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TopMain比翼の鳥
出たくもない会議だったが、出ないと色んな方面からお𠮟りを受けるであろうことは分かっていたので、クザンがのそのそと会議室まで足を運んだ時だった。会議室前で神妙そうに屯をしているサカズキとボルサリーノの姿に、しばし呆気にとられる。何事かと思いクザンは珍しく自分から「どしたの」と二人に声をかけた。

「おー、クザン。いやァ〜、サカズキが会議の資料を家に忘れちゃってねェ」
「…え、じゃあもしかして今待ちの状態?」
「そうだねェ」
「なんだ、もうちょい寝ときゃよかった…」

わざわざ時間通りに来た自分が馬鹿らしくなってクザンは大きく肩を落とす。普段だったらこんな発言をすれば即サカズキから怒号が飛んでくるものだが、今回ばかりは原因が自分にあるため睨まれるだけに留まった。

「それで?誰かに取りに行かせてんの?」
「いやァ、サカズキの奥さんが届けてくれるって」
「ああ…、あの死ぬほど美人で死ぬほど恐い奥さんね」

うっかり軽口をたたくと、サカズキから拳が飛んできてクザンは「わっ」と声を上げながらそれを避ける。別に悪口を言ったつもりはないのだが、サカズキの気に障ったらしい。
サカズキの妻とは数えるほどしか会ったことがないが、海軍内ではかなりの有名人だ。

以前、海軍で祝賀会を行った際にサカズキの妻も出席していたのだが、その場でとある若い海兵がサカズキに飛びかかるという事件があった。あの性格だから海軍内でも恨みを買うのは日常茶飯事で、殺傷事件が起きそうになったこと自体は珍しいことではない。
てっきりいつものようにサカズキが叩きのめして終わりだと、周りも眉一つ動かすことなくその様子を見ていたのだが、サカズキよりも早く動いたのは隣にいたサカズキの妻だった。サカズキの妻は素早い動きで壁に掛かっていた薙刀を取ると、華麗に圧倒的にその海兵を叩っ斬ったのだ。
さすがにその光景にはセンゴクもつるも驚いた様子で、ガープに至っては「いい嫁さん貰ったのう!」と大爆笑していた。かく言うクザンも先ほどまでの、物凄く美人で穏やかな人だな〜、という呑気な第一印象がガラガラと崩れていくのを感じながら、もしサカズキが浮気をするようなことがあればサカズキ死ぬんじゃないかとぼんやり思った記憶がある。決して浮気などしないのだろうけど。

そんな思い出を記憶の彼方から引っ張りだしていると、部下がパタパタと駆け寄ってきてサカズキに敬礼を向ける。

「奥様がご到着されました。只今こちらまでご案内しています」

報告に対してサカズキは目を瞑って応え、部下は何も言わずにそのまま下がる。ご案内している、ということはここまで来るのか、とクザンは顎をさする。サカズキの妻は見目もそうだが、とても佇まいが綺麗な女性だ。手を出すつもりなど毛頭ないが、あれほどの美人お目にかかることは少ないので、会えたらラッキーぐらいな気持ちがあった。
そんな野次馬精神が働いたクザンはドア潜ることなく、サカズキ、ボルサリーノと並んで会議室前に留まる。つるに見られたら「デカい図体で集まるんじゃないよ」とでも言われそうだ。傍から見てかなり暑苦しい。
かと言って集まって話すことがあるわけでもないので、奇妙な沈黙が流れたまま到着を待っていると、むさ苦しさを吹き飛ばすような淑やかな声音が響いた。

「旦那様」

ぱっと男三人が顔を上げると、サカズキの妻、もとい名前は恭しく腰を折った。そして改めてボルサリーノとクザンを一瞥すると、また軽く頭を下げる。

「ボルサリーノ様とクザン様、お久しぶりでございます」
「どーも。相変わらずお綺麗で」
「クザ〜ン」
「ふふ、クザン様は相変わらずお上手で」

咎めるようにボルサリーノに名を呼ばれたが、名前が上手い具合に受け流すので変な空気になることもなく、サカズキから再び拳が飛んでくることもなかった。挨拶を終えてこちらに静かに歩み寄ってきた名前は、サカズキが忘れたという書類を差し出す。

「こちらでお間違いないでしょうか」
「…ああ、間違いない」
「申し訳ありません、私も早く気づければよかったのですが」
「構わん、忘れたわしのせいじゃけェ」

クザンは未だにサカズキという男が女性と静かに話している所を見ると、意外な気持ちになってしまうのだ。この二人がどういった馴れ初めで一緒になったのかは全く知らなかったが、サカズキを懐柔することができる女性がこの世にいるというのは人生で6番目くらいに驚いた事柄である。

「では、私はこれで」
「えっ、もう帰るの」
「あら、私も会議に参加してよろしいのですか?」

思わず引き止めるような台詞をこぼしたクザンに、名前が冗談めかして笑う。そういうわけには勿論いかないので一瞬口を噤んだが「でも、とんぼ返りってのも…」と続けると、サカズキが踵を返す。

「サカズキどこ行くの」
「人数分刷ってくるに決まっちょるじゃろうが」

そう行って妻を置いてスタスタと行ってしまったサカズキに、クザンが「えェ…」と批判の声を漏らしていると、ボルサリーノと名前が顔を見合わせる。

「会議が始まるまでお茶してったらってことみたいだねェ」
「ですねえ」
「…え?今のどこにそんな意味合い含まれてたの?」

当たり前のように二人が頷くので、クザンの混乱は一層増す。分からない、クザンはきっと一生サカズキのそういった余白を読み解くことはできない。

「中でおつるさんたちがお茶してるから、一緒しようかァ〜」
「まあ…申し訳ありません、すぐ帰るつもりでしたのに…」
「こんな暑い中すぐ外に出なくても別にねェ〜、会議だって始まらないから」

ボルサリーノが名前を招き入れるように、会議室の扉を開く。会議室の中にいたつる達の視線が一斉にこちらを向いて、名前は居た堪れなさそうに首を垂れた。
サカズキの忘れ物を誰が届けに来るのかは周知の事実だったようで、特に誰一人名前の登場に驚くことなく迎え入れる。つるが「サカズキはどうしたんだい」と言うので、ボルサリーノが端的に事情を告げると納得した様子で名前の分のお茶を注いだ。つるに差し出されたそれを名前は申し訳なさそうに受け取ってから、空いた席に促され着席する。
先に述べた通り名前は海軍では有名人であり、肝が据わっていて愛想の良いサカズキの妻ということで、将校達からはとても友好的に思われていた。各方面から投げかけられる挨拶に一つずつ律儀に返す名前を横目で眺め、これも妻の仕事のうちか…とクザンは女の苦労を想う。ガープなんかは殊に名前を気に入っているので、豪快に絡みに行ってつるに「およし」と注意されていた。

サカズキが戻ってくるまでにまだ時間がかかるため、場はすっかり名前を巻き込んだ雑談と化し、センゴクはここぞとばかりに思い出話に浸り始める。年寄りの良くないところが出てるぞ、とクザンは思ったが怒られるだけなのは目に見えていたので口を開きはしない。

「いやそれにしてもな、確かに三人の中ならサカズキが一番結婚…というものに近いとは思ったが、やはりいざするとなると驚いたものだ」
「おれら遠回しに貶されてる?」
「かもねェ〜」

センゴクが茶をすすりながらしみじみ呟いた内容に、クザンはわざとらしく首を傾げる。ボルサリーノは頷いてくれたものの、本音はどうでもいいのだろう。返事に気持ちがこもってない。まあ、大抵そうなのだが。
感慨深い、と老人じみた話を繰り返すセンゴクに、名前はうんうんと笑顔を絶やさず相槌を打つ。この外面の良さをサカズキも少しは影響を受ければいいと思うのだ。…いや、やはり愛想がいいサカズキは気持ち悪いかもしれない。クザンはくだらない思考を破棄してから、先ほどふと気になったことを口にした。

「二人の馴れ初めってどんな感じだったの?」
「馴れ初め…ですか」
「うん、全く知らないからさ」

名前は頬に手を当てると、脳内で昔の思い出を広げているのか視線を斜め上に上げる。

「馴れ初めというほど大したお話はありませんが…そうですね、私がサカズキさんをあの手この手で口説いたんですよ」
「はっ!?そうなの!?」

まさかの事実に、クザン含めその場にいた者たちの表情が驚きに変わる。サカズキが熱心に言い寄ったとは思っていなかったが、この名前がサカズキに言い寄ったというのも中々想像できない。良いリアクションで驚いたクザンに、名前はくすくすと笑って目を細めた。

「色々と熱烈な言葉を並べましたけれど、もしあなた様の邪魔になるようなことがあれば自決いたします、って言ったら、折れてくれましたね」
「マジ…?」

衝撃的な口説き文句に、クザンは開いた口が塞がらなかった。そんな、武士じゃないんだから。だが不思議と名前には似合う台詞というか、薙刀を振り回すだけの女というか。
最初に名前を見たときには、サカズキには勿体ないくらい出来た女性だと思っていたが、聞けば聞くほどサカズキの妻だなと納得せざるを得ない人間性に、クザンは世の中とはそういう風にできているのかもしれないと思った。

は〜、と感嘆の声を漏らしつつ、もう少し詳しくと身を乗り出したところでタイミング悪くドアが開く音。ドアを潜り抜けてきた渦中の人物であるサカズキは、向けられる微妙な視線に顔を険しくした。

「…なんじゃ」
「申し訳ありません、旦那様がたいへん魅力的だという話を私がしていたので」
「……余計な話はせんでええ」

一瞬、怒るのではないかと思ったのだ。が、予想に反して静かに妻を窘めたサカズキに、やはりクザンは珍行動を見た気分になってしまうのだった。
サカズキと喧嘩の際には名前を呼べば最強なのでは、と思ったが、名前はクザンが悪い場合は別に味方はしてくれないなと思い直す。浅い付き合いだが、それくらいは分かった。でなければ、サカズキの妻になれるはずがないのだ。

「では、旦那様もお戻りになられたので私はこれで失礼いたします」
「気を付けてお帰り」

つるの見送りの言葉に名前はまた深々と頭を下げて、会議室を後にした。立つ鳥跡を濁さずというように、去った後のその空気の清廉さに、クザンは窮屈にしまっていた足を机の上にどかりと乗せてつい面白くない声が出た。

「ほんと、いい嫁さん貰ったよね」
「やかましい」

サカズキの温度の欠片もないあしらいに、クザンはやっぱりサカズキが既婚者だと未だに心の底から信じられないのだ。


比翼の鳥


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