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 冷気が容赦なく肌を刺して、朝から冷え込んでいた。まだ11月の初旬だが、着物の隙間から入り込む空気は真冬のそれと変容している。
 時折古めかしく軋む廊下を進みながら、緩みのない襟元を更に締めたネジは、居間に目を向けふと足を止めた。耳を傾ければ、中からコホ、コホと小さな空咳が漏れ聞こえる。戸を開けるなり、少年らしくもあり明達な眉目が顰められた。

「ヒナタ様。何をしているんです」

 意識しなくとも鋭くなる少年の声は、冷え切った居間に殊更つめたく響いた。それはかの少女にも届いているのだろうが、返事はなかった。
 誰もいない窓辺にぽつんと、短い濃藍の頭が佇んでいる。ここ数日体調を崩して自室に籠っていたヒナタだった。久し振りに姿を見るが、長らく休養を取っている為か気配が酷く朧げだ。弱っているとはいえ、それにしても隙だらけでとても宗家に生まれた忍には思えない。
 ネジの呼び掛けにも反応せず、ヒナタはぼうっと庭の景色を眺めていた。朝方ハナビに稽古をつけたヒアシは、その足で会合に出向いており、今は二人の去った物寂しい風景をただ延々と見つめている。ヒアシの方からヒナタの元に訪れることはない。こんな風に床に臥せていなくとも。多分、これから先も。厳然たる彼が盲愛するのは偏に、父親の思い通りに成長するハナビなのだ。

「部屋に戻らないと、叱られますよ」

 そんな取留めのない皮肉を言う為だけに、態々足を向かわせる。別に心からの忠告でもないそれは、彼女の欲しいものがどこにもないことを酷烈に示した。部屋から出歩くヒナタを見つければ、きっとヒアシは容態を気遣うでもなく僅かに顔を顰めるのだろう。母親に似て虚弱体質であるヒナタは、ちょっとした気温の変化で度々体調を崩し、つくづく忍には向いていないと思えた。
 彼女の至近まで行き、ネジが何となく視線を遣ると、ヒナタは薄手の寝間着姿であった。寒々しく、白い手足が裾から半端に出ている。

「兄さん、見て」

 小さいが、思っていたより張りがある声に呼ばれ、ネジは目を向ける。そこに思い詰めた表情はなく、ヒナタはただ幼さの残る笑みを見せた。

「今にも雪が降りそう……ね、そう思いませんか」

 いつもは少し、赤味の差す円やかな頬は、幾分ほっそりとして、おそろしいほどに白い。やはりまだ本調子ではないのか、そこはかとなく漂い入り混じる哀歓をネジは微笑みの片鱗に見た。

「さあ……分かりません」

 突飛なことを言い出すヒナタの、胸が痛くなる位の無邪気さ。応えるように、或いは避けるようにしてネジは窓の景色を見つめた。しかし11月にこの里で雪が降った例など、記憶を遡っても見当たらなかった。
 窓の外の、更に果てしない僻遠に眼差しを細めるようなネジに、ヒナタは不思議そうに首を傾げていたが、咳が零れて口元を押さえた。それきりネジに話し掛けなくなった。
 
 ひっそりと静かになった室内で、ときどき乾いたヒナタの欠片が零れ落ちる。籠の中に仕舞われ、その鍵を握られているのは自分だけではない気がした。その実ヒナタはヒアシを慕っているようにも恐れているようにも見えたが、今なら。
 咳を出しては頼りなく揺れる、冷えたヒナタの肩に、そっと掌が添えられた。


(了)
 

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