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TopMain色づく肌を憶えている
店番が見つからないと半泣きの下っ端に、自ら代わると言い出すと周りの部下たちはぎょっとしていた。最初こそ止められたが、何も雑渡だって親切心だけで申し出たわけではないのだ。雑渡は純粋に、祭りに行きたかったのである。
ふよふよと、色とりどりな水風船が子供用プールに浮かぶさまをぼんやりと眺めながら、あちらこちらで聞こえてくる子供の声を聞き流す。わたあめが欲しいとねだる声、りんご飴を落として泣きだしてしまう声。見覚えばかりがある微笑ましい光景たちを横目に、雑渡の意識はどこか遠くへ漂っていた。

子供の多い環境だったと思う。世襲制だったあの組織では、次世代を担う子らが常に周りをうろちょろしていた。雑渡だってそういう時代があった。子供は可能性の塊。いつだかに自分が口にした台詞には、己の周りを鑑みて出たものだった。つられて思い出すのは、騒がしくて何かと問題の渦中にあった学園。個性豊かで将来が楽しみな子達ばかりだったな、と雑渡は小さく笑った。

ともあれ、雑渡はこんな見た目ではあるが子供が好きなのだ。だから、祭りの空気も好きだった。嬉々として水風船欲しさに訪れる子供たちと接しながら、遠い昔のことに思いを馳せていると、からりと下駄が音を立てて雑渡の前で立ち止まった。

「…組頭?」

清廉な声だった。自分に似つかわしくないほどに。その肩書で呼ばれることは随分久しく、今世では初めてのことだったため、どこか信じられない気持ちで顔を上げる。檸檬柄の浴衣を身にまとった彼女はあの頃と何ら変わりなく、砂糖菓子のような甘さが残る、優しい顔立ちをしていた。

「…綺麗だね、浴衣」
「組頭も、甚兵衛がお似合いですよ」
「年甲斐もなくはしゃいじゃうんだよね、知ってるだろうけど」
「はい、知ってます」

彼女は、ぱっと笑った。まだあどけなさが感じられる表情に、彼女が尊奈門と共に雑渡の後ろをちょこまかとついてきていたことが昨日のことのように甦った。
彼女は浴衣の裾を押さえながらしゃがむと、雑渡に百円玉を渡して「1回、お願いします」と歯を見せる。雑渡はそれを受け取りながら、傷一つない華奢な手首に心のどこかで安堵した。

「どれにしましょう」
「ここら辺とか?」
「あ、かわいい!それにします!」

よく彼女に物を与えて機嫌を取っていたので、好みはそれなりに分かっていた。どうやら今でもあまり趣味は変わっていないようで、雑渡が指さした菫色の水風船めがけてこよりを下ろしていく。小さな子でも出来てしまう釣りをしくじるはずもなく、見事に釣り上げた水風船が無邪気な彼女の手元で跳ねる。

「ご両親は元気?」
「はい、立派にサラリーマンと主婦やってますよ」
「そう、それならよかった」

「くみがしらのおよめさんになる!」と、彼女は小さな時からよく言っていた。最初のうちは幼子からのそれを可愛らしく思いつつ、適当に受け答えしていたのだが、背丈が伸びてもそれが変わらなかったため、雑渡の部下である彼女の父親はよく頭を悩ませていたものだ。雑渡が冗談で「お義父さん」と呼んだ日には、顔を真っ青にさせて「勘弁してください!」と悲鳴じみた声をあげていた。
他所と比べて人が多かったとはいえ、それほど大きくもない組織だ。彼女の父親も雑渡にとって大切な部下で、仲間だった。彼女の母親とも顔見知りだけでは終わらせられないぐらいには関わりがあった。どちらも息災でいてくれていることは、何よりである。

「組頭はまたカタギじゃないんですか?」
「…まあね」

自分から望んだというわけではなかったが、いつの間にかその筋に属していた。やはり性根がそうなのかもしれない。雑渡が肯定すると、彼女は特にそれ以上の興味はなさげに「ふうん」と頷いた。

「さっきからずっと気になってたんだけどさ」
「?はい」
「口の端にチョコ、ついてるよ」
「えっ!?」

わたわたと彼女は巾着から鏡を取り出して口元を確認する。顔を赤くしながらティッシュで拭われた彼女の口元は、うっすらと桃色の艶を纏っていて化粧をしているのだと気が付いた。血の気のない彼女の唇に、紅が差されていく様子を過去に雑渡は見ていた。

腹部から体中の血を流したんじゃないかというくらい、真っ青な彼女の体を受け止めたのは雑渡だった。くみがしら、と乾いた声で呼ばれた時、もう何もかもが遅いのだと悟った。忍びになんてなるものではないと、あんなに言い聞かせたのに。それでも雑渡の、皆の役に立ちたいからと両親の心配も押し切ってくの一の道を歩んだ彼女を、引き止めることができなかった罪が雑渡にはある。
死に化粧は彼女の母親が施した。彼女の両親に、雑渡は詫びることも悔やむことも許されない身だった。ただ、組頭として仲間の死を処理しなければいけなかった。閉じられた瞼に、彼女のつやつやと純粋なまなこで見上げられることは永遠にないのだと思うと、鉛を飲みこんだような感触がした。

血色の良い頬に手を当てて「早く言ってくださいよ!」と怒る彼女。その健やかな様子が、ひどく温かくて夢を見ているような気分になる。今世ならば、報いることを許されるだろうか。

「今度こそ、私のお嫁さんになる?」

雑渡の声は祭りの喧騒に溶け込むような声量だったが、彼女にはしかと届いたようで。水風船が、彼女の手元で揺れた。

「いいんですか…?」

笑い飛ばしてくれてよかった。それなのに、彼女があまりにも震えた声で応えるので、雑渡は観念して彼女の瞳を見つめた。彼女が、幼さが抜けて綺麗になってしまった時から、ずっと合っていなかった視線が今初めてかち合ったような気がした。
困ったように笑ってしまった自覚はあった。すると、彼女はみるみる瞳にしずくをいっぱいに溜めて、泣き顔を見られないようにと丸まってしまうので、それがまた小さなころと重なって可笑しくなる。両親と喧嘩して飛び出す彼女は、いつもこんな風にどこかの隅で丸まっていた。それを一番に見つけるのは決まって雑渡だった。
少しして気持ちが落ち着いたのか、目元にハンカチを当てた彼女が、潤んだ瞳で雑渡を見上げる。

「あんまり先に死なないでくださいね」
「…それ、私の台詞だよ」
「私は今、ただの女子大生ですもん」
「女子大生…」

彼女の両親の卒倒ぐらいは覚悟していたが、彼女の年齢のことはすっかり忘れていた。今更ながら背筋が寒くなってきて、雑渡は恐る恐る確かめる。

「私、犯罪にならないよね?」
「去年成人はしました」
「ギリギリ……」

とりあえず胸を撫でおろしたが、やはりそれでも怪しいものがあると思いなおす。しかし、彼女の昔と変わらないきらきらとした表情を見ておいて、やっぱり無しなんて言うつもりも毛頭ないので、雑渡はどうにか解決しようと腹を括った。待つはめになっても別にいい。自分も彼女も、既に500年ほど待っているのだ。今更数年嵩んだところで、大したことではない。

「組頭、」
「うん?」
「大好きです!」

赤らんだ目元をぎゅっと細めて笑う彼女の笑顔には、もうずっと前から形無しだった。


色づく肌を憶えている


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