ゆらゆら

 真っ暗闇の中、輝き放つ陸に憧れてしまうのはきっと、魚の宿命なのだと思います。月よりも遥かに明るく鮮烈で、星よりも激しく瞬くその光。魚の私はごく当たり前に、その光に恋い焦がれていました。
 近くでみたらもっときれいなのだろうか。
 ぷかりと水面から顔を出して、岸を眺めることが日課になり、母や姉たちから「また見にいくの?」と呆れ混じりに言われることもしばしばありましたが、私にはなにも響かず、「そうよ」と皮肉を流しては、海面近くまで浮上する毎日でした。
 ある日、海鳥たちが騒いでいました。嵐が来るというのです。気をつけろと忠告され、母がいつものように岩礁の隙間に身を隠す準備をしていましたが、私は全く別のことを考えていました。これしかないと思いました。
 家族から危険だと、止められるのは分かっていたので、私は黙ってそれを実行しました。嵐の日、海面まで浮上し、陸に運んでもらおうと。私の小さな体では、泳いで陸に向かったとりでも何日かかるか分かりませんし、大きな魚に食べられてしまう可能性があるので、今まで尻込みしてしまっていたのですが、この強力な嵐と言う追い風を利用すれば、その悩みは水泡のようにぷちぷちと消すことができるのです。これを利用しない手はありません。
 嵐当日。岩礁で眠る家族に心の中でさよならを言い、私はうねり狂う海流へと飛び出していきました。嵐の海は想像していたよりも凶悪で、途中から泳いでいるのか流されているのか分からなくなりました。上も下も分からない状態ではありましたが、それでも私は死ではなく、陸を思い、ただひたすらあの光を思い浮かべながら行きました。
 どれほどの時間荒波に揉まれたのでしょうか。気が付けば砂浜に打ち上げられていました。嵐は雲と共に去ったようで、夜空はしんと澄んでいました。煌々と照る月の光が冷ややかに、私の愚かな行為を闇に晒している気がしました。
 ぴちり。ぴちり。呼吸が上手くできず、体も思うように動かせません。無理に動こうとすれば、いつのまにか折れたヒレが痺れ痛みました。誰だって、今の私を見れば滑稽だと笑うでしょう。それでも私の心は晴れやかでした。
 あれだけ夢見た陸に、私はいるのです。
 感慨深いものがありましたが、そこで満足する訳にはいきません。あと少し。あと少しであの光を、近くで見ることができるのに。光の気配はするのですが、それは運の悪いことに私の背面から感じるのです。頭もろくに動かない私からしてみれば、それはとても遠くにあるのと同じこと。どうにか体を光の方に向けたいと、私は藻掻いてみますが上手くはいきませんでした。
 強く跳ねる力も残っていない私は、希望を念じることしかできませんでした。あと少し。あと少しでいいから。動いて。
 だんだんと私の体が乾きつつあることが分かりました。息苦しくて、いつ意識を失ってもおかしくない状態でした。
 ぴちり。最後の力を振り絞り、尾びれを一度だけ、大きく動かすことができました。
 視界にあの光が。月よりも遥かに明るく鮮烈で、星よりも激しく瞬くあの光が。沖から見ていたときよりもやはりそれは美しく、力強くて。
 体から力が抜け落ちるような感覚があり、私はそのまま、流れに身を任せるままに、抵抗もせず、ゆっくりと受け入れました。満足したのです。私の願いは、見事成就したのです。
 ***
 台風の去った夜、海辺を歩いていると妙なものを見つけた。小さな赤い魚だった。死んでいるのかと思って近寄ってみると、辛うじて生きている様だったので、私は持ち歩いている魚の観察ケースに海水を注ぎ、その打ち上げられた魚をすくって入れてやった。ぷかぷかと水面近くを力なく漂っていたのでダメかと諦めていると、ぴちりと尾びれをくねらせて、弱弱しくも泳ぎ始めたのでほっとした。見たことのない魚なので家の図鑑で調べてみようと、私は踵を返し帰路についた。
 街は真っ暗闇に沈む海とは真反対で、光が洪水のように溢れていた。ぴちり。と魚が跳ねる音がした。



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