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私の生活はあの子を中心に回っている。親馬鹿を承知で言うが、あの子はこの世の誰よりも可愛い。ぱっちりとした目。凛とした澄まし顔。鈴を転がすような声。私を振り回すあの態度。なんて可愛らしいのだろう。なんて友人に言うと、呆れた果てた顔で「猫馬鹿はこれだから」と一蹴された。

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どうせ死ぬとお思いでしょう。私が後を追うとお思いでしょう。見縊らないでくださいませ。自惚れないでくださいませ。私は貴方の遺産で悠々と生きて、死ぬまで貴方を蘇らせる研究をすると心に決めたのです。当てが外れて残念でしょうが、どうか仏壇の片隅で、成功を祈っていてくださいな。

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大人になるためにはコーヒーを飲めるようにならなくてはいけない、とお姉さんに教わりました。それから僕は、コーヒーを飲む練習を始めました。今では砂糖とミルクをたっぷり入れて、ようやく飲み干せます。姉さんにそう報告すると「ブラックじゃないと意味がない」お姉さんはしたり顔で言いました。

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時間を巻き戻せるのなら。時間を巻き戻せるのなら、あの日に戻りたい。彼と喧嘩別れをしたあの日に。喧嘩がなければ私はきっと、彼と結婚していただろう。結婚して、幸せな家庭を、この家で。
私は後悔の念に駆られつつ、鴨居に縄を掛けた。べっとりと手にこびりついた血を拭うことすらせずに。

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冬の寒さに耐え抜いた、その鎧の如き蕾から、滲む花弁は血のようで。まるで私たちみたいね。問うてもお兄様は何にも答えず私の体を弄るばかり。愛故に。情故に。罪が為。秘密の恋。覚悟は仇花。心は椿。実を結ぶ前に首を落とそう。罵倒され踏み躙られる前に潔く、綺麗なままで、落ちて尚咲く椿のように

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感情の起伏がない子供だったと、ある日親から言われた。違う。起伏がない訳じゃない。貴方たちがやったのだろう。私の心を削り取り、平らに平らに均したのだろう。嫌だったけど我慢した。そしてまた削り取られて。それでも我慢して、削り取られて我慢して。残ったのは、死んでしまいたいという感情だけ

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向日葵印の飴が大好きだった。向日葵色の綺麗な飴の中に一枚、向日葵の花弁が入っているのがお気に入りで、僕はそれを毎日のように食べていた。注意書きなんて見もせずに。ある日の朝、鏡を見ると顔が向日葵になっていた。慌てて親に電話すると、あらあら食べ過ぎたのね、と呑気な声が返ってきた。

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花に芋虫がついていたので、ぷちりと潰した。その晩夢を見た。まさか殺した芋虫が夢に出てきて恨み言を言うなんて。私は堪らず吹き出してしまった。芋虫は悔しそうに体を捩って、私に抗議する。その姿がまた面白くて、腹を抱えて笑った。目が覚めると、見慣れない場所にいた。大きななにかが私をつぶ

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君の声が耳に残っている。どうして。なんで。大きな目を見開いて涙をこぼして僕に向かって叫んでいた。あの瞬間を思い出すといつも胸が痛くなる。僕だって、好きで君を裏切った訳じゃない。君を守るためには、ああするしかなかったんだ。世界を守るなんてくだらない理由で、君を人柱になんてさせない。

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私の知り合いにはテレビの異形頭さんがいる。実は今日、彼から花見に誘われた。花見と言っても場所取りをしない、所謂散歩しながらの花見。また今年も彼と。いや、彼の液晶に張り付く桜の花びらを見ることが出来るなんて。あまりの嬉しさに、帰りがけに少しお高いビールを買いこんで、一人祝杯をあげた

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殺してしまいなさいな。お姉様は云いました。私はその言葉が恐ろしく、いえ、その言葉を平然と放つお姉様が恐ろしくて、震えておりました。お姉様は真っ赤な唇に長煙管を添わせ、私を冷たく見下ろします。堪らずに顔を伏せると、お姉様は猫を転がすように、私の頬を、細く白い足で蹴り上げたのです。

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高校生の時、最寄りの無人駅に何かがいることに気が付いた。線路に落とした携帯を拾い上げてくれたことがきっかけだった。そんな事が度々あって、私はそれを駅員さんと呼ぶようになった。自殺を引き留めてくれたのもその駅員さんだ。見た目の割に優しいその人を私は敬愛している。例え人でないとしても

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部屋に案内された俺は絶望した。散乱した衣類と空のコンビニ弁当酒の缶。何てことだ。肝臓を食うためにこいつと友達になったのに。この乱れきった生活を想像すると眩暈がした。不摂生とストレスに漬けこまれた肝臓なんて食べる価値もない。俺は抗酸化作用のある食品を求め、スーパーへと走った。

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いつか芽が出ると信じて俺は努力した。才能なんてなかったから、兎に角頑張るしかないと思った。努力すれば、きっと、きっと。いつか芽が出て、花が咲いて、実を結べる。それがただの妄想だと気付いたのは試験の合否を見た時。出来の悪い種が発芽する可能性なんて、最初からなかったのだ。

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春は嫌い。冬のままでいい。だって、春になると嫌な事ばかり起こるんだもの。極寒の中をスカートで登校したり、テストがあったり、そうかと思えば花粉が飛んでいたり、クラス替えがあったり、進路の都合で仲のいい友人が他県に引っ越してしまったり。ほら、嫌な事ばっかり。春なんて大っ嫌い。

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貴方を壊す方法は、一つだけだと思っていた。その美しい顔をぐちゃぐちゃに潰してしまえば簡単に狂うのだと思っていた。だのに。貴方はなにも変わらなかった。顔が醜く潰れてしまっても美しいままだった。どうして壊れてくれないの。貴方が壊れれば、私の美が際立つのに。どうして。ねえ。なんで。

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電気代の高騰は春の遅延に直結する。春を作る工場に注入される公的資金の額は零に近い。当たり前に来る春に税金を使いたくない、との国民の声のせいで、工場は節約を余儀なくされているのだ。三寒四温ならぬ五寒二温になるかもしれぬ。しかしどうしようもない、と工場長は零す。世知辛い世の中である。

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君の呪いを僕は愛そう。君が不死者なら、僕が生まれ変わりさえすればまた会える。来世でも来来世でも、生まれ変わる度に絶対に探し出してみせよう。探し出して、また君を愛そう。永遠の別れなんて僕らには存在しない。それはとても幸せなこと。だから泣かないでほしい。待っていてくれ。必ず、また。

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握りしめていたはずの拳銃が宙を舞う。蹴り飛ばされたと理解した時にはすでに、私の体は地面に組み伏せられていた。こんな化け物に敵うはずがない。実力差を見せつけられた私は脱力した。もう抵抗しないと彼女に告げると、すんなりと手の拘束を解いてくれた。私の首筋にキスをしたあとで。

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君への手紙をしたためたところで、送る方法がないことは分かっているのだけれど、どうにも書いてしまう僕の女々しさを、君はきっと笑うのだろうね。いつか君が、こちらへ来たときにまとめて渡そうと思っているんだ。老眼鏡はいらないよ。僕が読んであげる。彼岸の縁で待っているから、のんびりおいで。

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カチコチと進む時計の針の音に、耳を傾けてはなりません。あれは生物に時を刻みつける音なのです。丁寧に聞けば聞くほど年を取る。若くいたいのであれば、時計の音に気が付かない生き方をすればいいのです。趣味に仕事に生活に、精一杯生きればよいのです。ただそれだけで、貴方は老いを克服できる。

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ざまあみろよと君は言う。どうしてそんな事を言うのか僕には分からなかった。首を傾げてみると、君は脂汗が浮く鼻でせせら笑った。痛みが上がってきたのだろう、余裕ぶっていた顔が歪む。僕はただ見ていた。何もせずに。彼は腹に突き立てていた匕首を横に動かした。切れ目から腸がぷるんと飛び出した。

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トマトを植えよう。大吉の提案に草介は苦い顔をした。植えたとしても途中で飽きてしまうに決まっている。草介はそう思い、大吉の提案を蹴ろうとしたのだが遅かった。はい、と苗と移植ごてを渡される。続いて軍手、支柱、肥料、如雨露。大吉は麦わら帽子を被り、手ぶらのままさっさと外へと出て行った。

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娘はおままごとにはまっている。日頃から好きだと公言して憚らない男の子をうちに呼び、仲良くおままごとをする姿は微笑ましい。眺めていると夜勤明けの夫が帰宅した。「しんこんさんごっこよ」と娘は自慢するように男の子にキスをした。帰宅早々ラブラブっぷりを見せつけられた夫はその場で崩れ落ちた

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