薔薇の花束

 私の部屋には、毎月十五日に薔薇の花束が届く。差し出し人不明の、贈り物が。

 初めて届いたのは今から半年前、六月の十五日だった。
 いつものように仕事を終え、自分のアパートに帰宅するとチャイムが鳴った。スーツからを脱ぐことを中断してドアスコープを覗くと、宅配のお兄さんが立っていた。お届け物ですと言われたので、田舎の母がなにか送ってくれたのだろうと思った私はドアを開け、その荷物を受け取った。
 薔薇の花だった。一本の薔薇の花。蕾が開いたばかりの、真っ赤な薔薇。
 受け取った時は知り合いがふざけて送ったのだろうと思って、いそいそとコップに水を入れ、その花瓶もどきに薔薇の花を生けていた。次の日、そんな事をしそうな知人たちに薔薇の花を送ったかと聞いてみたが、周りは口を揃えて、そんなものを送った覚えはないと言う。それを聞いて私は、一気に気持ちが悪くなった。コップに生けていた薔薇の花は、帰宅してすぐにゴミ箱に捨てた。
 知らない人からのプレゼントに心の底から喜べる人なんているのだろうか。気持ちが悪いと言う感想以外を持つ人がいるのだろうか。
 薔薇の花のプレゼント。しかもそれは、送られてくる度に本数が増えていった。宅配を拒否しても、それは必ず玄関のドアの前に置かれていた。

*

 僕はとある女性に恋をした。通勤途中で見かける若い女性に。名前は分からない。通勤経路が同じらしく、いつも一緒に駅まで向かう。残念なことに目的地の方向が違うので、僕と彼女は駅の改札で別れることになる。なので、その駅まで一緒に歩くことが出来る時間は、僕にとっては何ものにも代えがたい幸せな時間だった。
 ある日、駅前の花屋の店先に沢山の薔薇の花があった。彼女は花が好きだろうか。薔薇の花を贈ったらどんな顔をするだろうか。と、真っ赤な薔薇を見ながら想像する。
 最初は、薔薇を贈る気なんてなかった。そもそも住所を知らない。改札前で呼び止めて、直接渡すわけにもいかない。だから、送ることなんて出来ないと思った。
 じっと薔薇の花を見ていると、店員が僕に気が付いて話しかけてきた。その店員から、一本の薔薇の花を送る事には“一目惚れ”と言う意味があると聞いた。たかが一本の薔薇に、そんな意味を含ませることが出来るだなんて事を僕は初めて知った。その話を感心して聞いていると、店員はにこやかに笑いながら、花束にする本数によっても意味合いが違ってくるんですよ、と僕に説明してくれた。
 薔薇に小さな想いを込める。
 面白そうだと思った。
 だから、勇気を出して薔薇の花を送ることにした。僕の想いを、小さなこの想いを彼女に送るために、彼女の住所を調べた。調べたと言っても大して何もしていない。後をつけただけだ。
 その日僕は、有給を貰って仕事を休んだ。そして一日中公園にいた。通勤途中にある公園に。通勤ルートと帰宅ルートが同じならば、彼女はここを通る筈だ。そう思った僕はひたすら待った。彼女が通るのを待った。
 午後八時過ぎに彼女が仕事から帰って来た。咄嗟に声を掛けそうになる自分を押し込めて、彼女の後をつけた。
 彼女は、築年数が浅そうな綺麗なアパートに住んでいた。アパート名を手帳に控え、少し離れる。アパート全体の窓が見える場所に移動し、彼女の部屋に電気が点るのを待った。一室が、彼女の部屋が、明るくなる。
 僕は、彼女の部屋を知ることが出来た。やってみれば意外と簡単で、素人でも尾行ぐらいは出来るものだなと、彼女の住むアパートからの帰り道にそう思った。
 薔薇の花を贈ろう。毎月一回。十五日に。
 まず最初は、一本の薔薇を。君に。

*

 七月十五日。薔薇が三本届いた。棘は綺麗に落とされていた。
 本数が増えていたことに驚いた。いらない。知らない人が送り付けてくる気持ち悪い花なんていらない。それが薔薇だろうと、なんだろうと、いらない。
 私はその三本の花束をゴミ箱に捨てた。

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 三本の薔薇の花束には、“愛しています”“告白”と言う意味があるらしい。少し気恥ずかしくも感じたが、そもそも彼女がその意味を知っているのか分からなかったので、思い切って贈ることにした。贈るのは真っ赤な薔薇の花。後で知ったのだが、花は色によって花言葉が違ってくるらしい。赤い薔薇の花言葉は“愛情”“あなたを愛します”。

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 八月十五日。薔薇は七本になっていた。赤いリボンで束ねられていた。
 また本数が増えた。リボンが。前の花束にはリボンなんてなかった。薔薇の花が嫌いになった。好きだったのに嫌いになった。
 私はその七本の花束をハサミで切り刻み、ゴミ箱に捨てた。

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 七本の薔薇の花束には、“密やかな愛”と言う意味があるらしい。密やかな愛。僕にぴったりだと思った。密やかでいい。僕は君を、密やかに愛している。

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 九月十五日。薔薇は十一本になった。何も書かれていないメッセージカードが添えられていた。
 そのメッセージカードを見た瞬間、私は声を上げて驚いた。怖かった。気持ち悪かった。
 あまりに気味が悪かったので、未開封のカードごとゴミ箱に捨てようとした。捨てようとしたのに、メッセージカードが床に落ちてしまった。
 それを拾い上げようと手を伸ばした。その時に、中身を、見たくないのに見てしまった。白紙だった。もしかしたら小さく何か書いてあったのかもしれない。しかし私は、その気持ち悪いカードをじっくりと確認するなんてことが出来るはずもなく、拾い上げてすぐにゴミ箱に捨てた。
 段々と本数が増えている薔薇の花束も、一緒に捨てた。理由が分からない。増える理由も、送られてくる理由も。

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 十一本の薔薇の花束には、“最愛”と言う意味があるらしい。最愛。最も愛する。
 意味を調べた時に同じページに記載されていたのだが、薔薇を十二本にすると“私と付き合ってください”と言う意味になるらしい。間違ってはいけない。私の愛は密やかな物。そう。決して、間違ってはいけない。僕の彼女への想いは、密やかであり、最愛である。
 メッセージカードを買った。買いはしたが書くことが見つからなかったので、白紙のまま添えることにした。中身が白いカードに意味はなくても、そのカードの印象を、彼女の記憶に残すことぐらいは出来るかもしれないと思ったからだ。

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