陽崎紫苑について



 陽崎紫苑は変わり者だった。私が今まで出会ってきた中で、一番と言っていいぐらいに風変わりで独特な女性。あの涼やかな外見からは想像できない程に奇抜で、不思議な言動を平然と。それも、それが世界の理そのもののように振る舞うのだからたちが悪い。例えば、彼岸花が泣いているだとか、あの猫について行けばアリスの小部屋にたどり着くだとか。一言で言ってしまえば変人で、言葉を加えるとしたら痛い子だ。そんな陽崎紫苑と幼なじみで、…否。腐れ縁である私にとっては陽崎紫苑と言う存在は私の慢性的なため息と、これまた慢性的になりつつある胃痛の原因だと確信し断言しよう。
 しかし、彼女は消えた。突然に。唐突に。まるで端から存在すらしていなかったかのように。まるで水面に浮かぶ泡沫のように。当然に、忽然と、彼女は消えてしまった。最後に交わした言葉は何だったろうか。私は覚えていない。

 私の見解は変わらない。
 陽崎紫苑は変人だ。


 陽崎紫苑と言う人物は聡明な女性だった。俺が今まで出会ってきた女の中で、いや出会ってきた人物の中で誰よりも賢く、誰よりも冷淡で、誰よりも危なげで。例えるなら、いつも薄い硝子でできた平均台の上を、ガラスの靴でも履いて歩いているかのように不安定で見ていられない女。彼女は人からの援助を極端に嫌っていた。誰にも縋らず凭れ掛からず、他人の手を触れることすら拒否し続けていた。自立していると言うにはあまりにも乱暴で的を射ていない。俺が思うに陽崎紫苑と言う女の生き方は、彼女自身が彼女自身を否定し、拒絶し、分離させていた。
 そして、彼女は消えた。思いがけず一瞬にして。いや、分かっていた。いつか彼女は消えてしまうのだろうと俺は確信にも似た自信を以前から感じていたのだ。しかしこんなにも不意に、まるで砂糖のように、雪のように、彼女が消えるなんて思っていなかった。

 俺の見解を簡単にまとめるとするならば。
 陽崎紫苑は利口に見えて愚か者だ。


 陽崎紫苑と言う人間は不思議な人物だったように思う。はっきりとは覚えていない。だって話したのはほんの数十分だけだ。それで相手のすべてを分かろうだなんて不可能に近い。が、彼女は不思議な人物だった。彼女は世界の果てを探しているといっていた。果てなどない、この世は丸いのだから。と私が答えると小気味よく笑っていた。そうかそうかと手を叩き、涙を浮かべ、高らかに私の常識を世界の常識を笑い飛ばしていた。彼女曰くこの世界には果てが必ずあるらしい。信じられないし信じたくもない。だってそんな戯言を信じてしまったら、その瞬間から私の世界は崩壊するのだから。

 陽崎紫苑は消えた。風の噂でそう聞いただけなのだが、私はそうかやっぱり、とどこか安心したような気分になった。普通なら心配こそすれ笑うなんてあり得ないのだろう。だけれど私は笑いを止められなかった。腹がひくひくと痛むほど笑い続けた。ああアイツは世界の果てを見つけに行ったんだと。

 私の見解は最初に言った通り変わらない。
 陽崎紫苑は不思議な奴だ。


 陽崎紫苑は泣き虫だった。その上無邪気だった。清く、聡く、愛らしい天真爛漫なこの少女を大人たちは気に入り可愛がっていた。しかし、同時に同世代の中での評判はよくなかった。大人から贔屓にされている子供が、子供社会の中でよく思われるはずがなかった。陽崎紫苑は苛められていた。それ程酷い苛めではなかったが、彼女を傷付けるには十分な行為だった。大人たちは気づかなかった。子供たちは陰で笑い、無視を決め込んだ。しかし彼女は泣かなかった。昼の公園で声を押し殺し、涙を必死に堪え、泣き虫だったはずの彼女は必死に泣くのを耐えていた。それを私は見ていた。

 そんな記憶の端に引っかかる人物。あれから十数年経った。彼女が消えたらしい。ふうん、そうか。それが私の純粋な感情だった。興味がないのではないのだが、興味自体が湧かない。例えるのならば新聞に掲載された死亡者の名前を聞いた時のような感覚。なぜならば、私は陽崎紫苑と言う人物をきちんと知らないのだ。

 私の見解は見解にならないかもしれないが、言うとするならば。
 陽崎紫苑は泣き虫だった。


 陽崎紫苑と言う女は不愉快の代名詞だった。私が陽崎紫苑を嫌いになったのは出会って数分してからだった。胡散臭い笑顔を張り付け、台詞のような言葉を連ね、意志のぼやけた目で私を見ていた。それが嫌いだった。いつもいつもいつも。アイツは最初に会った不気味な雰囲気を崩すことなく、いつもいつも私に話しかけてくる。無視しても変わらずに話しかけてくる。逃げても追いかけてくる。殴っても笑顔は崩れない。やっぱりコイツは不愉快だ。

 一度だけ陽崎紫苑から叱られたことがあった。私が死んだ時だ。いつもの飄飄とした雰囲気は何処へやら。胡散臭い笑顔は涙と鼻水で水没し笑えるほど汚くて、台詞のような言葉と言うよりも、壊れたスピーカーのように同じ言葉を何度も繰り返し、意志のぼやけていたはずの目は、血走り狂気じみているくせに、悲哀の感情を懇々と宿していた。 私は死んだ。陽崎紫苑は消えた。それだけの事。

 私のあれに対する見解は、最初から、出会った時から変わらない。
 陽崎紫苑は不愉快だ。


 さあ、一体どれが「本当の陽崎紫苑」なのか?
 


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