たぬきときつね

 建物の影がだんだんと藍色に変わり始めた黄昏時。僕はコンビニ目指して歩いていた。アイスを買ってきて欲しいという所長のわがままを、心優しい僕が百円で買い取ってあげたからである。自分で動かず、人に動いてもらおうとするなんて、なんと怠惰な人だとも思うが、まあそれは雇われる前から分かっていた事なので仕方がない。百円で動く僕も僕なのだが、それもまた性分なので仕方がない。と言う訳で僕は、所長の財布を握りしめて日が傾く町へと出かけたのだった。
 コンビニへ続く道の途中で、知り合いの狐――裏葉の後ろ姿を見つけた。どんなに上手く人間に化けていても、同類の鼻を誤魔化すことは出来ない。僕が声をかけると、尻尾を出す勢いで驚かれた。話を聞くと彼女も買い出し途中だという。「どこの主人も手下づかいが荒いなあ」と僕が言うと、裏葉はむっとした顔で「私は手下ではありません。使いです」と答えた。僕からすれば手下も神使も大差ないような気がするが、裏葉にとっては月とすっぽんぐらいの差があるのだろう。僕はこれ以上、裏葉の機嫌を損ねないよう適当に相槌を打ち、彼女の隣に並ぶよう歩調を合わせた。
 僕らのすぐ隣を車が通り過ぎる。人間の格好で暮らし始めた当初は、車のエンジン音や走行音に毎回怯え、クラクションやヘッドライトに驚いて変化が解けることもあったのだが、今では二人ともすっかり慣れてしまった。

「人間はよく分かりません」
 通り過ぎた車を見つめながら裏葉が言う。
「なにが?」
「先日、ハバネロ将軍というお菓子をコンビニで買ってみたのです。他のお菓子のパッケージとは一線を画すデザインに気を取られ、よく見ずに買ってしまってですね」
「まさか食べたの?」
「食べました。一口だけ」

 裏葉は辛いものが苦手だ。昔一緒にカレーを食べに行った時に、裏葉の味覚では辛すぎて全部食べられなかったことを思い出す。半分ほど食べた時点で、裏葉は額に汗をいっぱい浮かべ、呪われたようにお冷をおかわりし続けていた。そんな裏葉があの激辛スナック菓子を食べられるわけがない。

「辛くて辛くて、死ぬかと思いました。なんですかアレは。コンビニエンスに買うことが出来る新しい兵器か何かですかもう。アレをお菓子と呼んでしまっては、他のお菓子たちに迷惑です」
「辛いものが好きな人間っているからねぇ。人間はわざわざ自分から刺激を求める、非平和的で不思議な生き物なんだよ」
「にしても限度というものがあります。人間というものはどうしてあんなものを発明するのでしょうか。知力財力及び権力の無駄遣いです。折角あんなに大きなおつむを持って生まれてきているというのに」

 ぷりぷりと怒る裏葉に僕は苦笑した。買ったのは君だろう、なんて口にすれば、怒りの矛先は僕に向くことが分かりきっていたので、僕はまた大人しく相槌を打つ。こいつの怒りの対処法は幼いころにすでに会得している。僕はいつものように応対しながら、明日の朝食のとこを考えていた。

「なので草介さん、いかがですか。ハバネロ将軍。実は今持っているのです。ほら、ここに」

 裏葉は背負っていた紺色のリュックを体の前に回し、中身を僕に見せた。中には確かに開封済みのハバネロ将軍が入っている。パッケージのイラストの凶悪さに、僕は眉を顰めた。辛い物を食べられないことはないが、自ら進んで食べる奇特さを持ち合わせていなかった僕は、即座に拒否する。

「いらない」
「ちっ」

 それはささやかな舌打ちだった。同年代の女性から頂戴する舌打ちというものは少々感慨深いものがある。感じ方は人それぞれであれど、極端に言えば、しみじみと悦に浸るか、しみじみと苛立つかの二種類である。僕は後者であった。そのことを裏葉に伝えると、もはや舌打ちなのか分からないほどはっきりした音で、舌打ちの極みとでも呼べるものを連続で披露された。
 この小憎たらしい狐の性格は、何年経っても、どこに仕えていても変わらないのだと、僕は改めて感じた。




**メモ**
草介(狸)と裏葉(狐)は幼馴染。


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