愛が生まれた日
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「ねえヒナタ、あなたネジに告っちゃいなさいよ」

 先ほどからジイ……と、ヒナタに注がれていると思っていた、明るい茶色の瞳は、まるで意味の分からないことを画策していた。
 すっかり春めいてきた花々の綻びる野原で、度肝を抜かれたヒナタは、摘み取っていた花が危うく指から擦り抜けそうになった。

「え……!? い、いきなり何を、テンテンさん」
「だってヒナタって、ネジのこと好きなんでしょ?」

 ケロリとして宣うテンテンに、嫋やかな野花を思わずと握り締めて、ヒナタは悲鳴を上げそうになる。当然のように決めつけてくるが、その根拠は一体どこから来るのか。当てずっぽうにしては的を射過ぎている。何かを言いたくとも、ヒナタの唇はパクパクと動くだけで喋ることも儘ならない。その内顔がどんどん熱を帯びてゆき、何れにしても弁解は不可能に思われる。

「テンテン、そんな不躾に……良くないですよ」

 この場にいたのが、常識的な彼一人だけで、心底救われた。リーならば、徒に触れ回ることはないだろうから。
 木陰の中で、ヒナタ達が集めた花々を丁寧に選別し、ミニブーケを拵えていたリーは、何とも奔放なテンテンに見兼ねて口を挟む。その間もテキパキと手を動かして、結んだリボンの端をチョキンと鋏で切り落とす。出来上がったブーケは優に十を超えていた。里の保育施設から託った依頼は、出来上がりが五十とあり、その為早くも集中力の切れてしまったテンテンが、どうやら手より口を動かし始めた。

「今日ってエイプリルフールでしょ? だからさ、その流れで、ネジに告白しちゃうってのはどうかなって。もし、万が一振られても、ウソでしたぁ〜って、言えば、ヒナタも傷付かなくて済むでしょ? 我ながらすっごい名案!」

 リーに眉を顰められても、テンテンの目の輝きは増すばかりで、手元の花をくるくると弄んでいる。
 それこそ、途方もなく嘘のような話にヒナタは聞こえるのだが。テンテンの目は夢を語るようでいてどうも現実を見ている。

「そんなの無責任すぎますよ。テンテン、人のことだからって、面白がって言うのはよしてください。大体、ヒナタさんの気持ちはどうなるんですか? それに、そんな軽々しく『ウソでした』なんて言って、ネジがヒナタさんを軽蔑してしまったら……」

 放心しているヒナタに代わって、テンテンを非難するリーは、容易に言い返せないヒナタの性分を多分に慮ってくれている。情熱と正義に満ち溢れる彼は、ヒナタにそのようなことを強いるのは良心が痛むのであろう。
 リーの懸念する通りに、ネジがエイプリルフールの仕組みを理解しているとは思えない。しかも、直訳すると『四月ばか』というわけで……。ネジは結構、そういうことに本気で怒り出すところがある(つまり冗談が通じない)。

「何よ、別に面白がってなんかないわよ。私は真剣にヒナタとネジのこと考えているの。危なくなりそうだったら、その時は私がちゃんと説明するわ。リーは邪魔しないでちょうだい。これはヒナタとネジの問題なの」
「じゃあ君だって関係ないじゃないですか……」

 テンテンの持ち出す独自理論に、リーは挫けそうになる。二人の仲を取り持ちたい思いは、あることはあるようなのだが、そういうことは当人達の意思や自然の流れに任せるべきだろう。エイプリルフールという危ない橋を渡ってまで、無理矢理事を運ぶ必要はない。
 何よ揚げ足取って、とテンテンが声を上げると、リーもテンテンを見据えて一歩も引かない。睨み合う二人は一触即発、臨戦態勢となった。

「あの、ふ、二人とも……」

 火蓋が切って落とされて、ヒナタの声が掻き消える。ぎゃあぎゃあワアワア言い争う二人の側で、ヒナタは宥めようにもおろおろするばかりだ。最早ブーケどころではない。
 それでも途中、リーが冷静さを取り戻して、長引くかと思われた口論は一応の収束を見せた。

「……とにかく。ヒナタさんの同意なしに、勝手なことをするのはやめてくださいね」

 ヒナタの手前、身内のケンカを披露してしまった気まずさからか、リーはコホンと咳払いをする。そしてテンテンにもしっかりと釘を打つが、彼女が寄越した返事は予想の斜め上を行く。

「え、ムリよ。だってもう呼んじゃったもの」

 ケロリとして宣った後、背後から、三人の良く知った気配が近付いてきた。







「ヒナタ様。話というのは……」

 春のあたたかな風景画に墨を一滴落としたように、その姿は凛として際やかだ。
 ヒナタの目の前に、黒い修行着の出で立ちであるネジが、脇にいつもの白い装束を抱えて立っている。どうやら修行の最中に、テンテンから呼び出しを受けて、区切りをつけて足を向かわせてきたらしい。
 頼みの綱のテンテンは、ネジの気配を察知した途端、リーを強引に引き連れて近くの茂みに身を隠してしまった。一人その場に取り残されたヒナタは、ネジを前にして硬直してしまう。何しろ今までの話の流れによって、猛烈にネジを意識してしまっている。まさか本当に、告白なんて……この自分に……ぐるぐると考えが頭を巡り、悩んだ末……後でテンテンが責められるかもしれないと、取り敢えずヒナタは話を合わせた。

「あの……き、急にごめんなさい、ネジ兄さん! 修行の途中で……じゃ、邪魔しちゃったよね。急いでいないから、いつでも大丈夫なんだけど」

 ヒナタから頼んだことではなかったが、ネジはヒナタから呼び出されたことになっている。言葉を捻り出しながらもヒナタの頭はフル回転で、次の言葉一手を必死に探し出す。あんまりおどおどしていると、不審がられるかもしれない。だからぼろが出ない内に、それとなく修行に戻っても良いのだと、勝手ながら遠回しに窺ってみる。ぎこちなく微笑むヒナタに、ネジは特に何を感じるでもなさそうで、意外にさっぱりとしていた。

「いえ、別に構いませんよ。それより、何かオレに用事でも?」

 忙しなく言葉を継ぐヒナタと対照的に、ネジはゆったりと構えている。大事な修行を邪魔されたというのに、ネジは嫌な顔一つしない。ネジらしい気遣いがじんと心に満ちていき、反面それはヒナタの希望を打ち砕いたのだった。
 このようにヒナタがネジを呼び出すなど、滅多にないので、何かネジは予感して駆け付けたのかもしれない。徐々に罪悪感が増す中、もう逃げられない――と覚ったヒナタは、到頭決意も固まらないままに、話の本題に入った。

「あ、あああの……あのね、ネジ兄さん……ネジ兄さんに……ちょっとだけ、お話したいことがあって……」
「はい、お話ですね。何でしょう」

 先程からそのつもりで来ているのに、畏まった様子のヒナタに、ネジが眦を和らげた。黒を装ったネジが、宛ら春のひかりに溶けてしまいそうに柔らかくなる。
 何となく子供扱いを受けたような、気がしないでもないが。真正面から注ぐ眼差しが、擽ったくて、ヒナタは真面にネジが見られなくなった。

「お、お話っていうか……あの、わ、私……ネジ兄さんと……その、ね……お、おつ……お付、き……」

 声が閊えて、上手く喋ることができない。震える睫毛の先にネジの表情は遮られている。そもそも告白とは何を、いや何から告げれば良いのだろう。肝心なところをテンテンに聞きそびれてしまった。
 ヒナタの切れ切れの声に、耳を欹てていたネジは、機転を利かせて、その先を推察した。

「おつき……お月見ですか?」

 恍けているようで大真面目なネジのそれに、茂みの中のテンテンが堪え切れずに吹き出している。早々にヒナタは、恥ずかしさと逃げたい気持ちでいっぱいだ。

「ち、ちがうよぅ……」

 紅潮した目元に涙を薄ら浮かべながら、それでもヒナタはその場に留まった。前方にはネジ、後方にはテンテンと、どこにも逃げ道がないのもあった。けれどもヒナタの為に、こんなにも親身になって寄り添ってくれるネジならば、もしかしたら……と夢みたいなことを一瞬だけ想像してしまった。

「私……とね、その……っ、おっお付き合い、して、くださらない……ですか?」

 慣れない言葉のオンパレードにヒナタはかなり苦しんだ。いつもと言葉遣いが若干可笑しい。
 お付き合い? とたどたどしい台詞をそのまま投げ返してくるネジは、残酷なことに、何もピンと来ていないらしかった。ヒナタはネジのそういう、堅すぎるというか、意外と隙のあるところに、惹かれるのだけど。今は察して欲しかった。まさか『お月見』にネジを誘い出したい訳でもない。
 ここまで来たのなら、希望に懸けてみたい。ヒナタは真っ赤な顔でネジを見つめて、殆ど吐息だけ吐くように、そこに一途な想いを乗せた。

「に……さん、が……あの……す……すき、だから」

 あまりに消え入りそうで、いや、半分消え掛かった声で、ネジに届いたのかすら分からない。
 その全容を、聞き届けたのか否なのか、よっぽど想定外であったのか、ネジは固まっている。

「や、もう、わたし……っ、ご、ごめんなさい、変なこと言って」

 流れに任せてとんでもないことを言ってしまった後悔がヒナタを襲う。沈黙に堪え兼ねて掌で顔を隠してしまうが、ネジの姿が見えなくなっても決してなかったことにはならない。触れた頬が燃えるように熱くて、息が上手く吸えない。

「ああ、いや……ちょっと、突然のことで……何が何だか」

 やっとのことで、そう告げたネジは、未だぼやけた頭が働かないようだ。ヒナタがチラリと窺うと、困惑したように目を伏せて、返事を紡げないでいる。
 そろそろこの辺りで、テンテンが茂みから出てきて、エイプリルフールのネタばらしをする頃合いだろうか。ヒナタはそれよりも、真率なネジを口籠らせてしまっている事実に何だか胸が痛んだ。ああ、ネジを困らせてしまうのだったら、迷惑だったのならば。一生この胸の中に秘めていても厭わなかった――――。

「……少し、考える時間をください」
「へ……?」

 先走った感情を呪うように、唇をぎゅっと噛んだヒナタを、ネジは或る意味に解放した。この場では判断でき兼ねると、苦悩の末そう思い至ったようなネジは、直ぐには告白の返答をしなかった。
 悲観とは取れない、かと言って希望を繋いだとも言い切れないそれに、肩透かしを受けたのはヒナタだけでなく、出て行くタイミングを見計らっていたテンテンとリーも同様だった。三人共、呆然として時が止まっている中、ネジが去り際にヒナタに向けた言葉を、何となく耳に拾った。

「なるべく早く、お返事します」







 テンテンの際どい介入によって、一世一代の告白をしたヒナタは、振られることも、また受け入れられることもなく、ネジにより話を一度持ち帰られた。
 まさか今更エイプリルフールを告げるような雰囲気ではない。となれば、あれは紛れもなくヒナタからの本気の告白となる。確かにその気持ちに偽りはないけれども……どんな返事にしろ、これでは恥ずかし過ぎて当分ネジの顔など見られたものではない。
 少し熱を帯びたような頬に、気を紛らわすようにして、ヒナタは懐から淡いピンク色の花の栞を取り出した。昨日、ブーケ作りを手伝った時に、何輪か持ち帰って押し花にしたものだ。テンテンとリーに、と思って用意してきたのだが、何だかネジのことが頭から離れず、渡せずじまいだった。
 花を見ているとざわついた心が落ち着いてくる。緑の中に咲き綻びる花も、本を開く度に出逢える栞の花も、ヒナタはどちらも好きだ。特に花の構造や細部が良く窺える押し花は、見ていて飽きない。風に揺れていると見つけることのできない、花弁の細かな模様、縁が僅かに藤色がかる色の神秘に、いつしかヒナタは秀麗なネジの面影を重ねた。
 ネジはヒナタにどんな返事を呉れるのだろう。何でも真面目に捉えてしまうネジだから、余計なことでヒナタを気遣っていないかと心配になる。
 拒絶してくれていい、けれど、できればまた従兄妹として側にいて欲しい。もう他に何も、望んだりしないから。

 大凡何時間、こうして当てもないことをぐるぐると考えているのだろう、冷えたヒナタの手元に影が落ちた。
 そっと顔を上げると、傾き出した日差しを遮って、墨汁のような黒髪を、長く頬に垂らす、ネジがいる。

「ヒナタ様……少し良いですか?」



 ヒナタをアカデミーから連れ出す道中、それからネジは何も喋らなかった。何を心に決めたのか――それとなくヒナタは気にしてみたが、ネジの表情からは何も読めなかった。
 気まずさも感じながら、寡黙な背中に大人しくついていくと、目の前が開けて、昨日の花畑に辿り着いた。夕刻に差し掛かる今時分は、次第に弱まる陽光と相俟って、幾らか涼しい風が吹いている。
 ネジの重たげな後ろ髪が、目の前でふわりと攫われた後、ポツリとネジの声が零れた。

「僭越ながら……あれから、一晩考えました」

 鼻筋の通った、端整な横顔を一瞬見せて、ネジはヒナタに向き直った。同じ一族だが、彼はヒナタに近いようで、どこか遠い風貌をしている。
 風に僅かに震える繊細な睫毛をヒナタは見つめた。連れ出した理由は言う迄もなく、ヒナタからの告白の返答をする為だ。

「こんなオレのことを、あなたが、そういう風に想ってくれていると、知って……何というか。オレは少しも、あなたの気持ちに気付けなかったから……」

 伏し目がちでいるネジの、その声の先にヒナタもゆっくりと目を伏せる。ネジがどれほど悩んで、ヒナタを想い、心を込めて言葉を紡いでいるか、手に取るように分かって、ヒナタは小さく首を横に振った。それだけで胸がいっぱいになってしまった。こんなネジだったら……きっとこれからも、今まで通り、ヒナタの側にいてくれる。

「だから…………オレもその、気付いたんです。自分の気持ちに」

 切ないような、だが確かな安らぎに包まれていた中、珍しく言い淀んでいるネジが不可思議で、ヒナタは眼差しを向ける。
 ネジの――ヒナタとは異なった鋭さを持つ、花のように繊細な模様を持つ白眼が、真っ直ぐにヒナタを射止めていた。

「ヒナタ様、あなたさえ良いのでしたら……オレとお付き合いしましょう」

――――あなたが好きです。
 いつもの凛とした声が、大凡聞いたこともない言葉を、ヒナタに向けて告げている。
 逃げずに愛を告げたヒナタの勇気に、応えるように。
 想像すらできなかった返答に、ヒナタの頭が追い付かない。瞬きさえ忘れてしまっている、あどけない表情のヒナタに、ネジがそれとなく、思い当たることを口にした。

「ヒアシ様のことは、心配ないです。事前にオレから、ヒナタ様に交際を申し込みたい旨を、お話しして、既にお許しを頂いています」
「え……!?」

 ネジの周到な根回しに耳を疑ったのはヒナタだけではなかった。図らずとも三人分の驚きが、声に出てしまったのだが、ネジが茂みに紛れたテンテン達の存在を気にする素振りはない。というか昨日から、この男はヒナタしか見えていない、多分。
 あの父が、本当に許したのだろうか……。ヒナタの気にするところは其処ではなかったが、話が飛び過ぎて何が何やらだ。昨日のネジもきっと、こんな気持ちだったのだろう。
 ほんの少し前まで、“従兄”として慕っていたのが、早くも日向家宗主公認の仲となった。取り分けネジの生真面目さと几帳面な心配りが、こうも進展を加速させたのだ。

「ヒナタ様……不束な男ではありますが、オレなりに全力を尽くすつもりでいるので……どうぞこれから、よろしくお願いします」

 ネジが引き締まった表情のまま、何かの儀式のように堅苦しく頭を下げてくる。あたふたしたヒナタがそれを止める間もなく、面を上げたネジは続いて「お送りします」と従者張りに細やかに動く。
 ネジはヒナタの告白を受けて、自分の気持ちに、どのように気付いたのだろう。ネジの気持ちとは。若しかして、絶対的な忠節をおもみす義務感なるものか。
 探るように見上げたヒナタの白眼に、独りで気張っているようなネジが目を留めた。それは心に湧いた、小さな杞憂を払拭させるくらいに、やがて穏やかな微笑を見せる。
 
「ヒナタ様、もし、よろしければ……帰りがてら、散歩でもしませんか」

 そっと控え目に差し出された手に、ヒナタはその瞬間全てを感じ取った。
 義務でもなんでもない。家のことなどこれっぽっちもネジは見ていない。
 ヒナタに気持ちを告げられて、その時初めて、大切な従妹と認識したのだ。




 
「うそ……カップル誕生……?」

 少し不慣れな感じで手を繋ぐ、二人のいじらしい後ろ姿にテンテンは茶色い視線をぱちくりと送っている。自分で嗾けたのだがまさか本当に事が運ぶとは。俄かには信じられない。

「でも今日は、エイプリルフールではないですし……うそではないです」

 隣でひっそりと一部始終を見守っていたリーは、冷静に事実を告げる。が、呆けているのかテンテンからの返事はない。偶然にも二人の姿を見掛けて、よし尾行しよう! と面白そうにリーへと提案した時のあの目の輝きはどこへやら。
 何はともあれ、平和な結末に終着して良かった。ヒナタが幸せであるなら、このような無計画な企みを仕掛けた後ろめたさもほんの少しは薄れた。

 エイプリルフールに一生懸命に気持ちを伝えたヒナタも。
 その翌日に堂々と嘘のつけない告白をしたネジも。
 どちらも真実なら二人の間に生まれた愛は本物だ。


 4月2日。
 ひとつの大きな、愛が生まれた日。



(了)




「ヒナタ様、実はね……昨夜、一睡もできていないんです」
「えっ……本当に? ネジ兄さん」
「本当です……今日は四月二日ですからね」

(エイプリルフールネジヒナ\(^o^)/)
閲覧ありがとうございます。



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