怖い夢を見た

気が付くと私は、とある部屋の中心に座り込んでいた。そこは四畳半程の狭い和室。床に煩雑に置かれた新聞紙以外に、別段目を引くようなものがないような、いやに殺風景な部屋だった。座ったままの状態で右を見る。そこには窓があったが、日光が差し込む余地がないほどに、雨戸でしっかりと閉ざされていた。自然光の一切が入らないであろう不健康なこの部屋を、蛍光灯の黄ばんだ光が照らし上げる。朝なのか夜なのかすら判断がつかない。まるで俗世間から切り離されたような空間だ、と私は思った。
 私は立ち上がり、この狭い部屋をぐるりと見渡してみた。この場所に、酷く強烈な既視感を覚える。暫くしてあることに気が付いた。どうしてすぐに気が付かなかったのだろうか。見たことがある筈だ。見覚えがない訳がない。ここは私の自室だ。なぜ今まで失念していたのだろう。毎日此処で、愛着のあるこの部屋で生活をしていると言うのに。いくら考えてもその理由は分からなかった。痴呆だろうかとも思ったが、まだそんな年輩でもない。
 ふと、とある違和感に気が付いた。それはとても不明瞭で、言葉にすら出来ない僅かな感覚だった。その違和感が何なのか分からない。ただ、変なのだ。おかしい。何かが違う。確かに見慣れた空間なのだが、何時もと同じ部屋ではない。そんな奇妙で曖昧な感覚が私を包み込んだ。何が違うのか。何に対しておかしいと感じているのか。頼りない頭で考える。

 違和感の正体は存外すぐに判明した。それは、壁に沿うように置いている棚のせいであった。棚自体には特段変わった点はないのだが、目隠しとして掛けていたカーテンの色が違っている。確か黒いカーテンを掛けていたはずなのに、いつの間にか白いカーテンに変わっていた。誰が掛け直したのか見当もつかない。もしかしたら私自身が掛け直したのかもしれない。それすらも、私には判別がつかなかった。
 だがカーテンの色の事で頭を抱え始めるよりも早く、私はこの棚に一体何が置いてあるか気になって仕方がなかった。またおかしなことを言うようだが、自室に置いてある棚の中身を、私は一切思い出せないのである。何故だろう。先程から思い出せないことばかりだ。不思議と言うより気持ちが悪かった。自分の記憶力がほとほと嫌になる。
 私は細く拙い記憶を辿ることを止めて、恐る恐るカーテンに手をかけた。見れば否が応でも分かるだろう。そんな薄い覚悟を胸に、棚を隠すカーテンを一気に開ける。目の前には、予想だにしない光景が広がっていた。

 棚の中身を確認し終えた私は思わず息を飲んでしまう。何故こんなものがここにあるのだろう。どうしてこんなにも、これほどまでに、自室の棚に、コレが蒐集されているのだろうか。
 その蒐集物があまりに気味が悪かったので、私は棚に綺麗に並んでいた薬瓶を、片っ端から掴みとり、壁に向かって投げつけた。ばりん。硬い音と共にそれは割れ、破片と共に内容物が辺りに飛び散った。途端、強烈な臭いが部屋に立ち込める。その、脳を溶かすような不快な臭いに一切構うことなく、次々に、気味の悪い物が入ったそれを壁へと投げ続けた。畳の上には内容物が、薬瓶の中で静かに沈んでいたソレが、ごろごろと、数えたくもないほどに、無数に転がっていた。
 そうして全ての薬瓶を割り終わり、すっきりとした棚の中身を見て漸く安堵する。これでいい、と私は心の底から強く思った。

***

 酷く、怖い夢を見た。
 その恐ろしい夢から覚めると同時に私は、文字通り飛び起きた。額から汗の粒がするりと流れ落ちる。夢見が悪かったせいで、寝ながらに冷や汗を掻いていたらしい。それを拭うように額へ手を当てる。酷い夢だった。起き抜け特有の不鮮明な頭ではあったが、すぐにある考えへと思い至る。

 棚の中身を確認しなければならない。

 素早く布団から起き上り、部屋の明かりをつけた。そして夢で見た例の棚へと近づく。棚にはきちんと黒いカーテンが掛かっていた。夢とは違う色をしたカーテンに手をかけ、躊躇う事なく一気に開ける。怖かった。本当に。もしあの夢が正夢だったら。もし私の棚が夢のようになっていたら。私は気を違えるかもしれない。あんな光景は二度も見る物ではない。

 そんな私の不安とは裏腹に、棚には整然と、確りと、当たり前のように、彼女達の目玉が入っている薬瓶が、ずらりと並んでいた。

 ああなんだ。やはり夢だったのか。張りつめていた気が抜け、思わず息を漏らす。ちゃんとあるじゃないか。私の大事な大事な、命よりも大事な宝物が。
 その宝物を、一つ一つ丁寧に確認する。薬瓶と言う名の狭い世界を満たすのは、臭気漂うホルマリンの海。そしてその底に沈むまあるい目玉。嗚呼何と美しいのだろう。これを完成された世界と言わずしてなんと言おうか。

 私は、幼いころから美しいものに惹かれる性質だった。それは決して煌びやかなものだけではない。一般的に美しくないと論じられるものだとしても、私が美しいと感じるものは腐るほどあった。そんな私が行きついた最高峰の美。それは、目玉であった。
 目玉という物は、この世で唯一無二の、掛け替えのない宝石である。どれも同じような形に見えるが、全てに全て、微妙に何かしらの差異があるのだ。世界広しと言えども、すっかり同じ姿形をしたものは一つとしてないだろう。この不完全な球体が、この不揃いの色味が。何よりも尊く、何よりも繊細で、何よりも麗しい。目玉は正しく、人体という名の陳腐な器に無理矢理嵌め込まれた、耽美なる芸術品である。そしてその作品を、器から丁重に抜き取り蒐集することで、私は誇り高い芸術家を気取ることが出来る。
 そんな芸術家である私を、四畳半程の、この美に溢れた早熟な世界の中心に据えることで、私の理想郷は完成され、完璧となるのだ。

 そうして全ての薬瓶を確認し終わり、満ち足りた棚の中身を見て漸く安堵する。これでいい、と私は心の底から強く思った。


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