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TopMain花のお告げ
花の匂いがする。彼女が笑っている。その笑顔に自分も幸福感に溢れていくのを感じた。
眩しい日差しの下にいるような気がして目を開けたが、映ったのはよく見慣れた天井。ゆるゆると意識が引っ張り上げられていくのを感じて、ベックマンは体を起こした。未だに夢の中にいるような気がして、すん、と辺りの空気を吸い込むと、夢の中で感じたままの花の匂いがしてベックマンはサイドテーブルに視線を向ける。
ああ、これかとベックマンは合点がいった。昨日、連日の夜更かしを彼女に気取られてしまったベックマンは、よく眠れるようになるから!と花のアロマを贈られたのだ。言われるがままサイドテーブルに設置して寝てみたわけだが、なるほど確かに良く効く。窓の外を見ると、いつもの起床時間よりかなり日が高くなっていることに気が付き、ベックマンから苦笑いが零れた。

甲板に出る扉を開けると、ガツンと何か重いものに当たった感触がした。扉の外に出て裏側を覗き込むと見慣れた赤頭が蹲っており、さすがに理解不能な光景に言葉を失う。

「何やってるんだ…」
「吐き疲れて転がってたら、ど、ドアが急に…」
「こんなところで寝っ転がるな」

どうやらいつもの二日酔いだったことが分かり、気に掛けることもなく甲板へと出て行く。船はいつもと比べ静かだった。それもそのはずだ。今日は補給のために停泊して初日である。皆、観光やら買い物やらに出かけているのだろう。
タバコに火をつけて晴天の下紫煙を吸い込むと、先ほどのまどろみが蘇るようでふわふわと不思議な気持ちになる。何かを視ていた気がするが、もうそれがどんなものかもあまり覚えていない。ただ、余韻がいつまでも尾を引いていた。

「名前はショッピングする〜!って元気に飛び出してったぞ」
「そうか」
「全然大人しくするつもりないみたいだけどいいのかァ?」
「誰かついて行ったんだろう」
「おう、ヤソップが」

思わず同行したくなってしまう心配の仕方は、伊達に妻子持ちではないといったところだろうか。正直大変助かる。どこら辺にいるのだろうかとぼんやり考えながら島の風景を眺めていると、ぐったりした様子のシャンクスが並んで立った。

「で、お頭は朝から吐いてたと」
「洗面器が…おれのことを離さなくてな……」
「熱烈だな」

一頻り吐いたようだし、数十分後にはけろっとしているだろう。もうすでに昼過ぎではあるが、のちに元気に上陸していく様が目に浮かぶようだった。だが、今はベックマンと話す気分なのか、シャンクスがこちらを見上げてニヤリと笑う。

「なァ〜ベック〜。男か女か、どっちだろうな」
「お頭はどっちがいいんだ?」
「…んあ〜〜ん〜…、どっちも楽しそうだ!」
「フ……」

訊いておいて、どちらでも楽しそうと答えるシャンクスらしさに喉がくつりと鳴る。正直のところ、ベックマンもどちらでもよかった。どちらでも、ひどく喜ばしいことに変わりはないのだから。二人きりの時間というのは案外珍しく、船員がそんなにいなかった頃を思い出しながらしばらく話していると、「ベック〜!シャンクス〜!」と弾んだ高い声が響く。
二人揃ってそれに顔を上げると、ヤソップに荷物を持たせた上に更に自分でも持っている大荷物をぶんぶんと振り回しながら、彼女が船へと駆け寄ってくる。後方のヤソップが「走るなァ!!」と必死に引き止めているが、全く聞く気がないようだ。さすがに両手が塞がった状態ではベックマンも危ないと判断し、タバコの火を消してから手すりを飛び越えて陸地へと降りた。

「早かったな」
「ベックそろそろ起きてるかと思って、一旦帰ってきたの!」
「一旦…の荷物量ではない気がするが」
「えへへ…、あ、そう!見せたいおニューの服があるんだ〜!」
「それは楽しみだ」

名前の手から荷物を抜き取って、縄梯子を先に上らせる。ようやく追いついてきたヤソップがベックマンを恨みがましそうに睨みつけてくるので、ベックマンは肩を竦めて謝罪の意を見せる。

「悪かったな」
「もう…もうおれはついて行かねェぞ…!あんなにハラハラさせられて、なんの拷問かと思ったわ!」
「悪かった…」

その心労が分からないわけはないので、素直に謝罪を重ねる。これはさすがにヤソップが可哀想なので、後で名前にも注意しておかなければならない。直るかどうかは別問題であるが。ぷりぷりしているヤソップと共に甲板に上がると、シャンクスの青白い顔を見て名前が呆れて腕を組んでいた。

「また二日酔いー?私の作った味噌汁飲んだ?」
「アッ!忘れてた!」
「ばかだなー」

あとで温めてあげる、とため息をつく名前を、シャンクスが拝む。愉快な光景だな、と思いながら名前の荷物を部屋に運ぼうとすると、ぴたりと名前がくっついてきて、ある紙袋だけベックマンの手から持って行く。

「これ、着てくるから待ってて!」
「ああ」

先程言っていた服か、と思い素直に渡して船内へ消えていく名前を見送る。今から着替えるのであれば、荷物を運び入れるのは名前のファッションショーが終わってからだ。手持ち無沙汰になったベックマンは未だに今日の愚痴が止まらないヤソップの話を聞きつつ、名前が出てくるのを待った。

「じゃ〜ん!」

バン、と勢いよく扉を開けて登場した名前は、真っ白なワンピースを着ていた。綺麗な白で目を引くそれに、横にいたシャンクスが「おおー」と声を上げる。ベックマンは、太陽に照らされてワンピースを翻す名前に、花の匂いが鼻腔を掠めた気がした。ここに、アロマはないはずなのに。

「どう?どう?似合う?」
「ああ……、…やっぱり、白が似合うな」
「やっぱり?」

意図せず口にした言葉尻に、名前がきょとんとした表情を見せる。ベックマンも何かおかしなことを言った気がして、反射的に口元を押さえた。

「前も、着ていた気がするんだが…」
「いや…?真っ白ってあんま着ないから、挑戦だな〜って思いながらこの服買ったもの」
「……そうか」

何かの記憶違いだったのかと思い、珍しく答えの出ない事実にベックマンは思案に耽る。おかしい、白を身にまとった名前を綺麗だと思った、記憶とは呼べない、おぼろげな感触が胸の底に確かにある。これは一体何なのだろうか。考え込んだベックマンに、名前はこてんと首を傾げた。

「夢じゃなくて?」
「…ゆめ、」

口にすると、細い糸を辿るように曖昧だった感触が映像として頭のなかに広がっていく。
花の匂いと、温かな日差し。瞬きをすると瞼の裏に浮かんだのは白のドレスを揺らした名前の笑顔。

ああ、そうか。確かにこれは夢だ。ベックマンが視た、ずっと見ていた夢。

「…そうらしい」
「え、やっぱり夢だった?というかベックって私の夢見るの!?ど、どんな夢!」
「やだー、ベックのえっちー」

遠くからのシャンクスとヤソップの揶揄を聞き流して、どんな夢?としきりに訊いてくる名前の手を取る。突然のことに固まる名前に、ベックマンは小さく笑った。

「夢は、叶えるものだろう?」
「へ?」
「お頭、頼みがある」
「ん?」
「式を挙げたい」

静まり返った数秒後、シャンクスがぱっと瞳を輝かせて前のめりに頷いた。

「お、おおおお!!勿論だ!聞いたかヤソップ!?」
「聞いた!聞かなかったことにしてやんねェぞこれは!!」

二人が肩を組んではしゃいでる中、目の前の名前に視線を落とすと、顔を真っ赤にさせたまま未だに言葉を紡げずに口をはくはくさせていた。ベックマンが「嫌か?」と問うと、名前はぎこちなく首を横に振る。

「楽しみにしてる」
「な、なにを…」
「ドレス」
「……はは…、ベックはタキシード似合わなさそうだね」

その自覚はあったので、ベックマンは「善処する」と肩を竦めた。


花のお告げ


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