log2

 
烏天狗はキラキラ光るものが好きでした。ビー玉、クリップ、ビールの王冠、露店の宝石、腕時計。キラキラしているものならば、どんなものでも好きでした。けれど、少女と出会ったあの日から、少しおかしくなりました。いくらキラキラ輝いていても、あの子の涙だけは、ちっとも好きになれないのです。

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送電塔を見上げると、子供がいた。僅かな足場に座り、足をぷらぷらと投げ出している。驚いた私は目が離せなくて。そのうち子供はくるりと、前転でもするようにくるりくるりと、落ちてきた。
咄嗟にかたく目を瞑る。感じたのは大きな羽音、強い風。目を開けたときにはもう、子供の姿はどこにも無かった

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薄明の中、少女は庭で白い花を摘む。服の裾を朝露で濡らし、華奢な指を震わせて。ぷつり、と丁寧にひとつひとつ。そっと優しく柔らかに。
その光景はまるで絵画のようだと、人々は口を揃えて自慢げに、あちらこちらに言いふらす。
少女の瞳が悲哀の色に、染まっているとは気づきもせずに。

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お前を殺して私は寝るんだ。ぎりぎりと歯を食いしばり、私は布団から離脱した。もう使わないだろうと片付けていた緑の渦巻きを引っ張り出して火をつけた。
手の甲の痛痒さが増していく。見ると肌の一部がぷくりと腫れていた。畜生。油断した。もう夏は終わったとばかり。悔しがる私のすぐ側を蚊がーー

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バイト終わりに本屋に寄ると立ち読みをしている雨木に出くわした。ややっ偶然と奴は俺に声をかける。偶然だなんて見え透いた嘘を。こいつの魂胆は分かっている。俺を待ち伏せし、自然な流れで俺の家に上がり込んで夕飯をせびる気だ。雨木は読んでいた雑誌を棚に戻し、案の定「一緒に帰ろう!」と言った

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おはよう。いってらっしゃい。おかえりなさい。おやすみ。そんな些細な、日常の中で使われる言葉が、私はとても愛おしい。貴方と一緒になるまで、そんな言葉を家の中でかけられたことがなかったから。貴方と一緒にいるだけで、私の存在が濃くなっていく。私を見てくれる。知ってくれる。愛してくれる。

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海はよく喋る。海沿いの家で育ったせいか、僕は海の言葉が理解できた。役に立つことはなく、五月蠅いだけだった。海の低い声は朝から晩まで頭の中で反響する。騒々しい。それが嫌で海のない場所に引っ越したのに、なぜか今も声が聞こえる。帰っておいで。帰っておいで。母なる海は僕にご執心らしい。

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アセビは台所で立ち尽くしていた。目の前に広がる惨状はなんなのだろう。随所に白いなにかが飛び散っている。その中心でへたり込むリコの側にはハンドミキサー。どうやら卵白を泡立てようとして失敗したらしい。アセビは、白和えがとぼそぼそ呟くリコの肩を叩き「白和えは豆腐だ」と優しく教えてあげた

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この時期の、あったかい夜に触ると、実家の、自分の部屋から見えた桜を思い出す。あの日は生ぬるい夜で、雨は降ってなくて。窓からはライトアップされた大きな桜の木が見えて。その三本の立派な桜を、二階の部屋から見下ろすことが、中々の贅沢だったと知ったのは一人暮らしを始めてからだった。

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花見をしようと言い出したのは草介だった。場所は事務所の敷地内。花見当日、草介と裏葉は、零れそうなほどに咲く庭桜を見ながら、二人で火鉢を囲んでいた。網の上には餅が三つ。これも乙なもんだと草介が思っていると、台所の方から「醤油がないじゃないか!」と、梢の大きな声が聞こえた。

ねえ、飴ちょうだい。彼女が甘えた声で言った。いつものことだ。彼女は休み時間になると決まって私に飴をねだる。はいはい、と軽くあしらいながら、私は彼女の小さな手にそれを置いた。レモン色の飴だった。彼女は飴を口に含み、微笑んだ。ちゅっ。初めてのキスは、当然のようにレモンの香りがした。

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冷やし中華を始めたい、と彼女から言われたのは今日の朝のことで、それに対して、ご自由に、と答えたのもまた朝のことだった。午後三時。僕が帰宅すると客がいた。僕の客ではない。彼女の客でもない。聞くと冷やし中華を食べに来たらしい。彼女は、始めちゃいました、と照れた顔を皿で隠して言った。

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「幸せなんて掴めやしない。まるで夜空に浮かぶ月のようだ」と僕が零せば、「今はこれで満足しろよ」と甘夏を投げつけてくる君の粗雑さに、僕はいつも救われる。

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「紫陽花は、土の酸度によってその色を変えるという。もし、君を紫陽花の根元に埋めたのなら、いったいどんな花色になるのだろうか」
「ふんっ。首尾よく埋めたとしても、きっと僕の毒気にやられて、色を持つ前に花が枯れてしまうだろうさ」
男は大儀そうに足を組み、温くなった紅茶を口にした。

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齢十二にして、初めてラブレターを書きました。黄ばんだ羊皮紙。白い羽ペン。血のインク。不慣れな鏡文字でしたためたこの愛の手紙は、見事あなたの胸を打つことが出来るでしょうか。恋しさのままに綴ったこの想い。どうかどうかお願いします。私の愛よ、まっすぐ届け!愛しい愛しい悪魔さんへと!

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最近悪夢を見てしまう?ふむふむ。それはお辛いですね。では、とっておきのおまじないをお教えしましょう。お天道様のご機嫌がすこぶる良い日に、陽の気がふんだんに降り注ぐ場所でお布団を干すのです。するとお布団に溜まった悪夢のタネがたちまち浄化され、安眠を得ることが出来ますよ。お試しあれ!

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遠く遠くで、音がする。それは曇天に潜む雷竜の、重たく低い唸り声。途端、ぴしゃりと声を上げ、雲のかたまり割くように、紫纏い、暴れ舞う。紫電となりしその竜は、迷うことなく闇雲に、地へと向かって走り行く。
ああその姿の美しさ。見惚れぬものがいるものか。畏れぬものがいるものか。

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盛夏も晩夏も過ぎたころ、寝坊助蝉はようやく飛んだ。鰯泳ぐ空に気付かずに。
蝉は期待に胸膨らませ、しんと静かな真昼の中で、雄の呼ぶ声待っていた。何日経っても、鳴く雄一匹見つけられず、蝉ははたと理解する。泣くことすら出来ない雌は、秋の涼しさ一人で浴びて、死ぬまでその場で待ちぼうけ。

 


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