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TopMain昼下がりの融解
酷く疲れていた。遅延していたせいでいつもより満員電車は窮屈で、道行く人の話し声に頭痛を覚え、教室に着いたら着いたでクラスのお調子者は今日に限ってご機嫌で、馬鹿騒ぎが耳についた。
昼食を共にする友人たちはいたが、一日そんな調子だったためとても楽しく食事ができる状態ではなく。適当な断りを入れてからあまり人の目につかない、渡り廊下近くにあるベンチへと向かった。何かあるといつも訪れるため、精神安定スポットになりつつあるそこに、誰もいないのを見計らってから腰を降ろす。
日陰の中で深呼吸を何度か繰り返して緑の匂いを感じると、幾分か気持ちが和らいでいった。そうして、持ってきていた昼食に手をつけることなく休んでいると、誰かが目の前に立つ気配がした。

「大丈夫?」

男子の声だった。不思議と、その声はざらつくことなく爽やかに私の鼓膜を揺らす。ゆっくりと顔を上げると、馴染みはないけれど見覚えのある男子が、心配そうに私の前に膝をついた。

「浜…」
「具合悪い?」
「…うん、」
「おれ、なんか飲み物とか買ってこようか?」

本来なら会話する気力すら湧かないはずなのに、ましてや男子となんて。でも、何故か受け答えをしていた。浜の問いに「お茶…」とこぼすと、浜は軽やかに「分かった」と頷いて自販機へと走っていった。

「これでよかった?」
「うん、ありがとう」

戻ってきた浜が差し出してくれたお茶を受け取って、礼を述べる。冷たいペットボトルが新鮮な空気を運ぶようで、私はまた深呼吸を繰り返した。浜って、こんなに話しやすい男子だったのか。頭の隅で、驚く自分がいる。
浜とは、去年クラスが一緒だったくらいで目立った関わりは何もない。私からの個人的な印象も特に何もなかった。よく笑い声が教室を響いてたな、という印象ぐらいだ。そんな浜とすんなり話せているのが、不思議で仕方なかった。

浜は私が横に置いていた弁当を一瞥してから、「食べれそうにない?」と優しく問うてくる。私が頷くと、浜は少し思案するように唸ってから、ポケットをまさぐりはじめた。なんとなく、その手元を追って見ていると、目の前に握りこぶしが突き出される。ぱっと開いて見せた手のひらの上には、飴の袋が転がっていた。

「塩分は取っておいたほうがいいから、よかったらどうぞ。塩飴」
「よく持ってたね…」
「熱中症で倒れてから、暑い時期は持ち歩くようにしてて」

と、浜は照れ臭そうに笑みをこぼした。浜の手のひらから指先で飴を受け取ると、飴が袋にくっついている感触がして、何も考えずに「溶けてるね」と感想を漏らす。

「えっ!ごめん!ポッケに入れてたせいだ…」
「…浜、体温高そう」
「そ、そう?いや、そうなんだけどさ」

困ったように頬を掻く浜に、自然と笑みがこぼれた。きっと、彼の性根は一筆書きのようなものなのだろう。解くのに時間がかからなさそうだ。整備されていない配線のようにこんがらがった根性をしている私とは真反対。だからこんなにも、息がしやすいのかもしれない。

「顔色、少し良くなったね」

具合が悪そうな私を心配していたのだから、その言葉に何の他意もないはずだ。でも、なんだか恥ずかしくなって殊更血の巡りが良くなっていくのを感じる。顔が赤くなっているかもしれないから俯いて誤魔化そうとしていると、予鈴が鳴った。

「戻れそう?」
「うん、授業サボるつもりはないから」
「具合が悪かったらサボりではないと思うけど…」

バタバタと教室へ戻る生徒たちが、渡り廊下を駆けていく。予鈴が鳴ってからの急かすような雰囲気に、何故か浜の半袖から覗く男子らしい腕が視界の端にちらつく。このまま教室に戻るのが名残惜しいなんて、抱いたことのないくすぐったい感情を持て余していた。
俗っぽい気持ちを振り払うように立ち上がろうとすると、目の前に差し出される手。思わず浜を見上げるけれど、純粋に私のふらつきを懸念する表情しかそこにはなくて、逆に可笑しくなった。

「ありがとう」

そう言って、浜の手を借りて立ち上がる。躊躇いなく男子に触れたのなんていつぶりだろう、と。体温の高い手を握りながら思った。


昼下がりの融解


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