君可愛いね
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 サクラは自分の隣で黙々と巻物を読み耽るサイを眺めていた。
 達筆過ぎて、果たして何が書いてあるのか、真っ黒な墨の乱舞を見てもサクラには良く分からない。しかし彼には“面白い”のだろう。“隣、良い?”とサクラが声を掛けるとゆるりと此方を見上げたサイが、“どうぞ”と言って直ぐに黒い瞳を下ろしてしまったのだから。

「……あんたってさ、どんなのが“可愛い”って思うわけ? ヒナタみたいなの?」

 サクラが恨めしい視線を、巻物に注いでいると、流石に意味が分からなかったのか、サイが此方を向いた。どうして彼女の名が出てくるのか、サクラも分からない。サイも聞き慣れない名に、不思議そうに首を傾げている。

「ヒナタさん……? あまり会ったことがないから、分からないよ。いきなりどうしたの」
「何よ、教えなさいよ」

 サイが、嘘を言わないことは知っていたが、この日のサクラは何だか追及してみたくなった。ぽかんとして、首を捻っているサイが、少ししらばくれているようにも見えた。

「どうしたの、サクラ。分かるように言って」

 強気な薄翠色の瞳と、何も臆することなく、サイは目線を合わせた。広げた巻物を、膝の上に置き、完全に読書を中断したようだ。
 休日にゆったりと絵を描いたり、溜まっていた書物に目を通すこの時間が、サイは大好きだ。それはサクラも分かっていたが、しかしもやもやと、心に不満を持ってしまっている。その、少しばかり不機嫌な様を、サイは感じ取ってか、至福の時間を手放して、サクラに向き合う。見つめてくるサイの眼差しは、少しもサクラを責めていない。却って真剣に自分と付き合って呉れる彼なりの優しさに、サクラは気まずくて目を伏せてしまう。

「だって……そういうの、言わないから……どんなのが可愛いのかなぁって」

 小さく声を出すと、幼子のように唇が尖ってしまい、何だか拗ねているみたいだった。ピン止めをして、今は三角型に晒されている、サクラの白く子供っぽい額を見遣りながら、サイは逆に尋ねた。

「可愛いって言って欲しいの?」

 えっ……と小さく声を上げて、サクラは弾かれたように顔を上げた。目の前には、自分をじっと見つめる、漆黒の瞳。窓の外の陽光を鈍く反射させながら、至極真剣な色味をしている。

「可愛いよ」

 答えあぐねるサクラに、構わずサイは告げる。完全に巻物をそっちのけにして、不満を零す少女の顔を覗き込む。

「笑った顔が可愛い。幸せそうに餡蜜を食べている姿も。ボクの隣で微睡んでいる横顔も。あと、怒った顔も。……とても可愛い」
「や、やだ……やめてよ……」

 紅く染まった頬が、サイから逸らされる。普段は皆無な、歯の浮くような言葉の数々に、単純にサクラは照れてしまった。

「真っ赤になって……可愛いね。サクラは夕焼けになってしまったのかな?」

 今はまだ日の高い、綺麗な空と揶揄って、サイが目を細める。逸らした顔を、無理に覗こうとはしないが、解放しても呉れない。
 サクラの頬の色味が、サイの暗い瞳にほんのりと、灯が灯るように、ぽっ…と浮かび上がる。サクラが夕焼けなら、サイは宛らその後に訪れる夜の空色だろうか。しかし子ども扱いをされたと、サクラはそれどころではない。

「な……なって、ない……っ」

 必死に目を瞑っているサクラの、額の横を、サイは再び見た。斜めに流したサクラの前髪の上に、いつもは見掛けない金色の髪留めが付いている。根元には、紅色のガラスの飾りが嵌め込まれている。見慣れない物であるから、サクラが自分で、偶に足を伸ばしている町のアクセサリーショップで、買い求めたのだろう。

「お洒落したの? 可愛いね。いつもこうしていれば良いのに」

 紅い髪留めに触りながら、サイが顔を寄せて、殊更甘く囁く。そっと、肩を抱き寄せて、体同士が密着するが、サクラは嫌がらなかった。それどころか、やっと、気付いてくれたのだと、昂った感情で潤んだ瞳が、サイを見上げる。

「サ、サイが……赤がにあうって、言うから……」
「うん、似合っているよ」
「本当……?」
「うん」

 たどたどしく語るサクラは、存外にサイの“子ども扱い”が嫌いではない。そう、サイは捉えている。丸い眼で見上げるサクラに、真面目にコクリと頷いて、サイはそっと顔を近付ける。額の横の紅いガラスに、キスを落とすと、サクラの顔が蕩けたように、ふにゃりと緩む。そのまま、サイの腕に嬉しそうに抱き付いてくる辺り、もう完全に機嫌は直ったと見える。夕日色に染まった頬を、擦り付け、何だかキスを強請られているみたいだと、サイが今度は額に唇を落とすと、ひゃ! とサクラが声を上げて燥ぐ。
 いつも自宅で過ごすだけの、詰まらない休日に付き合わせてしまって、内心申し訳なく思っていた。久し振りに聞いた、明るいサクラの笑い声に、人知れずサイの心が解れる。班だけの活動ではなく、暗部の仕事も掛け持ちしているサイである。近頃は里に不在のことも多く、寂しい思いをさせてしまっていたのかもしれない。
 指先で柔らかく、くたりと寄り掛かる薄紅の髪を撫でながら心に思う。本当は、連れて行ってあげたかった。店の中で何時間も掛け乍ら、サクラに似合う髪留めを、見立ててあげたかった――。




「サイだって……もっと……言ってくれれば良いのに」

 こてん……と頭をサイに凭れ乍ら、微睡んでいたサクラが呟く。ん……? と首を傾けたサイは、暫しして、“可愛い”って……と口にするサクラに、目元を緩ませる。さっきは“やめて”と言ったのに、女心とは実に理解に苦しむ。

「……サクラは、分かっていないんだね。本当に可愛い子には、可愛いって言わないんだよ」

 意味深な言葉に、寝ていた頭が起き上がる。透かさずサクラは、疑問を口にした。

「……何でよ、可愛いのなら可愛いって、素直に言えば……」

 言い掛けて、それは途絶えた。サイが、困っているように見えた。此方を見つめていたサイが、笑みを湛えたまま、眼差しを巻物に移す。いつの間にか開いていたそれは、やはり何て書いてあるのか分からない。只、サイには容易に“解読”出来るみたいで、静かにサクラに告げる。

「素直に、言わないんだよ」

 もう、中身に集中してしまっているのか、それからサイは何も言わなくなった。
 サイはいつも、何も言わない。
 どんなに女の子らしい恰好をしても、可愛いと言ってくれない。
……素直に、言えないんだ。


「分かった?」

 何となく、そんな心の声が聞こえたような気がして、サクラは最後に届いた声に頷く。照れ隠しのように、サイの手元が、読み掛けの巻物を広げ、その先を読む。
 サイが変わらず、腕を回してサクラの肩を抱いていたので、サクラの頭が彼の胸元にあったが、邪魔とは言われないので、其処に収まってじっとしている。サイを真似て、サクラはすらすらと流れるように続く墨汁の文字を目で追う。何て書いてあるかは、さっぱりだが、嫌いではない字体だ。躍動感があり、どこか任務の時に筆を操る、サイの姿を彷彿とさせた。 

 サクラの手が伸ばされ、巻物の片方の端が持たれる。二人で一つの巻物を広げ持ち、過ごす休日は何だかぽかぽかとして暖かい。二人の間に会話があってもなくても。可愛いと言われても言われなくても。町に買い物に出掛けなくても。それなりに楽しめている風なサクラに密かにサイは気付くことが出来た。





――でも、たまには……可愛いって、言われたい、な……。

 胸に寄り掛かりながらひっそりと思った願いに、くしゃりと、何も言わずにサイが薄紅の髪を撫でた。




(了)







伊藤咲子さんの『きみ可愛いね』という曲でイメージしてみました。
以前も同じ方の曲で『太陽の花』というカカサク妄想しましたが、あれからもう1年近く経つのですね…(^-^;(ぞっとしている)
今回の曲も本当に可愛くて……是非サイ君に言わせてみたいなぁ と思いまして、このお話を考えてみました。
私はあれですね、サイ君はサクラをブスと言い慣れてしまって、今更可愛いとか言えなくなっているのでは…引っ込みつかなくなっている? とか思っております(笑)
サイ君に甘えてしまうサクラちゃんが書けて楽しかったです(#^.^#)
久々に短編も書けて安らげました(笑)
ここまでお読みいただきありがとうございました。


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