吸血鬼と私

 
 私のクラスには吸血鬼がいます。多分きっと絶対、彼は吸血鬼です。四月の自己紹介のときに僕は吸血鬼だ、と名乗ってはいませんでしたが、私の直感によると、彼は吸血鬼に違いないのです。
 私は、彼と同じクラスになったその日から、ひそかに彼を――吸血鬼を観察し続けています。席替えで遠く離れようと、私の視線は常に彼へと注がれていました。さすがに真後ろに陣取られた時は何も出来ずにいましたが、その後は奇跡的に観察しやすい場所に席を構えてくれましたので、私の観察記録は自分でも驚くほどに捗りました。
 彼を観察し続けて発見した事実はいくつもあるのですが、その中でも一番の衝撃的だったのは彼の昼食後の行動でした。
 彼は毎日欠かさずバナナジュースを飲んでいたのです。これは世紀の大発見ではないでしょうか。吸血鬼は生き血の次にバナナジュースが好きだなんて誰が想像できたでしょう。この新事実は私の湊君観察ノートにしっかりと記していますので、もし私の身に何かあったとしても、このノートを読んだ誰かが、必ずや後世にまで伝えてくれることでしょう。
 そんな、観察が円熟してきた矢先でした。下校中に、私は見てしまったのです。彼が、湊君が、道路の端にうずくまっている姿を。
 その姿を見て私は、あらあらバナナジュースの飲み過ぎでお腹でも壊したのかしら、と一クラスメイトとして心配していたのですが、湊君の体に隠れるようにして、一匹の犬がその場にいることに気が付き、私は即刻、その浅はかな思いやりを捨てたのです。
 私は確信しました。授業中は全くといっていいほど働いていない脳みそが、珍しくフル回転しはじめ、一つの結論をものの一秒で弾き出したのです。
 吸血鬼の彼は下校中にお腹がすいてしまい、目の前を通りかかった犬を手籠めにし、今まさにその血をちうちう吸っているのだと。
 その結論にたどり着いた時、私はかのバナナジュースの発見と同じような興奮を覚え、全身が震えました。きっと武者震いだったのでしょう。両手両足の爪の先がうずうずして仕方がありませんでした。
 私はいてもたってもいられずに彼の元に駆け寄り、湧き出るアドレナリンをまき散らさん勢いで話しかけました。

「やはりあなたは吸血鬼だったのですね! 私の目に狂いはありませんでした!」
「え? 何言ってるの?」

 彼の反応は予想に反して薄いものでした。唖然としていて、図星を突かれた顔とでもいいましょうか、彼は大して声を荒げることもなく、子供に接するような穏やかな声音で返事をしたのです。
 当然といえば当然なのでしょう。だって、吸血鬼という生き物は、人間に正体がバレないようにひっそりと暮らしているのですから、秘密が露呈する限界ぎりぎりまで、その正体を隠そうとするはずです。
 私は大きな声で話しかけてしまった自分自身への浅慮を悔い、一旦、彼に背を向けました。そうして深呼吸を、丁寧に丁寧に、行います。一呼吸ごとに興奮が押さえつけられていくような気がしました。白波を立てていたアドレナリンの海がすっかり凪ぐまで、私は彼の方を向くまいと決めました。
 ですので私は、湊君の顔を見ずに話し掛けました。私が彼から意識を逸らしている最中に、さっさと逃げられてしまっては困りますので。

「いいのです、いいのです。もう隠そうとしなくてもいいのですよ。私にはちゃんと分かっていますので。それに、湊君が吸血鬼だってことは誰にも言いませんから安心してください」
「安心も何も、僕吸血鬼じゃないんだけど」
「またまたぁ。分かりますよ、今までひた隠しにしていたものが他人にバレてしまうと、知らない振りをして取り繕うとするのが生き物のセオリーですものね。とってもよく分かります」
「取り繕うも何も、僕は本当に人間で」
「そんなご謙遜をなさらなくても」
「謙遜とかじゃなくて。……困ったなあ」
「困る必要がどこにあるんですか? 私の口はあの山の総重量よりも重いのです。ご安心ください。決してこのことは口外いたしません」
「いや、だから。ううん」

 いくら待っても煮え切らない彼の返事にどうにも我慢が出来ず、私はくるりと――彼と対峙するために回れ右をしました。
 精神統一を行おうとしていた私の決意をこうも簡単に崩壊させるほどに、私は彼に苛立ちを覚えていました。なぜ認めないのでしょうか。認めれば楽になるというのに。感情の鎮静化に失敗した私は、もうなるようになれと腹を括るしかありませんでした。穏やかになりかけた大海が、再びうねり始めました。

「嘘は嫌いです」

 私の目の前には彼が立っています。困惑気な顔をして私を見下ろす彼の姿を見た途端、自分でも訳が分からないほどに胸が高鳴っていました。鼓動のあまりの威力に左胸が痛いほどです。
 この尋常ならざる痛みは、一体何なのでしょうか。まさか恋というものなのでしょうか。それとも、吸血鬼を正面に見据えた者にしかわからない特別な興奮というものなのでしょうか。きっと後者でしょう。後者に違いありません。
 夢にまで見た憧れの吸血鬼と、私は今対峙しているのです。一クラスメイトの人間湊君としてではなく、一吸血鬼としての湊君と、二人きりで会話しているのですから、胸も高鳴るというものです。

「八木さん、少し落ち着いて。何回も言うようだけど、僕は、人間だから。八木さんがどうしてそんな風に思ったのか分かんないけど、僕は吸血鬼じゃないから。ね?」
「もうっ、言い訳は結構ですって。そこで犬の生き血を吸っていたことが何よりの証拠じゃないですか。言い逃れは出来ません」
「い、犬の生き血? 吸ってない! 僕そんなもの一滴も吸ってないよ!」
「そんなものだなんて、吸血した犬に失礼です!」
「えっあっ、ごめん……。って、吸ってないから! 僕はただ、近寄って来た犬を撫でていただけで」

 湊君はきょろきょろと視線を動かし、その犬を探しているようでした。
 ですが、私たちの周りにそれらしい犬はいませんでした。きっと湊君が血を吸い尽くしたせいで、塵になって風に攫われてしまったのでしょう。なむなむ。

「あれ、逃げちゃったみたい」
「犬はバナナジュースよりも美味でしたか?」
「だから食べてないって」

 ため息を吐く湊君の様子から予想しますに、彼が秘密を――自身が吸血鬼だと認めてくれるのは時間の問題のようでした。あと一押し。あと一押しさえすれば、きっと彼は、私に秘密を打ち明けてくれるでしょう。
 私は覚悟を決めました。彼と一緒に、吸血ライフに勤しむための覚悟を。

「まあ確かに、一方的に秘密を暴かれていい気分にはならないでしょう。ですので特別に、私の秘密をお教えいたします。内緒、ですからね」

 私は湊君にとある秘密を耳打ちすべく、彼の側に近づきます。そうしてそっと顔を寄せ、

「実は私、チュパカブラなんです」

 私は、明かした秘密が嘘ではないことを証明するために、人差し指の形態を変えました。爪も指も、すっかりチュパカブラ仕様にして、湊君の目の前で左右に振りますと、湊君は目を丸くし、私の顔と指を何度も何度も見比べていました。


×/戻る/top