キャップに記載


 マリは購買でペットボトルのお茶を買い、食堂内の椅子に座った。ペットボトルの蓋を開ける寸前、とあることに気が付いた。
 蓋に『あたり』と書かれていたのだ。マリの眉間に皺が寄る。店員のいたずらだろうか。マリは顔を蓋へと近づけ、その文字をまじまじと見つめた。あたり、とは。
 どうやらマジックで書かれたものではなく、印刷されているようだった。
 ペットボトルのラベルを見てみるが、なにかのキャンペーンを実施している風ではなかった。『あたり』の意味は分からないが、まあどうでもいいやと開き直ったマリは蓋を捻り、ペットボトルを開けた。

 カチッ。
 目の前の景色が一変する。食堂の椅子に座っていたはずなのに、今は砂浜に立っている。砂浜の粒はきめ細かで、踏みしめればきゅっきゅっと音がした。見慣れないヤシの木が何本も生え、正面にはコバルトブルーの海が広がっている。そこにはマリ以外誰もいない。
 理解不能な状況にマリは声すら出せず、後ろへと一歩二歩下がる。三歩目で踵になにかが触れた。ばっと振り向くと、そこには真っ白いビーチチェアがあった。隣には大きなビーチパラソル。ますます意味が分からなくなってきたマリは、頭を抱えてビーチチェアに腰掛けた。
 きっと夢を見ているのだろう。きっと、食堂でうたた寝でもして、お茶を買う夢を見て、突然こんなところに飛ばされる夢を見ている。そうだ。そうとしか考えられない。今こうして考えているのも、夢の中での出来事なんだ。
 マリはそう結論付け、夢が覚めるまでこの場所を堪能することに決めた。
 靴と靴下を脱ぎ捨てて素足になると、感じたことのない開放感が溢れてきた。写真でしか見たことがない美しい海に足を浸す。波と濡れた砂の感覚、それとひんやりした海の温度が心地いい。マリの顔は自然と綻んだ。
 思う存分海で遊び、砂浜を駆け、喉が痛くなるほど大きな声で叫んだ。こんなにも自由な時間は初めてだった。
 暫く遊んでいると、小さく黒い何かが足を這っていることに気がついた。蟻かと思ったが、それは虫ではなく、人型をしたなにかだった。マリは不愉快そうにそれを摘み、地面に落とした。踏みつけると簡単に潰れた。
 すると、潰れたそれの中心から、次々と、同じ形をしたなにかが湧いてきた。マリはそれらを踵で踏んづけた。潰しても潰しても、それらは湧き出し続けた。何回も何回も、マリは足の裏でそれらを潰す。湧いては潰し、湧いては潰し。しかし一向に終わりが見えない。
 同じ動作を延々と繰り返したマリは、次第に潰すことに飽きてしまい、その場を見限るように離れた。
 汚れた足を海で清め、ビーチチェアに寝転んだ。背中に異物感があったので手を回すと、ペットボトルがあった。見ると購買で買ったものと同じ銘柄のお茶だった。
 喉が渇いていたマリは、何の躊躇いもなくペットボトルの蓋を開けた。

 カチッ。
 再び目の前の景色が一変する。マリは砂浜から食堂に戻ってきていた。空のペットボトルを握りしめ、椅子に座っている。
 夢から覚めてしまった。マリは残念に思いながら立ち上がる。夢の景色を思い出すと、なんだか心が軽くなったような気がした。今まで頭の中を占めていた悩みが、だんだんと薄れる気すらした。
 こんなに清々しい気持ちになれたのは何年振りだろう。
 マリはスカートのポケットに入れていた愛用のカッターナイフを、空になったペットボトルと一緒にゴミ箱へと投げ捨てた。



×/ 戻る /top