路地の先

公園のベンチでさぼっていると、軽やかなステップで公園の前を横切って行く裏葉を見かけた。彼女に対して特に用事はなかったが、ベンチで無為に時間を潰しているのにも飽きてきた頃だったので、暇つぶしにと後をつけることにした。

 裏葉は僕に勘づくことなく、そのまま楽しげに、まるでボールが弾むように、スキップを交えてどこかに向かっている。しばらくは物陰に隠れるようにして彼女の後をつけていたのだが、あまりにも気づかれないので、堂々と往来を歩くことにした。それでも彼女は僕に気づかない。全然。これっぽっちも。
 これは大層浮かれている。平素ならば僕の気配にはたりと気づき、振り返りざまに、「何ですかストーカーですか破廉恥です」なんて言葉を放られてしまうだろう。はて、彼女をここまで迂闊にしてしまうものはなんだろうか。

 十分後。喉が渇いたので道端の自動販売機で飲み物を買っていると、彼女が急に立ち止まった。やっと気が付いてくれたか、と僕は一安心して、裏葉がこちらを振り向く前に手なんか振ってみてりしたが、それを彼女が見ることはなかった。いくら待っていても彼女の視線は正面を向いたままで、こちらを振り返る様子はない。いよいよ面倒になってきたので声をかけようとした瞬間、裏葉はひょいと右を向き、そのまま走り出した。僕は慌てて、冷えた缶ジュースを自販機から受け取り、走った。

 民家と民家の隙間。路地を走り抜ける裏葉の背を僕は追いかける。路地の、左右から圧迫されるような狭さに押され、思うようにスピードを出せない。僕なりに懸命に走ってみても、裏葉との距離は縮まるどころかぐんぐんと離されていく。物が雑多に置かれている路地をものともせず、水をかくようにするすると進む裏葉の姿は、赤色のスカートの揺れと相まって、狐のくせにまるで金魚のようだった。
 僕は人型の機動力に見切りをつけ、足を止めることなく狸の姿へと戻った。未開封の缶ジュースが寂しい音を立てて地面を転がる。ああ、なんて勿体ない! 僕は未練を断ち切るように、ちんまりとした四つ足で地面を力強く蹴り、時には並んだ室外機の上を飛び石のように渡り、必死に裏葉に追いすがる。どうして僕はこんな事をしているのだろう。ここまでして追いかける必要が――。

 路地は段々と暗くなっていった。ぽつぽつと、薄闇の中に提灯が浮かび上がる。橙色の丸い光を放つそれは、路地の左右に等間隔で置かれていた。よく見ると提灯の上では小妖怪が火の番をしていた。きゃらきゃらと高い笑い声が、提灯を通り過ぎるたびに耳に入る。
 どうやら隠し路に抜けたらしい。遠くから祭囃子と喧騒が聞こえ始める。まるで、ここはもう現世ではないのだと主張しているように。
 裏葉は一体どこに行こうとしているのか。現世と隠世を繋いでいるこの裏道に、なんの用があるのだろうか。
 すると、路地の先に真っ白い光が見えた。出口だ。遠く前を走る裏葉は、躊躇うことなく光目がけて突っ込んでいった。それに続くように、僕は歯を食いしばり駆け抜けた。
路地から出る直前に、僕は化けの皮を練り上げて人型へと変化する。このちんけな矜持のせいで、僕はあやうく転びかけてしまった。

 抜けた先にあったのは寂しい商店街だった。寂しいと言ってもシャッターが閉まっている商店が大半だとか、人通りが全くないだとかそういうものではない。色彩がないのだ。店も行き交う人々も全てモノクロで味気のない寂しい商店街。正規のルートではなく裏道を使ってここまで来たので、色彩を取られたらしい。
 僕はぜえぜえと必死に酸素を取り込みながら裏葉の姿を探した。とある商店の前に人垣があり、その中に赤いスカートあった。モノクロの世界の中に差し込まれたその赤は、派手というよりも異端だった。その、異端なスカートを目印に近づけば、現世での無防備さが嘘のように、すんなりと僕に気が付いてくれた。

「あれ。草介さんじゃないですか。こんな所で会うなんて奇遇ですね」
「そうだね。偶然、たまたま、巡り会って、しまったね」

 僕は膝に手をつき息を整える。一方裏葉は息を乱した様子もなく、不思議そうに僕を見つめていた。完全に運動不足だ。情けない。

「なんですかその言い回し。変な人」
「ところで裏葉。こんな所で何をしているの?」
「ええっと、これから梅雨に向かうので、主様がすこしでも晴れやかな気持ちで毎日を過ごせますようにと思って、これを買いに来たんです」

 裏葉はぐっと背伸びして、人垣の向こうを指さした。真似して覗いてみれば、店先にずらりと水槽が並べられていた。縦縞の和服を着たドジョウ男が、手際よく勘定をしては水槽を風呂敷に包み、丁寧に客に渡している。

「水槽?」
「ふふっ、半分は正解です」

 もう半分は、と聞く前に、彼女はモノクロの人垣の中にずいずいと入って行ってしまった。全く、人の話を聞かない狐だ。仕方がないので僕は、店先から少し離れた場所で裏葉を待つことにした。暫くすると赤いスカートをちらちらと揺らし、髪を乱した裏葉が人垣の中から帰ってきた。正方形を包んだ風呂敷を大事そうに両手で抱え、達成感に満たされた顔をしている。

「嬉しそうだね」
「はい。とても嬉しいです!」
「ところでこれは――」

 風呂敷の結び目に手を伸ばすと、態度一変睨まれた。包みを僕から遠ざけるように体を捻り、

「駄目ですよ。これは主様への献上品なのです。草介さんにやすやすと見せる訳にはいきません。……でも、どうしても、……見たいですか?」
「見たいなあ」
「どうしても、どうしても、中身を知りたいですか?」
「知りたいなあ」

 棒読みの返答に気を悪くする様子がないので、きっと裏葉も本心では見せびらかしたいのだろう。昔から変わらないその性格に、僕は笑いそうになったが我慢した。もしここで笑ってしまえば、へそを曲げてしまうに違いない。
 裏葉はふふんと鼻で笑い、「仕方ありませんねえ」と、風呂敷の結び目を解いた。
 それは確かに水槽ではなく、水を正方形に切り抜き固めたような不思議な水塊だった。壁がないからか水の揺らめきが全面に伝わり、きらきらと輝いている。中には瑠璃色の花が三輪と、半透明のクラゲが一匹。

「どうですか。素敵でしょう」
「へえ、これを買いに。うん。確かにこれは涼しげだね」
「草介さんもいかがです? お土産に」
「いやいや。僕はいいよ。残念だけどうちの所長はこういう風情を喜ぶような人じゃないからね。アイスでも買って帰ってやった方がよっぽど嬉しがるよ」
「おや、そうですか。それは残念」
 
 解いた包みを綺麗に元に戻し、また丁寧に抱え込む。今にも尻尾が弾け出そうなほどはしゃいでいる裏葉をみていると、なぜか穏やかな気持ちになった。他人事なのに嬉しいような、楽しいような。
 
「そういやこれの色は取られないんだね」
「当然です。この商品は特別製ですので」

 得意げに言う裏葉と肩を並べ、僕らは現世に戻るべく、出口に向かって歩き出した。



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