空梅雨

 昼ご飯を食べ終えてもリビングに友人が姿を現さなかったので、私は思い切って、自室の隣にある友人の部屋の扉を開けることにした。
 ドアノブを回して扉を引けば、中からもわりとした熱気が溢れ出し、私の顔を容赦なく覆った。その不快感に顔を歪めるよりも前に、友人のあられもない姿が目に入る。
 露出過多なんて表現では間に合わない、というか、下着しか身に着けていなかった。ベッドにうつぶせになり、ピクリとも動かない。死んではいないようで、すうすうと穏やかな寝息だけが聞こえてくる。まだ大丈夫、と私は心の中で安堵した。
 同性なのだから下着姿を見られても構わないと普段から豪語している友人ではあったが、この状況はどうなのだろうか。まあ、見せるつもりがあろうとなかろうと、私はこれの下着姿なんてこれっぽちも見たくはないが。見せつけられる私の気持ちにもなってほしい、と思いながら、私は彼女の部屋に無許可で侵入する。
 当然部屋の中は蒸し暑かった。カーテンを開けているのに、窓をびっちりと閉めているからだろう。大きな窓から差し込む真昼の太陽の熱が、この部屋を存分に暖め、温室状態にしている。窓を開けると清い空気が部屋に流れ込んできた。

「おーい。生きてるー?」

 返答はない。私はベッドに腰掛けた。彼女の背を揺すると小さなうめき声が聞こえた。もう一度揺する。

「うっ……」
「おはよう」
「……おはよ」

 まだ眠いのだろう目をぐりぐりと擦りながら、彼女はゆっくりと起き上がった。長い髪をかきあげる仕草には、気怠さがにじみ出ている。もう昼過ぎだと伝えると、彼女は目を丸くした。話を聞けば昨晩レポートの作成で徹夜をし、寝付いたのは朝日が昇ってからだったという。

「そうなんだ。起こしちゃってごめんね。てっきりまた動けないほど溶けちゃってるのかと」
「うん。その予想は当たってたよ。溶け出す一歩手前みたいだったし」

 彼女の真っ白な二の腕を雫が伝い落ちていった。ぽつりぽつりと落ち続ける雫を慌てて拭うと、彼女は少し恥ずかしそうに笑った。

「ほら。溶け出す手前。だいじょーぶ」
「いや、手前、じゃなくて、溶け出さないように気を付けようよ」

 雪女としての自覚が薄い彼女は、ここに引っ越してすでに二回、動くことが出来ないほどに溶けてしまったことがある。二回とも私が助けた。助けるたびに申し訳なさそうにしてはいるが、本当に反省しているのなら同じことを繰り返さないのではないだろうか。

「うーん、六月ってこんなに暑かったっけ?」
「気温は平年通りらしいよ」
「あ、あれ? マジで?」
「……実家にいた時は家族が部屋の気温管理してくれてたんじゃない? こんな天気の良い日に窓を閉め切って、カーテン全開にしてるだなんて自殺行為にもほどがあるよ。今年からは自分で気を付けなきゃ誰もしてくれないだからね。ルームシェア相手が夏の暑さで溶けて死にました、なんて酷い思い出いらないから」
「うん。そうだね……」
「これからはちゃんと冷房入れなさい。暑くなくても用心すること。なんのために冷者割引があると思って……」
「ごめんってばー」

 間延びした声でそう言うと、彼女はあぐらをかいた格好で横向きに倒れていった。反省の色は見られない。丸まった掛布団に顔を半分埋め、ちらちらと、私の顔色を窺うように視線を寄越している。

「反省してないでしょ」
「してるって。そうだ、お詫びにいいものあげる」

 ぴょこんと起き上り、私の顔を見ている。

「いらない」

 遠慮しないで、と彼女は私を引き寄せた。馬鹿みたいに冷たい手に掴まれたので、私は驚き身を固くする。やめてと抗議しようにもできなかった。キスされたのだ。
 またか。そっけない感情が、唇同士が触れ合う柔らかさを、冷静に受けとめる。これまでにも何度か、彼女からお詫びだと言ってキスをされたことがあったので、私はすっかりこの展開に慣れていた。雪女の正式な謝り方と彼女は言うが、本当かどうか怪しいものだ。ちなみに私は信じていない。
 彼女の冷えた唇のせいで、私の唇に薄氷が張る。ぴりりとした小さな刺激は一瞬のことで、すぐに溶けるように消えていった。すると。ころん、と口の中に冷たいものが押し込まれる。初めてだった。初めての感覚に私は戸惑うことしか出来ない。彼女が顔を離したので、そっと舌で転がしてみると、それは丸い氷だった。
 悪戯が成功した子供のように笑う彼女に文句の一つ投げつけてやりたいが、悔しいことに出来なかった。口の中に捻じ込まれた氷が邪魔をしている。何か言おうにも、氷に阻まれきちんとした言葉にならなかった。それをいいことに彼女は、

「ごめんなさい。これからちゃんとします。溶けないようにします。許してください」

 姿勢を正し深々と頭を下げる。私は氷に歯を立てながら、その姿を見て呆れてしまった。



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