夕焼け列車

 熟れた稲穂に、子鬼が一匹しがみついていた。秋風にゆられゆられて、今にも落ちそうなその鬼は、小さな手でぎゅっと穂先を握っている。赤い顔をさらに赤くさせて、まるでミニトマトみたいだった。あまりに大変そうだったので、私はその子鬼を右手の平ですくい田んぼの畦に下ろしてあげた。オオバコの葉の上にちょこんと立った子鬼は、慌てたように走り去っていった。
 小鬼の背を目で追いかけていると、私を覆うようにして影が落ちてきた。ぎくりとした。まさか見られてしまったのでは、と私は身を固くする。

「なにしてんの?」

 声のする方に顔を向けると、同じクラスの薊原喜子が立っていた。しゃがんだ私を見下ろすような格好で立つ喜子は、夕日の後光も相まっていつもよりも迫力を感じる。二つに結んだ髪もなんだかボクサーの肩掛けタオルにみえて雄々しかった。
 何をしていたと聞かれて、小鬼を助けてましたとは言えなかった。言ってしまえば最後、この友情はずたずたに裂けてしまうだろう。普通の人からしてみれば、鬼だの怪異だのはオカルトで意味不で、それを現実にあるなんて言えばめでたく変な子気持ち悪い子認定されてしまう。ここは無難な答えをひとつ伝えねば。
 山から降りてきた風が田畑を順々に渡り、私たちのそばを通り抜ける。両端に広がる稲穂の海が騒々しく音を立てて波打った。震えるスカートについた草を払いながら立ち上がり、私は喜子と見つめ合う。

「もう秋だなーって。ほら見てよ、一面金色」
「ふうん」

 喜子は疑いの眼差しを投げてきたが、私はそれに気が付かないふりをして別の話題に変えた。宿題のこと、席替えのこと、初めての文化祭のこと。いま私たちにとって大事な関心事の数々を、猫に餌をやるように小出しにして興味を引きつける。喜子はふんふんと素っ気ないながらもそちらの方に気を向けてくれた。
 夕焼けの空の下を二人並んで帰っていると、急に背中に重い衝撃を受けた。どっ、と抱きつかれたにしては激しい効果音で、こんなことする子は一人しかいない。

「ちょっとー、喜子ちゃんったらなんで置いてくの?」
「いつまで待っても来ないからだろ。トイレに何十分かかるんだよ」
「友達と話してたの。せめて帰るの一言ぐらい連絡くれてもいいじゃないかー」
「あたし携帯持ってないし」
「メモ!メモでいいから。下駄箱に入れてたら気づくから」
「はいはい。善処しまーす」
「わー。絶対しないー。喜子ちゃんがそう言って直してくれたことないこと覚えてるんだからねー」
「なにその言い方」

 妙な抑揚で反論する凛がおかしくて、私はつい笑ってしまう。ニッと楽しげに上がった凛の口角は、辺りを朗らかにする効能でもあるらしく、凛越しにみる喜子の目も心なしか柔らかな色になっていた。
 二人とは高校に入ってから知り合った。初めは面識はあれど、けして仲良しとは言えないぐらいの距離感だったのだが、まあいろいろと学校生活を送っていくうちに気がついたら一緒に帰る仲になっていた。
 駅まで続く一本道を、三人で仲良く歩いていく。喋るのはもっぱら凛で、聞き役の私たちは凛の話に頷いたり否定したり茶々を入れたりなんかして。傍から見れば身のない会話だが、それがゆるくて楽しくて、ある種の現実逃避のような浮遊感が心地よかった。

「さゆきちー!また明日ー!」

 大きく手を振る凛と、気だるげな一振りだけの喜子。手を振り返し、私は一人で駅舎構内へと歩いていった。駅員さんに定期を見せて、階段を上り、二番のりばのベンチに腰掛ける。
 今日も一日終わったなぁ、と一息ついていると母から連絡がきた。帰りにカレールーを買ってきて欲しい。その一文で現状が目に浮んだ。カレーになれず延々と煮込まれるだけの具材たち。私は了解とだけ返信して、ちょうど来た電車へと乗り込んだ。

 空っぽだった。いつもなら座れるか立つか五分五分の人数は詰まっているはずなのに。不審に思って一歩二歩と下がるが、閉まった扉に阻まれてしまった。ゆったりと電車が進んでいく。
 がたんごとん。がたんごとん。
 貸切状態であるのにどうにもイスに座る気になれずにいた私は、しばらく扉に背中を張り付けて棒立ちしていた。
 加速していく電車。窓から流れ込むオレンジ色と、カーブする度に踊る車内の影が私をひどく不安にさせた。纏わりつく不安を振り払うために別の車両も確認してみたけれどそちらも空っぽ。ああ絶対おかしい。だが逃げ出そうにも停車するまでどうすることもできない。私は先ほどと同じ扉へと戻り、車窓を流れる風景を呆然と眺めた。見知った風景がまるで巻き取られるように走り飛び、すとんと、トンネルに入る。走行音が耳に煩く響く。そのトンネルはやけに長く、いつまでたっても出口へ至らなかった。
 トンネル内に点々と設置された明かりが日常と唯一繋がっているように思えたがそれも次第に少なくなっていき、ついには外は明かり一つない闇になった。ジジッと短く痺れるような音とともに車内の電灯が明滅し、パッと灯る。と、私は息を飲んだ。
 車内の雰囲気が一変していたのだ。さっきまで現代的な内装だったのに、いつのまにかレトロな内装に様変わりしている。そしてなにより驚いたのは、いなかったはずの乗客が悠々と、二人がけの赤いシートに腰をかけ、飴色の手すりに肘をかけたりと、さも当然のように座っていたことだ。彼らはもちろん人ではなく、いわゆる妖異の者たちで。ざわざわと、霞が晴れていくかのようにその者たちの姿が鮮明になっていき、気がつけば車内は満席、つり革が埋まるほどの数になっていった。
 私は下を向く。板張りの床。増えていく誰ともしれぬ足元。くすんだローファーの先だけを見るようにする。余計なものは見ないよう心がけ、停車駅まで気配を消すことに徹した。私は乗ってしまったのだ。乗っては行けないと、家族から散々注意された隠世行きの列車に。

 私の予想は残念なことに大当たりで、電車が止まったのは見知った駅ではなく、駅名に見覚えのないどころか、なんて書いてあるのか分からなかった。複雑な漢字の鏡文字なんて誰が読めるのか。
 押し出されるようにしてホームに降りたものの、目の前に広がる現実に血の気が引く。どこを見ても妖異妖異妖異。穏やかそうな一部人型の者もいるが、あからさまに焦点のあっていない目をした妖異たちも駅の構内を行き来している。
 私はふらふらと端の方に寄り、それらから逃げるように壁伝いに歩いていく。人の流れとは逆方向に進んでいくと、まるごと売り切れ中、と赤く大胆な文字で書かれた紙を貼られた自動販売機を見つけた。私はそそくさとその近くへと避難して、「あー売り切れかー。飲みたかったなぁ、カッパ印のミックスジュース」みたいな顔をして立ってみる。
 綺麗に結べていた髪を下ろし、できるだけ顔を隠して周囲の妖異に溶け込もうと努力しながらも、視線は正面自動販売機から一ミリずらさずに、良くない頭をフル回転させてこれからどうしようかと考える。
 しかし、いくら考えても解決策はひとつだけだった。我が家の居候に助けを求めるしかない。不可思議怪異にやたら詳しい雨音家の用心棒。ハクを呼べばきっと立ち所に解決してくれるだろう。への字口からお小言を吹き出し、眉間には深いシワを刻んで、不機嫌そうな足音を立てて、必ず迎えにはきてくれる。最悪頭突きの一つや二つ食らうかもしれないが仕方がない。悪いのは私なのだから。でも。
 気が重いなあ、と携帯の画面をつけたり消したりしていると、ふわりと、ほろ苦く爽やかな菊の花の匂いが鼻をくすぐった。ついでささやかな鈴の音。

「なにやってんだい」

 弾けるように顔を上げると、キクさんが驚き呆れた顔をして立っていた。涼やかな目元が前に見た時よりもきつく感じられたのは、私の心理状態のせいだろうか。それとも普通に怒っているのか。愛想笑いをしてみたら、華奢な指で頬を抓られたので後者だったようだ。
 落ち着いた色味の着物をすらりと着こなすキクさんからは気品の二文字が滲み出ていた。ゆるく纏められた髪には白菊を模した髪飾りが添えられて、憧れるほど綺麗だった。

「キクさん」
「なんだよ」
「ここどこ」
「……まあたぼんやりしてたのかい紗雪」
「いや、まあ。いつもの電車だと思ってて」
「あれほど気をつけなって口を酸っぱくして言ってんのに聞かない子だね、まったく。──ココは彼岸と此岸の間の駅だよ」
「げっ。やっぱり」
「げっ、はこっちの科白さ。バカ娘。こんなとこに人間一人で迷い込みやがって。アタシが見つけたからよかったものの、もし一人でこんなとこいたら、迎えが来る前に攫われて神隠しに遭っちまってたかもしれないんだよ」
「すみません……以後気をつけます」
「ハク兄さんにも言っとこうねえ。帰ってこってり絞られな」

 私はキクさんのおかげで、帰りの電車に乗ることが出来た。複雑な作りの駅はまるで迷路で、一人では帰りののりばに辿り着けなかっただろう。
 道中、キクさんがあんまり強く手を引くものだから、腕が抜けそうになったけれど、文句を言える立場ではないので甘んじて痛みを受け入れるしかなく。帰りの列車内でふと見ると、手首にしっかりと赤い跡が残っていて、それが不思議と嬉しく感じられた。
 
 ***

 帰宅後、私はすぐにハクから怒られた。制服の首根っこを掴まれて、庭石に正座させられ。まるで時代劇のお白洲だ。ハクはお奉行よろしく縁側にどかりと胡座をかいて座り、罪人である私を軽蔑の目で見ている。弁解しようにも余地がないので、私は黙ってハクを見上げていたのだが、人間おかしなもので、笑ってはいけないと思えば思うほど、笑いがふつふつと湧いてきてしまう。

「なにがおかしいんだ」

 お奉行からのするどい一撃。未熟な私は笑いをを飲み込んで、なんでもないですと首を横に振る。母であれば適当にあしらって下手に隠さず笑うぐらいするだろうが、私はまだハクのことが恐ろしい子供なので、笑いは消え冷や汗が出る。

「お前は向こうに呼ばれやすいんだから気をつけろって、あれほど、言ったよなあ」

 詮議というか説教が始まる。ハクの怒りは最もで、悪あがきする気も起きない。はい。はい。と粛々に頭を垂れて聞いていた。

「雨音のいろんなやつを見てきたけれど、お前近年で一番迂闊だぞ。咲良も三津子も、お前と同じくらいぼーっとしてたが、今日みたいに自分から乗り込むなんてことはなかった。一度もだ」

 咲良は母で、三津子は祖母だ。ハクは梅の木に憑いた妖異で、何百年も前から雨音家の世話をしている特別な存在らしいのだが、私からしてみれば口うるさい親戚のおじさんとしか思えない。
 物心ついたときからハクは私の傍にいた。私が妖異を視認し始めると、まるで保護者みたいについて回り、妖異に近づかぬよう守ってくれた。その見守り活動は小学校まで続いた。中学に上がる頃には、妖異に関して、一応は分別を身につけたとめでたく判断されたので、同行不要とハクから申し渡されたのだった。一人で外を出歩けたあの日の爽快感はまだ鮮明な記憶として残っている。隣を見ても上を見てもハクのいない世界は、開放感に充ちていた。
 なんだか嫌な予感を覚えながらも、ハクの説教を受ける。

「だから電車通学なんてやめときゃよかったんだ」

 ハクは頬杖をついて、あの日を思い出すように私から顔を逸らした。
 冬の日。最後まで受験に反対してきたのは親でもなくハクだった。「こいつの不用意な性格を考えると、一人であんな離れた場所に通うのはまだ早いだろう」と頑なに認めてくれなかったのだ。しかし絶賛反抗期だった私は知らん振りして受験を強行した。怒るハクを説得してくれたのは母だった。今回私の不注意で、その信頼を裏切る結果になってしまったことがとても申し訳なくて。心が痛くて死にそうだった。

「一人歩きはしばらく禁止。明日からまた付き添ってやる。そんな嫌そうな顔すんなよ。仕方ないだろ、お前の先祖からの言いつけなんだから。文句があるなら先祖に言いな」

 顎で仏壇の方を示すハク。予想できていたとはいえ、そのダメージはとてつもなく大きく、私は力なく項垂れて母がいる台所へと向かった。「おかえりなさい。大変だったのねえ、次からは気をつけなさいよ」とこちらを見ずに言う母がなんだか遠くに感じて、私はなにも答えられなかった。口を閉ざしていると母がこちらを振り向き、「なあにその顔」とけらけら笑った。母は偉大だ。その笑顔で私の固く閉じていた口を、簡単に開かせるのだから。

「ねえ、お母さん。約束守れなくてごめんなさい」
「カレールーのこと?」
「それもあるけど。電車の。危ないことしないって約束したのに」
「あー、それ?別にいいったら」
「甘やかすなよ咲良」

 台所の暖簾をくぐり、ぬっと現れたハクに私は悪態をつく。ハクは、はんっと大げさに鼻で笑い、まるで監視するかのように側の柱に寄りかかった。

「立派なカレーになれなくたって美味しい肉じゃがになることも出来るんだから。ね!」
「それってどういう意味?」
「さあな」

 金魚の紅太郎がぷかりと顔を出した。

「期待に応えられずとも、諦めず、別の方法を模索しより良い結果を導きなさい、ってことではないですかね咲良様」
「そうそう。そんな感じ!」

 私とハクは顔を見合わせ、お互い納得がいかないように首を傾げた。


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