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TopMain決着がついたとき
最初に、悪戯の標的に定めたのはその高そうな鼻っ柱を折ってみたかったから。きっとそんな私を相手も気に食わなかったのだろう。私の悪戯にまんまと引っ掛かったその男は、その後きっちりしっかりと私に仕返しをしてみせた。そこからはもう報復のドッチボールだった。
そんな調子で年数を重ねれば、周りの同級生や後輩からは完全に引き合わせてはいけない二人と認定され、顔を合わせては吐きあう毒の凄まじさに側室同士の応酬のようだとも言われた。表面上は、昔から変わらず相容れない二人だった。けれど少しずつ、何かが。

別に昼間訪れたところで、悪戯に揶揄るような人物は保健委員にいないだろうから何も問題はないはずだ。しかし、自身のくだらない矜持がどうしてもそれを許さなかった。本当に、くだらないものだと思う。
物音ひとつしない静寂で、天井から保健室に降り立つ。青白い顔で寝ている男は、月明かりに照らされて尚のこと死人のようだった。
とん、と膝をついて傍に座ると、物音に意識が浮上したらしい男の瞼が開かれる。男は緩慢な動きで傍にいる私を一瞥すると、天井に視線を戻して重たそうな瞼を上下にさせた。

「これは…、夢か?」
「…そうね、そういうことにしておいて」

暗闇でも私が誰なのかはばっちり分かったようで、立花はため息をついた。

「夜這いか」
「…べつにとどめを刺そうってんじゃないわ」
「じゃあなんだ」

その先の言葉は出てこなかった。思わずそっぽ向いてしまいむっつりと黙り込んだ私に、立花は意外そうに目を瞬かせる。

「まさか、見舞い…」
「…」
「という体か」
「……ええそうよ」

どうしてもそういう方向に持って行きたいらしい立花に一周回って呆れて、特に否定もせず投げやりに頷いた。まあ普段の行動からそう思われても仕方ないというか、そちらのほうが自然なのである。正直に受け取られてもどうしたらいいか分からない部分はあったので、今はそれでよかった。

減らず口は普段と変わらなくても、やはりその声は少し掠れていて、いつものような凛とした覇気はなりを潜めている。私はそれに、煎じ薬を飲んだ時のような苦みが口内に広がって、ぎゅっと目を瞑ってしまった。
脳裏に甦るのは、木に凭れる立花の脇腹からどす黒い液体が流れていくさま。ぬるりとした感触が、今この瞬間も指先について離れない。

立花は、私と組んでいるときに怪我を負ったのだ。私が潜入をして情報を集める役で、立花がそれを報告する役だった。そして引き上げる際に私の詰めの甘さのせいで追っ手から逃げるはめになり、立花が殿になろうとして傷を負った。その後すぐ先生が駆けつけてくれたため、それ以上の大事にはならなかったが、私の肝は冷えたなんてものではなかった。
あらゆる反省は済ませた後だった。だから、立花に理性的に謝罪を、と思ってここに来たのだが。立花がいつものように私と言葉を交わすので、私は今になって恐ろしくなった。もしかしたら、失っていたかもしれない。

「立花…」
「なんだ」

ぐるりと私に顔を向けて言葉を待つ立花に声が震えた。何と伝えればいいのか、分からない。

「たちばな、わたし…」

無性に、触れたくなった。空を彷徨う私の手を、男の割には綺麗すぎる手が繋ぎとめる。はっとして顔を上げると、いつの間にか立花が身を起こしていた。夜着を身にまとっていても分かる体の厚さと、私の手を包む節ばった指。どれも薄々気づいていた。

いつからか、お互いに分かり始めたのだと思う。一年生の頃から引けを取らない応酬をしてきたが、年数を経るにつれて立花の背は私を追い越していったし、力では敵わなくなっていった。性差が出始めたことに戸惑いはなかった。当たり前のことだと思っていたから。だが行きつく先が違う身なのだと分かると、肩を並べてやり合っていたような気がした立花が、不意に遠く感じることがあった。
それはずっと張り詰めていたようなものが瓦解していくような、そんな心地がした。それでも必死でお互いに食い止めてこの不確かさを続けてきた。多分、変な意地だったと思う。けれど、恐ろしくなってしまったのだからもう、遅かった。

「白状、するわ。……いきて」
「……」
「しぬなんて、ゆるさないわ…」

生きていて一番の泣き言だったと思う。情けなく紡いだ言葉が薬臭い保健室に漂って、落つるところに落ちた気配がした。曖昧な関係に終わりを告げた瞬間だった。

「…そういうのは、告白というんだ」

立花のゆびが、私の目尻を撫でる。後輩に言い聞かせるような柔らかさと、少しの意地悪さもはらんでいる声に喉が熱くなっていく。可愛げのある反応は何一つできなくて、そのまま口を引き結んでいると立花が艶やかに目を細めて、私の首裏を引き寄せた。

「案外、かわいいところもあるらしい」

濡羽色の髪の毛が目の前で揺れるのを、夢かうつつか分からず眺める。鼻先を掠める淡い香のかほりは、ずっと感じたかったものだった。
やがて、唇を重ねたと思う。生き急ぐ鼓動が、苦しくて、心地よい夜だった。


決着がついたとき


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