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初対面はお互いに最悪だっただろう。
ただの反射神経だったのだ。つい、背後から飛び掛かられるような気配を感じて、パウリーは咄嗟に袖からロープを出してその人影を縛り上げた。直後、か細い悲鳴が響いて、パウリーの目の前に簀巻き姿の女が転がる。女は涙目でじろりとこちらを睨み上げて、忌々し気に吐き捨てた。

「…変態」
「んなっっ…!?」

様々なショックでパウリーは硬直する。近くにいたカクが「職場の風紀は乱さんで欲しいのう」と呟いたところで、パウリーは我に返って慌てて縄を解いた。

「誤解だ!!おれはまた変質者かなんかだと思ってだなァ!」
「誰が変質者よ!」

縄が解けた女はふらふらと立ち上がって、パウリーに噛みつく。見れば見るほど普通の女で、さらに言うと少し服の露出が多めで、パウリーは勢いよく視線を逸らした。地面に打ち付けたらしい半身を擦りながら立腹の様子である女に、カクが歩み寄る。

「すまんのう、お嬢さん。パウリーの非礼を詫びる。して、ここは関係者以外立ち入り禁止のはずじゃが…どんな要件じゃ?」
「要件はないです。私、ルッチさんの追っかけだから」
「変質者じゃねェか!!」
「うるさい変態!!」

またしても変態と罵られたショックでパウリーは白目を剥く。無断侵入者はあちらの方だというのに何故ここまで糾弾されなければならないのか。それもこれも、ルッチの追っかけだと言うのならばルッチのせいではないのか。怒りの矛先を都合のいいように変えて、パウリーは我関せずといったように作業を進めるルッチを睨んだ。

「おいルッチ!お前の追っかけなんだからお前がどうにかしろ!!」
『そのお嬢さんに喧嘩を吹っ掛けたのは貴様だろう。自分でどうにかすることだポッポー』
「はァ!?おれは別に…!」

喧嘩を吹っ掛けたつもりなど毛頭ない。ただ成り行きで反感を買うことになってしまっただけだ。そうは思っても、少しでも女に視線を向ければガンつけられわざとらしく鼻を鳴らされる始末。プツンとこめかみ付近の血管が切れるのを感じながら、ちらちらと視界に入る生足にパウリーは怒鳴った。

「とにかく!そんな格好でここをうろつくんじゃねェ!部外者ならとっとと出てけ!」
「…部外者じゃなければいいのね?」
「…あ?」

女は含みを持った言い方すると、案外あっさりと踵を返す。最後にこちらを振り返って「また近いうち来るから」そう言い残して、女は去った。
嵐のような出来事に、パウリーは呆然とする。なんだか、嫌な予感。本当に勘でしかないが、あの女とこれきりな気がしなかった。面倒なことにならなければいいが、そう願うものの、そんなこと願っている時点で何かの前触れであることを表しているかのようだった。


数週間後、女はカラフルな制服を着て現れた。「サンドイッチのお届けです」という文言と共に。またパウリーが追い出そうとすると、カクにこらこらと止められた。状況が飲み込めず女を見つめると「アイスバーグさんに許可は取ってますから」と言うではないか。
どうやら女は、関係者としてドッグに入るにはと手段を考えた結果、サンドイッチ屋で働き、昼食の出前として、ここ1番ドッグに届けに来るというサービスをアイスバーグに売り込んだらしい。なんて無駄に行動力がある女だ。
女はふてぶてしい表情で、パウリーに「お一ついかがですか?」とサンドイッチを差し出した。やはり露出度が高い制服に文句を言いたかったが、その前に腹が減っていたのも事実だったのでパウリーはその日サンドイッチを買ったのだった。ハムタマゴサンドは予想を裏切ることなく美味かった。

女は名前と言った。彼女がドッグにサンドイッチを届けるようになって、それなりに経つ。初対面の時からは想像ができなかったが、元来明るい性格だったようで職人らと打ち解けるのも早く、今ではすっかりガレーラの男たちの人気者だ。昼食時の天使、なんて呼ぶ声も耳にした。パウリーは全く共感できないが。
彼女が訪れれば、皆作業の手を止めサンドイッチを買いに走り、彼女と談笑をしながら昼食の時間を過ごす、それが1番ドッグの日常になりつつあった。

「今日のおすすめはなんじゃ?」
「サーモンサンド」
「よし、それにしよう」

カクからお代を受け取った名前は笑顔でサンドイッチを手渡す。何故か今の今までパウリーには向けられないものだ。カクに続いてパウリーが目の前に立つと、名前はパウリーの要望を聞きもせずにハムタマゴサンドを差し出した。

「違うの食うかもしれねェだろうが」
「食べないなら返して」
「食う!」

もはやそこまでが恒例のやり取りになっていて、パウリーは乱暴にポケットから出した小銭を名前に握らせる。ハムタマゴ以外食べないとしても、つっけんどんな態度をされては突っかかりたくなるものだ。

「まるで夫婦漫才のようだな」
「わはは、わしには5歳児の言い合いに見えるのう」

誰が5歳児だ。もうパウリーと名前のやりとりを見慣れているルルやカクは愉快そうに揶揄ってくるが、昼飯時に一々相手をして時間を消費するのも嫌で、パウリーはハムタマゴサンドを不機嫌に貪った。

『クルッポー。ツナサンドを貰えるか』
「はい、どうぞ」

ルッチから注文を受けて手渡す名前は、他の奴と接する時とは似ても似つかない表情をする。はにかみながら浮かべる笑顔が、自分の時と対応が違いすぎて目を疑うほどだ。だが、初対面の頃に言っていたルッチの追っかけというのが、本当だっただけのこと。
ルッチのクールさにすっかりメロメロの様子である名前は、追っかけというわりに積極的なアタックはせず、いつも一定の距離を取ってルッチを見つめている。本当にただ見ているだけなので、ルッチの方は名前の視線を見事に受け流してずっと素知らぬふりをしていた。
害さえ及ばなければいいと考えているのだろう。パウリーはルッチのそんなところが気に食わないのだが。しかし、名前がそれで満足しているのであればパウリーがとやかく言う義理がないものも事実だった。

ルル達と談笑する名前をぼんやりと見つめていると、ふと名前の頭上に伸びてきた影にハッとして立ち上がる。名前目がけて倒れる木材に、パウリーは周りから上がる悲鳴を鈍く遠くに聞きながらロープを木材目がけて放つ。しっかりと巻きつけてから、パウリーは力の限りロープを引いた。
重量のある木材が倒れて悲惨な音が響き渡る中、パウリーは真っ先に名前の姿を追う。木材の倒れた方向をずらしたとはいえ、巻き込まれていないとは言い切れず冷や冷やしながら安否を確認すると、近くにいたルッチが即座にかばったようで名前は怪我一つなかった。

「っ、おい!!気をつけろバカ共!!」
「す、すいません!!本当すいません!名前さんお怪我は…!?」
「あ…大丈夫です」

作業ミスをしたらしい下っ端を怒鳴りつけてから、パウリーは怪我人が出なかったことに息をつく。名前もルッチの腕の中で無傷なようだし、パウリーがわざわざ声をかける必要もないだろう。収まってしまえば大したことのないハプニングだったが、先の瞬間は背筋が芯の底から冷えた。もう一度大きくため息をついて、パウリーは出したロープを回収していると、ルッチにぺこぺこと頭を下げている名前が目に入る。
ルッチの腕の中から解放された名前は先ほどの青ざめた顔とは違い、首まで赤く染めていた。まあ好いた男にあんなことをされたらそんな反応にもなるだろう。少女の顔つきをする名前を他人事のように視界の端で捉えて倒れた木材を片していると、名前が駆け寄ってきた。

「パウリー!」
「あ?」
「…ありがとう、助かった」

まさか素直に礼を言われるとは思っておらず、咥えた葉巻が零れ落ちそうになるほど口が開く。しかもあのルッチを置いてこちらに来たのだ。何かのドッキリかと思うほどあり得ない態度に、パウリーは呆けたまま頷いた。

「お、おう…」
「明日スープつけてあげるからそれでチャラね」
「別に何も強請っちゃいねェよ」
「私の気が済まないだけだから!大人しく受け取る!」
「なんでキレてんだ……」

すっかりいつもの調子を取り戻した名前は言いたいことだけ言ってのけると、踵を返して皆の輪に戻っていった。そんな姿を見ていると、傷一つなくてよかったという安堵の気持ちが今更ながら湧いてくる。同時に名前の背中が途端に小さく、華奢に見えて、パウリーは胸がざわつくのを感じた。

***

嵐が去った。アクア・ラグナだけでなく、もう一つの大きな嵐が。
今まで信頼する同僚だと思っていた者らから裏切られ、破天荒な海賊たちに振り回され、助けられ。そうして嵐を乗り越えたパウリーは、重たい体を引きずってとある病室を訪ねた。
部屋に入ると起きている姿が目に入って、そこまで大怪我ではないと分かっていたが思ったより元気そうな様子に肩の力が抜ける。病室に足を踏み入れて、第一声を散々迷った結果、パウリーは当たり障りのない台詞しか出てこなかった。

「…大丈夫か」
「私よりパウリーの方がよっぽど大怪我みたいだけど?」
「バカ野郎…女の体に傷が残る方が大問題だ」

振り返った名前はパウリーに力ない笑みを浮かべた。ベッドの傍らにある椅子に腰掛けて、葉巻を取り出そうとしたが禁煙なことを思い出して渋々懐へと戻す。パウリーは別に誰かを気遣うのが得意なわけではない。名前になんと続けて言葉をかけたらいいか分からず押し黙っていると、名前が困ったような声を出した。

「私そんなに傷ついていないよ。多分、思ったよりかは」
「……」
「あの人たち、何者だったの?」
「…世界政府の、諜報部員だった」
「…そう…」

名前を傷つけたのは、誰でもないルッチ本人だった。
サンドイッチ屋の店主はかなりのご老体で、店主の避難を手伝っていたら名前は少し避難が遅れたらしい。そんな中、運悪く出会ったのが正体をあらわにしたルッチ達。狼狽えた名前は気づいたら意識を失っていたそうだ。
殺さない理由があったというよりは、殺す理由がなかったのだろう。不幸中の幸いか、気絶した名前を発見した他の住民の手によって無事避難ができたようだったが、ずっと慕っていた男から殺気を向けられたというのは相当ショックで恐怖を感じた出来事だったであろうことは、想像に易い。
しかし、名前はしっかりとパウリーの言葉を飲み込んで、緩やかに頷いた。

「なんか、納得。ルッチさん一度だって私を見てくれたことないもの」
「……」

想いを向けてなければ分からないこともあったのだろう。パウリーは本当にあの瞬間までルッチ達を仲間だと信じて疑ってなかったが、心の奥底にある人間離れした冷たさを名前は感じ取っていたのかもしれない。女はそういうのに敏感な生き物らしいとどこかで聞いた。
本人が言う通り、そこまで強くショックを受けている風には見えなかったが、それでもパウリーが勝手に傷の深さを推し量っていいものではない。パウリーはエニエス・ロビーに同行してある程度吹っ切れていたが、名前はそういうわけでもない。

「ルッチ達の件は、おれと一部の人間しか知らねェ」
「心配しなくても言いふらしたりしないから」
「そうじゃねェ。…なんか、泣き言があるなら…おれが受け止めるって話だ」

名前はパウリーの言葉にぱちぱちと目を瞬かせると、可笑しそうに吹き出した。

「ほんとさあ…パウリーの方がよっぽど私のこと見てくれてる」
「んなっ…」
「見る目ないね、私」

パウリーがその意味を訊けずに固まっていると、名前が窓の外を見ながら「あのさ、」と軽やかに呼びかける。

「退院したら、またサンドイッチ届けに行くね」
「……もう、いねェのにか?」

そもそもの動機を辿れば、名前はルッチを追っかけるための大義名分を手に入れたかっただけなのだ。とはいえ、ガレーラの連中と今では大の仲良しである名前が、ルッチがいなくなったからといって配達には来ないなんて言い出すようにも思えなかったが、何故か訊かずにはいられなかった。名前がそう望んでいるようにも思えた。
振り返った名前は吹っ切れたように爽やかな顔で。そして、パウリーに向けて、いつだかに見たはにかんだ笑顔を浮かべた。

「他に届けたい人いるの」

顔が、熱くなるのを感じる。パウリーは向けられた態度に呆けられるほど鈍感でもなくて、しかし決めつけて受け取るのも恥ずかしく。耳まで赤くなるのを感じながら、パウリーは勢いよく立ち上がった。そんな様子をけらけらと笑いながら、名前は笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭う。

「第一印象は最悪だったのにね」
「…おれもだよ」

縛り上げてしまったからには、やはり責任を取る必要があるのだろうか。遠い過去のように思える初対面を思い出して、パウリーは痛む頭を押さえた。


災い転じてなんとやら


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