幸せ

私は世界中の誰よりも、彼のことを愛している自信があります。彼の優しい微笑みの下に隠された悲哀も懊悩も、もちろん全部知っています。
 彼の足元にある三つの不幸は。
 酒に溺れたお父様。
 みちならぬ恋に溺れるお母様。
 余所で貫通済みの婚約者。
 ああなんて散らかりようでしょう。これでは掃き溜めとなんら変わりがありません。こんな塵たちに囲まれて息をしなければならない彼の気持ちを鑑みると、胸が張り裂ける思いです。こんな酷い場所に、彼のような素晴らしい人が埋もれていていいはずがありません。
 だから私は、素人ながらに実行したのです。彼の人生に相応しくないものを片付けたのです。
 私は家政婦ですから、これもお仕事の一環です。掃除仕事の延長で、だだ、塵を土へと還しただけ――と言っても、流石に人間三つ分の塵を、瞬時に土に還す方法を私は知りませんでしたので、土に還す、という表現は語弊があるやもしれません。正確には土に埋めたのです。単に穴を掘って、塵を捨てて、埋めたのです。
 コンポストに収まりきれば一番だったのでしょうが、どうにも量が多すぎたようで、腕が何本か入りませんでした。
 私は均したばかりの土を見て、上に何を植えようかと悩みました。折角耕したのですから、何か植えないと勿体ないような気がしました。
 ふと、チューリップの花が頭に浮かびました。チューリップ。チューリップの球根にしましょう。春の暖かい風に揺れる色とりどりのチューリップ。素敵です。
 私は未熟な有機肥料がたんと入った花壇の前に座り込み、来るべき春を夢想しました。咲きそろうチューリップの花と彼の笑顔。ああなんて幸せ。



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