19 立冬

口ずさむ歌、日々遠く。霞む面影、虚しさばかり。乾いた手の先、嗄れた声音。僅かばかりの心すら、どうしようもなく持て余す。あの日触れた温もりが、思い返せば最後かと。あの日交わした約束は、なんの意味があったのか。あなたが好きな白い花。墓石に供える無意味さが、今日もわたしに突き刺さる。

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寒風に揺れる枯れ山に冬毛で膨れた狸が一匹おりました。狸は凍えた空を見上げふうとため息を落とします。まだしばらくは寒いなあ。狸が巣へ戻ろうと歩き出した時、茂みから人が飛び出してきました。今年の春から人里へとおりた友でした。狸は嬉しくて、かじかんだ手足の痛さも忘れて駆け寄るのでした。

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迫り来る 年末年始の 足音に 気づかぬフリして こたつで眠る
むくむくと 冬毛を纏った 愛猫は 上から見れば まるでツチノコ
憎らしい 振り向きもせず 行く彼の 背に向け投げる オナモミの種
朝焼けを 浴びて一面 燃えるよに ハゼの木以外も 真っ赤っか

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塩辛いだけの柚子胡椒。祖父が作れる唯一手料理だ。胡椒の辛さよりも塩味が強くて、僕も家族も苦手だった。冬になると嬉嬉として小瓶にすり切りいっぱいに詰めてくれるのだけれど、結局全部は使えず、残りは夏頃に捨てていた。祖父が死んで初めての冬。市販の柚子胡椒は味気なくて、寂しくなった。

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「クリスマスをお届けに参りました!」凍える朝、洗濯物を干していたら声がした。見渡しても誰もいない。するとまた「クリスマスをお届けに参りました!」と声が聞こえる。玄関かしらと回ってみれば、サンタ衣装のウリ坊がポインセチアの詰まったバスケットをしっかり咥え、ちょんっと座って待っていた

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我が家のおせちにルールはない。各々が好きな物を先着順に詰め込んでいくため、毎年混沌を極めたおせちとなる。特に昨年から参戦した私の甥っ子のユキくん(三歳)が曲者だ。去年なんかおせちの一段全てにたまごボーロを流し込んだのだから。今年はなにを入れるつもりなのか。不安半分期待半…えバナナ?

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あなたの言葉に傷つくような、柔らかな人でありたかった。くっと力を込めるとダメになる桃のようなあどけなさを、あなたは好いているのでしょう。私と、笑えるくらい正反対。人生に打たれて強くなった私はそうね、鋼鉄なのだもの。言葉で傷つくどころか跳ね返してしまう私を、あなたはきっと求めない

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橋をかけましょう。あなたのいる所まで。必ず。そう言って指切りをして別れたけれど、私は信じていなかった。私の家はあそこから山をふたつ越えなければいけないのに、どうやって橋を渡すのだろう。それに彼は山から出られない。神様の冗談かと笑っていたら、空に見事な虹がかかっていて。

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ぽとり。紅葉がひとひら、池へと落ちた。静かな水面にゆるく広がる水紋。暗い底へと滑り降りる真っ赤な葉を、彼は細長い指でぴっと示した。すると、沈み行く葉がにわかに浮き上がり、緋色の鯉へと姿を変えた。私は吃驚して彼を見上げた。得意げな笑みを浮かべる彼は、いつもよりも人間くさかった。

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きのこの図鑑を携えて、野山へ向かった月曜日。半日かけて集めた材料を、鍋で暫し煮詰めると、ねっとり邪悪な毒薬の完成です。ひと舐めすれば地獄の苦しみ。楽しみね。市販のものでもよかったけれど、やっぱりそれじゃあ味気ないし。誰かのために手間隙かけて作ること。これを愛と呼ばずになんと言う。

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花が咲いたというので、午後から会う約束をした。とっておきの、一番好きな着物を引っ張り出して、髪は編み込みなんかして、春霞みたいな淡いストールを羽織って。鏡の前で澄ましてみればそれなりな気がした。可愛い、可愛い。そう呪文のように唱えて一呼吸。いざ、決戦へ。

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くしゅん、くしゅん。締め切った部屋の中、女性と尾っぽがふたつに裂けた猫が揃ってくしゃみをしていた。「猫でもなるんだ花粉症」「ふんっ」「私のこと馬鹿にするからバチが当たったんだよ。反省しなさいミケさん」「うるさいねぇこの子は。いいからちり紙お寄越し」「ん」「はっ。やわらかひ」

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雨の宵には不可思議なものが出るという。春の夜ならば尚更と曾祖母が言っていた。どうやら令和の世でもその理は変わらないらしい。庭の古梅の傍に何かがいた。雨に打たれて、ふつり、ふつりと梅の小さな花が零れていく様を、蛇の目の傘を傾けてじっと見ている。瞬きをするとソレは音無く立ち去っていた


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