部の荒木副キャプテンは、持ち前の運動部爽やか男子高校生スマイルを惜しげもなく三人に披露した。きらきらと空中で乱反射する青春の光が、補習帰りの帰宅部三人に容赦なく突き刺さる。

「今年のマラソン大会で正々堂々勝負しようよ。な!」


 その年のマラソン大会直後に、校庭の隅っこに一人で座り込み、圧倒的な敗北に打ちひしがれる鳥居の姿を見ることになるだなんて、この時すでに鳥居以外の全員が予想できていた。



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