ブルーベリー
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 ドアを開けて最初に飛び込んだ、人目を引く珍しい髪色に、ん? と片眉を猿飛アスマは上げた。
 むさ苦しい男だらけの上忍待機所で、心細そうに縮こまりながら、下忍のくノ一が紛れている。アカデミーの入り口を間違えた訳でもないだろうし……しかし此処にいたって呼び出しが掛かる訳もないのに。室内には数人の上忍がいたが、煙草を吹かしたり新聞を広げていたりで、一人だけ紛れた少女を気にしている様子はない。

「おい、サクラか? こんな所で何やっているんだ?」

 考えるよりも話し掛けることを選んだアスマは、ドアを閉めてその側に行く。膝の上に両手を置いて、俯き加減でいたサクラは、名を呼ばれては……っと顔を上げた。知らない人だらけの居た堪れない空間に、少しだけだが顔見知りの人物がやって来た。それこそろくに言葉も交わしたことはなかったのだが、サクラの表情が目に見えて明るくなった。
 問い掛けに答える前に、こ、こんにちは、と行儀良く桜色の頭がアスマを前にして下がる。遅刻魔のカカシの受け持つ生徒の割には礼儀正しい。

「あの、カカシ先生を待っていて……用事が終わるまで、ここで待っているようにと、言われて……」

 きちんとした返答をしながらも、どこかサクラは舌足らずな印象があってあどけない。何だか心配が増す。教え子をこのようなむさ苦しい場所に放り込んで、カカシは何処に消えたのだろう。

「用事? 何の用なんだ?」
「ええと……火影様に、報告があるとか」

 サクラは未だ恭しく両手を揃えて膝の上に置いている。彼女の前にある小型のテーブルには、開封していないままの缶ジュースが置いてあった。待っている間にと、カカシに買い与えられたのだろうか、しかしこんな馴染みのない場所で、それを飲んで時間を潰せる程心の余裕もないだろう。

「サクラ。ガム食うか?」

 隣にドカリと、大男と言っても良い体格のアスマが腰を下ろして、瞬く間にソファーの空きを埋めた。その重さに、一応は革製であるソファーが軋んで、サクラの体が揺れる。真ん丸の眼を向けるサクラにニカッと笑い掛けて、紙に包装された薄いガムをアスマは差し出す。

「あ、えっと……」
「遠慮するな。いのだったら分捕っていくぞ。子供は子供らしく、こういうもの食ってろ」

 太く骨張った指先がちょこんとガムを持っている。が、無理に押し付けることはしない。こんな手で殴られたら一発で気を失いそうだと関係ないことを浮かべながら、サクラは自ら手を伸ばして受け取った。大きな手の中にあったガムはとても小さく見えたが、サクラの指先に収まると、何ら変わりのない普通サイズのガムだった。品物が、気に入らない訳では決してなかったが、ふう……とサクラはガムのある手元を見つめて溜め息を吐く。

「……やっぱり、子供、なんですよね」

 テーブルの上の灰皿を引き寄せて、煙草に火を点けていたアスマが、呟きに気付いて顔を向ける。

「ん? どうした?」
「……はやく、大人になりたくて」

 何だかアンニュイな少女の横顔に、煙草を咥えたままアスマはぽかんとしてしまう。どうやらさっきのアスマの言葉に気が消沈しているらしい。そりゃどういう意味だ? と内心で深読みをしつつ、当たり障りのない返しを選ぶ。

「ん……そうか? 子供のままの方が気楽だぞ。責任もない」
「そうじゃなくて……子供のままだと……その、釣り合わないから」

 もごもごと口籠る声に、謎が更に深まった。あんまり遠回しに探るのは性分ではない。己の相棒アイアンナックルの如く、アスマは真っ直ぐに切り込んだ。

「釣り合わない……? 何とだ?」
「……おとなの人と」

 周りにいる見知らぬ上忍達をちらと目に入れて、サクラはそれからテーブルにある缶ジュースを見つめた。果たしてそれが、意味があるのか、ないのか。少し伏せた瞳はカールをしていない真っ直ぐな子供の睫毛で色を隠す。

「……大人」

 単語を確かめるように呟いて、アスマも手付かずのオレンジジュースを見遣る。カカシが用意した物かは、不明だが、例えばサクラはブラックコーヒーにでも憧れているのかと思った。カカシはよく飲むから。
 アスマがまだ口を付けたばかりの、十分に長さのある煙草を灰皿に押し付ける。サクラの呆けた視線を手元に引き付けて、残りの白い煙を口から吹き出す。

「……そう、良いものでもないぞ。大人ってのは。変な諍いは絶えねぇし、恨まれたり嫉妬もされる。……けど、そうだな……オレはそういう時……」

 アスマの眼差しが、サクラを見る。乾いた荒野の色した眼は汚れた世界を知り尽くしている。
 大人はよく私利私欲の為に頭を働かせて他人を貶める。だがアスマには、闇に触れて荒んだ心を一瞬で光に染めてしまうような存在があった。カカシにとってのサクラも、きっとそうだろう。

「お前らガキの顔見ると、安心するんだよ。コイツらは絶対、裏切ったりしないって。肩肘張って気取らなくても良い。ありのままの自分を受け入れてくれる。
 その代わり、ごまかしは通用しないけどな。いつでも理由と説明を求めてくる。まあ、その分自分を見つめ直す切っ掛けを与えてくれて、正直でいられるな。アイツら、大人の都合なんか関係ねぇんだ。三日も焼肉屋通えば、そりゃ胃も凭れるっつうの」

 全く、勘弁してくれ……とげんなりとした顔でアスマは胃の辺りを摩る。途中から個人的な嘆きも加わった近況報告に、何だか気持ちがほっこりした。サクラの班はラーメン屋に行くのが、第十班の定番は焼肉屋なのだ。
……これ、アイツらには秘密な。こっそりと、唇に人差し指一本を置いてアスマが声を低くして言う。サクラも心得たとばかりにコクコクと頷く。不意に漏らしたアスマの教え子への本心、サクラは決して他言しない。

「大丈夫だよ。大人とか、子供とか。アイツはそういうの気にする奴じゃねえから」
「アイツ……?」

 ニィ、とアスマが白い歯を見せて笑い掛ける。……もしかして、見透かしているのだろうか。サクラの焦がれる、釣り合わない『おとなの人』を。

「『サクラ』のままでいろ。その方が良い。お前は子供の癖に色々と考え過ぎだ。アイツの頭の中のが、よっぽど空っぽだぞ」

 固まった表情のサクラに、今度はワハハと豪快に笑い出す。またも子供扱いを受けたのにアスマの笑い声は何か心地良い。重い恋煩いに悩んでいた心が、軽くなった。
 サクラは『子供』のままで良い。互いに、『大人』と『子供』のままで。

「……あんまり、悪く言わないでください……」
「おお、悪かったな」

 軽く諌められたアスマは悪びれる風もなく、だが年下の少女に向かって素直に詫びを入れる。心細い上忍待機所で縮こまっていた少女をそれは満面の笑顔にした。
 むさ苦しい男だらけの部屋の一角で。無邪気な花が綻びるように。

――サクラ、お待たせ。
 アスマの次に部屋を訪れたのは、サクラの待ち望んだ声だった。ドアの側に立つその姿を認めて、見る見るサクラの眼が見開かれる。
 アスマから貰ったガムとジュースを持って立ち上がり、サクラが目の前をひらりと通り抜ける。そして――カカシへと向かう手前で、振り返ってペコリとアスマに頭を下げた。秘密をきちんと守るよとでも言うかのように、サクラの唇にガムが押し当てられる。可憐な仕草にアスマは片手を上げて、別れの挨拶とした。

 カカシがサクラを連れてドアを閉めると、早速新しい煙草を取り出す。口寂しい唇に漸くそれを与えて火を点ける。
 煙たがるだろうかと、サクラの為に我慢して吸わなかったその味は、それはもう美味かった。







「サクラ……何食べているの?」
「ん……ガムです」
「へえ、そういうの食べるんだ」
「アスマ先生にもらったんです」

……ふぅん……と呟くカカシと歩きながら、サクラは夕焼け空を眺めてガムを噛んでいた。
 甘い子供向けのガム。しかし何を好きでいたって良いのだ。
 ずっと、『サクラのまま』で良い。アスマの言葉が気持ちを楽にする。この腕の中にある甘いオレンジジュースをいつまでも好きでいようと思う。
 夕空を横切る鳥の親子に頬を緩ませると、口の中にブルーベリーの甘酸っぱさが広がった。






















「サクラと何話していたの?」
「ん? 何がだ?」

 喫煙所で煙草を咥えていると、後ろから行き成り尋問を開始される。禁煙ブームの昨今、アカデミー内でも禁煙箇所が増えてきた。此処は数少ないアスマの心休まる場所だった。
 振り返ると想像していた通りの覆面の男がいた。しかし、顔を隠してはいるが、何か晒された片目に鋭く睨まれている。今更そんなものに、怯えることもなかったが。

「お前さ、何でブルーベリーガムなんて持ってるの? 甘い物食べないでしょ」
「ああ、昨日のことか」

 すっ呆けた返事にカカシは眉根を寄せる。何だか面白い反応だが、どうしたのだろうか。珍しい。要所で沈着なカカシが、敵意を隠さないなど。
 ポケットに入っていた甘いガムは、自分用ではない。いのやチョウジといった面々のちょっとしたご機嫌取りの為にと、偶々忍ばせていた。しかし、そんな都合……カカシに教える必要もないだろう。

「さぁ……教えられねえなぁ……」

 煙草を加えた口が、ニヤリと意地悪く持ち上がる。あんな所でサクラに心細い思いをさせた罰だ。一緒に帰りたいのなら用事とやらを済ませてから誘えば良い。
 自分の与えたジュースに口を付けていなくて、サクラから漂うブルーベリーの匂いに嫉妬でもしたのだろうか。アスマとしては、他所の恋愛事情など知ったことではないが――。
……やれやれ。男の嫉妬は、見苦しいぞ。

「お前も食うか?」

 昨日の残りのブルーベリーガムをにこやかに懐から出してみる。果実と甘味料の強い芳香が辺りに漂う。サクラだったら喜んで受け取るのだろうが……不機嫌な溜め息を吐き出して、“いらない”とカカシは大人げなくプイと顔を背けて行ってしまう。

「何だぁ? 両方子供か? ったく何しに来たんだよ……」

 片眉を大袈裟に上げて遠ざかるカカシの背中を見つめるが、振り返ることはない。アスマの見立ては、結構的を得ていた……かもしれない。

 サクラの思う『大人』は、案外『子供』に近いぞ。
 細長く煙草の煙を吹き出しながら、アスマはガムを懐に仕舞った。



(了)

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