キスの数だけ
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 不意に楽しげなお喋りが途切れてテンテンがネジを見た。
 ころころと表情の変わる彼女を眺めるのがネジは好きだった。いつまででも、気の済むまで語らせてやりたい。弁が立たないという訳でもないが、自分のことを率先して話すのが苦手なネジは、何より彼女の聞き役に適していた。
 隣で無口になっていたネジが気になったのか、どうしたの、とでも言いたそうな顔をテンテンがしてくる。勿論、彼女の話は聞いていて楽しかったし、もっと聞きたいとも思う。でもそろそろ、『話以外』のことをしても、良い頃合いではないかと思った。
 肩に手を置けば、途端にふるりとテンテンは震えて、ネジの掌に小さな強張りを伝える。恋人になってからというもの、何となくテンテンはネジに触れなくなったような気がする。照れからくるものだろうかと、その複雑な胸中を何でもない振りをして察してはいたけれども、ツッコミの時にもバシリと背中を叩かれないのは、ネジにとっては幾分寂しいことだった。
 だから、『与えて』しまえばいつもの自分を取り戻すだろうかと、ネジは自らの行動に理由と正当性を持たせる。時間を掛けて『恋人』という関係に慣れていけば良い。少しばかり強引だがそうでもしないと、自分達は永久に楽しい『お友達ごっこ』をしていそうな気がする。
 緊張を伝えるも身動ぎしないテンテンに、ネジはゆっくりと近付いた。怯えさせぬよう彼女の肩に置いた手から力を抜く。ネジの見目麗しい顔が至近まで来て、テンテンも何をするのか覚ったようだ。ネジの配慮した肩をピクリとさせて、白い頬が瞬く間に色付いてゆく。
 目を瞑るんだ……とネジが、まるで歯の浮くような台詞を、開きっ放しのくりくりとした眼に囁いて、やり方を教えると、テンテンは従うどころか益々茶色のそれを見開いた。仕方なしに、後ろに逃れられぬように背中を抱き込んで固定し、ネジは強行する姿勢を見せた。その内に、慣れるだろう……と構わずに、果実のように瑞々しい唇に唇をそっと寄せる。
 ネジが想いを告げて、やっと親密になれたお団子頭の少女は、ここに来て二の足を踏む。ネジの胸にやんわりと、緩く握られた手が置かれて、その先を阻まれた。

「……まって……あの……キ、キスって………あ、赤ちゃん……できる……って」

 触れる寸前のネジの唇に、そう、可憐な瞳が訴えてくる。滅多なことには動じない、流石のネジでも、暫く放心してしまうくらいの、初心さだった。
 愛しい塊を、今直ぐにでも抱きしめたいのを、堪えて、ネジは優しくテンテンを見た。

「……そんなのはでたらめだ。テンテンは、信じているのか?」

 何も知らない子供のようなテンテンを、笑うことなく、しかし柔らかな口調が逆に子供扱いをされたと感じたのか、テンテンは益々恥じ入るようだった。
 そ、そういうわけじゃないけど……と、弱い声で言って、しかし誤魔化し切れずに真っ赤になってゆく頬に、愛しさが込み上げる。ネジが指先で触れて、包み込んでみれば熱を持っていて、同時にゆっくりと持ち上がる、茶色の瞳。
 もう、逃げられない、と。それを白い自分の眼差しで射止めれば――。戸惑ったように、交互にネジの瞳を見つめていたテンテンは、やがて観念したのか、そっと瞼を下ろした。ネジももう遠慮はせず、やっと自分の方へと向いた唇を、柔らかく塞いだ。
 初めての触れ合いに戸惑っている唇を、解すように食む。テンテンは素直にじっとして、ネジを受け入れていた。ふっくらとした薄紅色の感触は、想像以上に気持ち良くて、見た目よりもずっと甘い。余りに無抵抗だから、何度も押し付けると、息継ぎの仕方も知らないテンテンは、その度に息を止めて、ネジのキスを受け止めるのに精一杯な様子だ。
 ネジが顔を離す頃には、目の前の顔が熟れた果実のようになっていた。ふぅ……と熱っぽい吐息がネジの顔に掛かる。茶色の瞳はとろんと蕩けて焦点が定まっていない。 未だ夢見心地でいるテンテンを眺めながら、ネジはちょっとした『悪戯』を思い付いた。誰にも気付かれずに、その口の端が緩く持ち上がる。

「これで六つ子確定だ。来月には生まれる」
「え……?」

 紅い頬をしたテンテンが、拙く首を傾げる。内容が分かっていないようなので、ネジは今一度――。
 今、6回しただろう? だから、六つ子。
 何の造作もなくさらりと言い放つ。誰が信じるのだという酷い妄言は、ネジとしては、奥手な彼女に付き合ってみただけだった。テンテンは目を見張り、そして今度は見る見る青褪めていった。

「ひ、ひどい! ネジ、だましたのね……!?」

 ネジの吐いた大嘘を、如何やら本気で信じ込んでいる。ここまでくると、彼女が一体どういった環境で育ったのか、気になるところだが……。テンテンに強く責められるも、全く悪怯れる素振りも見せず、ネジは首を捻ってみた。

「いや、待てよ」

 何か重大なことに思い当たった予感のする、ネジの真剣な声に、テンテンは静かになる。ネジから齎される次の言葉へと、不安と期待の入り混じる視線を送ってくるが、残念ながら、それは彼女を苛めるものでしかなかった。息を詰めているテンテンにネジは近付くと、ちゅ、とまた唇に軽く触れて、直ぐに離れる。

「……七つ子だ」
「なっ……!? 何てことするのよ! ネジのばかっばかぁ!」

 今の戯れのような軽い口付けに、更に一人増えてしまった。行き成り七つ子の母に仕立て上げられてしまったテンテンの憂慮は、計り知れない。不安と怒りの混ざった気持ちのままに、今度はネジをバシバシと叩いてくる。それを敢えて避けることもなく、腕で軽く平手を防ぎながらネジは平然としていた。取り乱してパニックを起こしているが、面白いから、そのまま見ていることにする。 

「ど、どうしよ……私、どうすればいいの? そんな、七つ子なんて、むりだよ……っ、まだ六つ子の方がよかったよぉ」

 そして、テンテンが頭を抱えてそんなことを言い出すから、ついに、我慢ならずにネジが吹き出した。六つ子なら良いのか。そうか。咄嗟に覆った掌の下で、ポーカーフェイスが完全に崩れていた。何かテンテンには、人を楽しい気分にさせる天性の才能があるのかもしれない。と失礼なことを浮かべて、何もなかったように表情筋で固めて元通りになった涼しい顔をネジは向ける。
 目にじわりと涙まで浮かべて、テンテンは本当に困っているらしかった。要らない育児の心配までして、自分に翻弄される彼女が、流石に可哀想に思えてきて、ネジは助け舟を出してやる。また嘘を重ねることになったが。

「じゃあ、神様にお願いしておく。最後のキスは間違いだったから、『六つ子』にしてくださいって」
「ええ……!? そ、そんなこと、できるの?」

 口から出た出任せに、驚きはするが、それでもテンテンは健気にも信じ込んでしまう。ネジは任せろと、不安がる瞳に大きく頷いた。

「ああ。男から頼み込めば、一人だけ、免除してもらえる。テンテンの為に、オレが神様に一生懸命頼んでおく」
「う、うん……お願いね? ネジ……」

 ネジの用意した、お伽噺のような優しい嘘に、テンテンは頷いた。
 さて、いつ真実を言おうか。それともこのまま二人でもう暫く夢を見ていようか。テンテンとの子供が六つ子だったら、子育ては仲良く半分ずつやろうか――。

「ネ、ネジ……? ちょっと、何笑ってるのよ、反省してるの!?」

 知らずと微笑ましい夢を見て微笑を浮かべていたネジに、テンテンが鋭く切り込んでくる。駄目だ。当分嘘とは言い出せる空気ではない。此方を睨み上げ頬を膨らませる姿はこの上なく可愛らしい。しかしテンテンを本気で怒らせると結構恐いのだ。ならばこのまま、二人で夢を。

「テンテン、テンテンは、可愛いな」

 憤慨するお団子頭を胸に引き寄せてぽんぽん叩く。子供扱いがやっぱり気に食わないテンテンはやめてよと声を上げる。そうして恥ずかしそうにしながらもネジの背中にそっと回される、彼女の手。
 気付けば恋人のように、いや、それより幾分か拙いが確かに二人は抱き合っている。ネジを元気に叩く彼女の手も今安らかな感触を与えるそれも、何方もネジは好きだ。こうして少しずつ慣れていけば良い。少しずつ、ネジの『恋人』になって欲しい。

 祈りを込めて髪へと落としたキスに、テンテンが信じられないような面持ちを上げる。
 大丈夫、数には入らないからと告げると、ぽかんとした愛しい顔にネジは声を上げて笑った。


(キスの数だけ、幸せが生まれる)



(了)

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