ご馳走チキン
十二月二十五日。偽サンタが街中に溢れ、二足歩行のトナカイが出現する日。前日のイブから―ーいや十二月上旬から、街全体にはクリスマス独特の落ち着かない雰囲気が染み渡っていた。
クリスマス本番を存分に堪能しようと意気込んでいる人もいれば、それとは反対にクリスマスと言うイベントをはしゃぐことなく過ごそうとする人もいる。
とあるアパートの一室に住む男女のカップルも、クリスマスだからと言って何をするでもなく、だらだらと休日を過ごしていた。その男女が住む部屋には、玄関先にクリスマスらしい飾り付けがないどころか、室内に入ったとしても、クリスマスツリー一本すら見当たらない。この部屋にはクリスマスのクの字はないのである。
そんな部屋の住民である男女は、ダイニングテーブルを挟んで向い合せに座り、テレビを見ていた。
ダイニングテーブルの上には、女の田舎から送られてきたミカンが三つほど置かれている。女がその一つを手に取り、皮を剥かずにころころと自分の手の中で転がして遊んでいる。と、女の――吉野八重の動きが止まった。手にしていたミカンを元の位置に戻し、ぽつりと、まるで今思いついたかのように呟く。
「チキン、食べたいな」
吉野八重は、自分の正面にいる彼を――白い羽毛に覆われた、ニワトリと人を足して二で割った様な風体の、長緒コクヨを見ながらそう言った。羽毛の上から黒い着流しを着ているせいかやけに貫禄がある。
その、鳥人族のコクヨは、まるで人の手のように動く白い翼を使って湯呑を持ち、淹れたばかりのほうじ茶を飲んでいた。湯呑にはストローが差さっている。鳥人族の口――正確には嘴だが――は人間とは違うので、お茶などを飲むときは、その器が湯呑だろうがジョッキだろうがストローを使う。八重も最初は驚いたが、今では見慣れた光景になっていた。
コクヨは嘴の下にある赤い肉垂を少し揺らし、固く閉じていた黄色の嘴を開こうとする。だが、その嘴から言葉は出なかった。何か言おうとして黙ったらしい。開きかけた嘴は、また固く閉じられてしまう。
それを見た八重はもう一度、改めて、今度は呟きではなくはっきりとした言葉を投げつけた。そんな八重の顔は、恋人同士なんだから遠慮なんて知らないとでも言いたそうな表情である。
「チキン。ねえチキンが食べたい」
「…勝手に食え」
「今日はクリスマス。クリスマスにはチキンだよ!とり肉のー、フライ!」
八重はテレビ画面に映し出されたCMを指差す。タイミングがいいのか悪いのか、それはフライドチキンのCMだった。
クリスマスらしい緑色のツリーと、それに飾られているきらきらと光る謎の球体のオブジェ。それから金色をした星の小物と、赤いテーブルクロスが敷かれたテーブル。その上には、白いお皿においしそうに並べられた、フライドチキンが映っていた。
好評発売中の文字が現れたのかと思えば、CMが切り替わる。次もチキンのCM、ではなく、地元のスーパーのクリスマスセールのCMだった。
八重はテレビを見るのをやめ、コクヨの方を向く。
「ほら」
「…ほらってなんだ」
八重がコクヨの顔を見れば、じろりと睨まれた。当たり前だが、コクヨは不服そうな顔をしている。なにせチキンだ。ニワトリだ。おふざけの嫌味のようにしか聞こえなかった。
八重はコクヨに不満げな顔をされた時に、毎回思う事がある。鳥ってこんなに表情豊かだっけ、と言う鳥族に対する暴言のような疑問だ。そんな八重の気持ちを知ってか知らずか、コクヨはわざとらしく、大げさな溜息を吐いた。
「クリスマスに食べるのはターキーだ。七面鳥。ニワトリじゃない。それにフライよりローストの方だろ」
こんっ。コクヨが椅子から立ち上がる、と音がした。鳥脚の爪が床に当たった音だ。部屋全体にカーペットを敷いていると言うのに、まるでそんなもの無いかのように、コクヨが歩くと必ず硬い音がする。何時でも何処でも、かつりかつりと音が響いてしまうほどに、鳥人族の脚の爪という物は大変硬い物なのである。
コクヨは八重を見ることなく、玄関へと向かった。かつりかつりと、いつもの音を立てて。
その音に添うように、コクヨの長くて黒い尾羽は絨毯の上に川のような筋を作り、彼が一歩進むごとにさらさらと、まるで蛇が這うかのように移動する。
この無駄に立派な尾羽を八重はいつも踏んでしまうのだ。踏まれても痛くはないと言われたことがあったが、それでも八重は踏むたびに、飛び上がらんばかりに反応してしまう。
そんな地雷のような尾羽を目で追いながら、八重は立ち上がり、コクヨの後ろをついて行った。
「あれ、どっか行くの?もしかして怒った…?」
「こんな事で一々怒るか。…チキン食いたいんだろ?俺は喰わんがな」
チキン、と繰り返すコクヨを見て、八重は小さく笑う。苦笑いと嬉しさが混じったような笑顔を浮かべ、いそいそと出かける準備をし始めた。どうやら一緒に買い出しへと行くらしい。
コクヨは天然仕様の羽毛おかげか、防寒せずとも十分真冬の寒さにも耐えうることが出来るので準備も何もない――あえて言うとするのなら。長い尾羽を小さく纏めることぐらいである――が、八重は違う。人間、且つ寒がりである八重は、冬らしく冬仕様の、まるでお手本のような冬服を十分に装備し、最早重装備の域に達した格好で外に出るのである。
コートを着て、マフラーをぐるぐると巻き終わると、漸く八重は外に出ることが出来た。しかし玄関から外へと踏み出した時には、コクヨはすでに廊下の先を歩いていたので、八重は急ぎ足で彼に駆け寄る。
外は雪は降っていなかった。しかし今まで暖房の効いた部屋にいたせいで、冬の寒風が身に骨に染みるほど寒い。八重はぶるっと身震いをし、自然と早足になった。早くスーパーに行かないと凍え死んでしまう、とか大げさな事をコクヨに言いながら、早足で進んでいたのだが、そんな八重の体感温度を理解する気すらないコクヨは、八重から数歩遅れてゆったりと歩いていた。痺れを切らした八重はコクヨの腕を掴み、急かしながらスーパーまでの道のりを歩くのだった。
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