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「喜八郎、聞いてくれ」

その時点で八割くらいは聞く気がなかった。菓子パンをかじりながら返事ともつかない曖昧な声を返すと、滝夜叉丸は問答無用で応と判断し語り始める。ご丁寧に経緯から自慢話まで混ぜて長々と語ってくれたが、殆ど聞き流して喜八郎は要点だけ脳内で拾い上げた。結局のところ滝夜叉丸の目下の悩みは、

「女性が喜ぶプレゼントとはなんだ…」

ということだった。本当に、心底どうでもいい。滝夜叉丸は幼い頃より真向いの家の年上のお姉さんとやらにずっと憧れ続けており、そしてそのお姉さんが近日誕生日だから贈り物をしたいと。
麗しだか愛しだか知らないが、そのお姉さんとやらの話はもう耳にタコができるほど聞かされていた。喜八郎にとっては至極どうでもいい話題である。手にタコができる方がまだましだ。

「ぼくに訊いてどうにかなるとでも思ったの?」

不機嫌を隠さずに顔を顰めて返せば、滝夜叉丸がぱちくりと目を瞬かせる。

「他に訊いたらよさそうな人、いるでしょ。三木ヱ門とか」
「あいつは絶対色々とうるさいに決まっている」
「タカ丸さんは」
「最近忙しいらしい。わざわざ連絡するのも迷惑だろう」

だからってなんでぼく、と思わずにはいられなかったが、滝夜叉丸が当然のように縋る目を向けてくるものだから、喜八郎はこれ見よがしに大きくため息をつく。

「本人に何が欲しいか訊けば?」
「いや、それはだめだ。例年そうしてきたのだが、すると買い出しやらガーデニングやらの手伝いで済ませられてしまう。だから今年は何も訊かずに物を贈りたいのだ!」

そこまで聞いて、知るかと言いそうになったが、もはや放置しておくのも面倒だった。したらしたで、横でずっとうんうんと唸り続け喜八郎の気分を害すに決まっている。喜八郎は滝夜叉丸が納得し引き下がる、何か適当な返事はないものかとしばし沈思した。

「…そんな感じなら、あんまり高いものじゃない方がいいんじゃない」
「なに?」
「お手伝いとかでいいよ、って言われるなら、高いものあげても断られそう。ぼくら学生だし。だから手の届く範囲のものにしたら?」
「なるほど…」

どうやら上手くいったらしい。喜八郎の助言に滝夜叉丸は頷いて考え込む素振りを見せる。ようやく静かになったと、全く食べ進められていない菓子パンに口を開けたときだった。「でも何を…」とまた不安そうな目で滝夜叉丸がこちらを見上げてくるので、喜八郎はいよいよ堪忍袋の緒が切れた。

「そこから先は自分で考えなよ」

これでもかというほど目周りの筋肉が寄って、鋭く冷たい目を向けたと思う。喜八郎の怒気をはらんだ声に、さすがの滝夜叉丸も正気を取り戻したようで「わ、分かった」とこくこく必死に頷いて見せる。ふん、と鼻を鳴らして昼食を再開すれば、滝夜叉丸がチョコ菓子を机の上に置いた。

「助かった。ありがとう、喜八郎」

滝夜叉丸の礼一つで機嫌が直ってしまっている自分が、なんだか嫌だった。滝夜叉丸は、コンビニ菓子はあまり食べないのだ。

***

「滝ちゃん」

昔からその呼び方をされると、冷や水と熱湯を同時に浴びるような心地がした。じわりと手に汗が滲んで、持っているビニール袋が滑りそうになる。滝夜叉丸は何とか落ち着こうと浅く息を吸って「こんにちは」と努めて平静な声を装った。

「こんにちは。お散歩?」
「いえ、その…」

よく回ると自負している己の口も、彼女の前となるともたつくことの方が多くなる。手元のビニール袋の音がいやに耳について、滝夜叉丸はじっとりと背中に滲んだ汗の感触に焦りながら一歩踏み出した。

「お誕生日、おめでとうございます」
「ええ、やだ滝ちゃん。今年も覚えていてくれたの?」
「もちろんです」

滝夜叉丸は胸を張って手元のビニール袋を差し出した。本当はもっと小綺麗にラッピングして渡したかったが、中身が中身だけに色気の欠片もなくビニール袋になってしまったことを僅かに恥じる。しかし、受け取って中身を見た彼女はふわっと顔を喜びに染めるので、滝夜叉丸はつられて自身の視界にも花が咲いたような錯覚を覚えた。

「お好きだと、言っていたので…」
「うん!とっても綺麗。嬉しいわ、ありがとう」

袋から苗を取り出して、彼女はそれを持ち上げながらくるくると回して本当に嬉しそうにしてくれた。滝夜叉丸は結局、花を贈った。

彼女は昔からガーデニングが趣味で、自宅の庭を花でいっぱいにし、休日はもっぱら庭いじりをしている人だ。そんな様子を昔から見ていたので、喜八郎のアドバイスも加味して変に女性物の何かを贈るより花が一番喜んでくれそうだと判断し、ホームセンターへと走った。
花自体も何を贈るかかなり悩んだのが、彼女が一番好きだと言っていた花にした。勿論、彼女の庭には既に咲いている花だったが、見た覚えのない色を選んで贈ったのである。

「本当に大好きなの、金魚草」
「綺麗な花ですよね」

早速といったように持っていたじょうろを置いて、空いている植木鉢と土を持ってくる彼女。滝夜叉丸はその作業を手伝おうと、腕をまくってから駆け寄った。ぺらぺらとしたビニールポットから苗を持ち上げて植木鉢に移す。彼女の爪は土いじりをするために昔から短く切りそろえられていて、滝夜叉丸はその手が好きだった。
鉢に移して出来た隙間を土で埋めて、よしと呟いた彼女はまだ嬉しそうに目を細めるので、滝夜叉丸は改めてこんなに喜んでくれてよかったと胸を撫でおろした。

「この花ね、滝ちゃんみたいだと思って」
「え、」

一瞬そうだろうか、どこが?と思ったところで、いやいやともう一人の自分が肩を揺さぶってくる。彼女は、この花を大好きだと言っていた。……私に似ている花を?脳内で上手く事柄を結びつけることができなくて、滝夜叉丸はただ腹の底からせり上がる熱にくらりとした。

「滝ちゃんみたいだなーって思ってたらもうかわいく見えて仕方なくて、いつの間にかこんなに増えちゃった」

彼女は悪戯っぽく笑って、並んだ金魚草の花びらを指先であそんだ。白、赤、そして滝夜叉丸が送った赤紫色。ああやっぱり、眩暈がする。むせ返るほどこの庭に充満している花の匂いのせいだろうか。

「ど…どんなところが私に…?」
「え?うーん……秘密?」

何故かちょっぴり困ったような声が滲んだので、滝夜叉丸は首を傾げた。何か言いづらい要素が、と思ったが、追及をする勇気もなく口を噤む。何にしろ、花に似てると言われて、その花が好きだと言われたのだから嬉しい事には変わりない。滝夜叉丸が求める好きとはニュアンスが違っていることも、ちゃんと認識している上でだ。

「そうだ滝ちゃん、時間あるならお茶していかない?お母さんが作った苺のババロアがあるの」
「あ、はい!是非!」

小さな疑問の種も吹っ飛ばすようなお誘いに、滝夜叉丸は条件反射で頷いた。まず手洗おうね、と幼子に言い聞かせるような物言いに気恥ずかしくなりながら、滝夜叉丸は彼女の家の玄関を潜った。特別いい日になったと、その時の滝夜叉丸は確かに心躍っていた。

家に帰って金魚草の花言葉を調べるまでは。


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