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TopMain幼顔の君
――蝉が鳴いている。

薄着で寝転がる畳は、ざらついた感触を直で感じた。肌に粒だった汗は心地の良いものではなかったが、時折吹き込む涼やかな風が爽快にも感じるので、わざわざ拭う気はおきなかった。
身じろぎするのも億劫で、それでも喉が渇いて仕方がないので重たい瞼をゆっくりと開けて体を起こす。中庭が赤く染められていたので、夕刻なのだと分かった。随分、寝ていた気がする。

隣を見ると、佐吉が寝ていた。この暑さのせいか、お世辞にも健やかとは言えない顔をしている。その少し間を空けたところに虎之助と市松も寝っ転がっていて、市松はお腹を出したまま寝ていた。またお腹壊しても知らない、と思いつつ、目線を自分の膝小僧に戻す。

遠くでおねね様の声がした。私たちを呼ぶ声。私はおねね様を待たせてはいけないと、未だ夢の中にいる佐吉の胸を叩いて名を呼ぶ。名を、

「  」

さきち、と私の口はそうかたどるのに声が出ない。それでも私は起こさなきゃって、大声で、

「佐吉!」

声を出せた違和感で瞼が開いた。私が陸に上がった魚のように跳ね起きると、手に当たる人肌。隣を見やれば、眉間に皺を寄せながら寝ている三成がいた。しかめっ面でも、相変わらず綺麗な顔をしていた。

――あ、れ。一瞬物凄く曖昧な感覚になって、落ち着いて深呼吸をする。吸い込んだ空気は、じっとりと熱がこもっていた。どうにもぬるいそれに、新鮮な空気を取り込んだ気分にはなれず額に滲んだ汗に苛立ちが募った。暑い。とにもかくにも暑い。
寝ている間にも随分と水分が奪われたようで、口内がくっついて仕方ない。近くに置いてあった水差しを手に取り揺らしたが、中身は空だったため私はうんざりしながらそれを手に立ち上がった。

眠気がまとわりついたまま重たい足取りで廊下に出る。差し込む日の色に、今が日暮れなのだと分かった。覚醒しきっていない体を引きずるように歩いていると、おや、と慣れ親しんだ声に俯いていた顔をあげる。

「おはようございます」
「おはようございま…す?」
「さすがにこの暑さじゃ寝苦しかったですかね」

と、左近さんは私の機嫌がいいとは言えない顔つきを見て苦笑した。そういえば私なんで三成と寝ていたんだ。きっと順繰りに辿れば思い出すことは難しくなかったが、私がぼんやりした思考で辿りつく前に左近さんが答えを口にした。

「二人とも徹夜続きだったので、昼過ぎに気絶したように寝たんですよ」
「あー…」

思い出した。ここ最近は戦後処理に追われていて、三成が全く寝ないものだから私も一緒に机仕事を手伝っていたのだ。それが昼過ぎにようやくひと段落ついたので、私と左近さんが無理矢理三成を横にして、ついでに私も寝たらいいと左近さんに言われて、そうして私たちはぱったりと意識を失ったのだ。
日暮れまで寝ていたという事実に、今になって寝すぎた頭が痛み出す。こみかみを押さえながら「すみません…」と唸ると、左近さんが首を横に振った。

「もう少し休んでても誰も怒りゃしませんよ」
「いや、三成が怒る…」
「…まあ、殿の目が覚めたらそうですな」

まだ寝ているからいいものの、目が覚めたらまたあの馬鹿は机にかじりつくだろう。全く生真面目も考えものだと、昔から何度吐いたか分からない愚痴を胸の中でこぼす。私は小さくため息をついてから、左近さんに向けて手元の水差しを揺らした。

「とりあえず、三成が目覚めたとき用に水持ってきます」
「ああ、用意しとけばよかったですね」
「そこまでしてくれてたなら、左近さんのことおねね様って呼び間違えるかもしれないです」
「勘弁してください」

左近さんが、本気でやめてくださいねと私に念を押すので、思わずけらけらと笑った。私は左近さんを冗談で困らせるのが結構好きなのである。左近さんも暇な人間ではないので、それ以上引き止めることはせずに私は土間へと向かった。

土間はがらんとしていて人の気配がなく、私が水瓶を開けてぱちゃぱちゃと水を汲む音だけが響く。柄杓から冷たい水を口にすると、寝ぼけまなこがようやくすっきりしていくようだった。濡れた口元を拭って、私はいっぱいになった水差しを手に戻ろうとした。

「名前?」
「わっ」

つるっと私の手から滑り落ちた水差しを、清正が寸前のところで受け止める。暫し、お互いに糸が張り詰めたように呼吸を止めていたが、清正がふーっと息を吐いて体を起こしたところで私も強張っていた肩を下ろした。

「そんなに驚くことでもないだろ」
「清正が悪い」
「そうかよ」

清正は呆れた素振りをするものの、私はそれをガン無視して水差しを受け取る。清正は根っこは頑固だが、こういう些細なことは案外すぐ折れてくれることの方が多い。三成や私という意地っ張りに囲まれて育った癖だろうか、なんて他人事のように思う。

「もう帰ったかと思った」
「秀吉様が一杯やりたいっていうものだからな、付き合っていた」
「もしかして正則も?」
「ああ」

こちらまで聞こえてくるどんちゃん騒ぎではないようだから、清正たちだけの少人数でしっぽりやっているのかもしれない。他の将とならまだしも、秀吉様となんて珍しいことだ。

「別にお前たちを除け者にしてるわけじゃないぞ。さっきだって様子を見に行ったんだ」
「そんなことは思ってないけど…、ん?見に?」
「ああ。二人揃って死んだように眠ってたな」
「乙女の寝顔を見るなんて最低」
「馬鹿か。お前の寝顔なんて見飽きてる」

鼻で笑われてあしらわれたことにむっとしていると、清正は自分で言った後に考え込むように顎に手を当てる。

「とは言ったが…、実際、三成の寝顔を見たのはいつぶりだろうな」

確かに。私はよくそんじょそこらで寝こけるので私の寝顔は見るだろうが、三成が清正の前で寝る機会など今となっては全くと言っていいほどない。仕事中はおろか、宴の席でも泥酔して寝るということが三成は殆どないのだ(大抵は気分を悪くして退席している)。本人がそうしているのだから、当たり前のことである。
私は今になって先ほど見た夢のことを思い出した。そう、先ほどの風景は夢だったのだ。その実感さえもたった今湧いた。長浜城の御殿で疲れ果てて暑さにうなされながら四人で寝っ転がった、遠い昔の思い出。

ふと、清正を見上げると、目線を合わせるのも一苦労なほど頭の位置が高くて、なんだか変な気持ちになった。別にこの高低差も今や慣れたと言えるのに、瞼の裏にまだ背丈が変わらなかった頃の虎之介が焼き付いているのだ。

「なんか…大きくなったね、清正」
「は?」

私の突拍子もない発言に、清正は素っ頓狂な声を上げる。まだ寝ぼけているのか?と私の顔を覗き込もうとする清正の、厚い体にやっぱり変な心地になった。

「私たちが一緒に寝てた時代もあったでしょ。それに比べたら、大きくなったよねってこと」
「そりゃ…、そうだろう」
「そうだよねえ」

急に過ぎ去った年月を感じるようで、私が感慨深く呟くと清正はどこか気まずそうな顔をした。何となくその気持ちを察するところはあったが、特に突っ込まずにいると清正がふいと視線を逸らす。

「三成はまだ寝てるのか」
「うん。けどそろそろ起きるんじゃない。そしてまた机にかじりついてるかも」
「いい加減、体壊すぞ」
「本人に言ってよ」

先ほどの仕返しというわけでもなかったが、私がつれなく返すと清正はますます黙り込んだ。そして「今度な」と言って踵を返すと、土間から出て行った。清正も水を飲みに来たんじゃないのか。開けられることのなかった水瓶を一瞥して私は鼻を鳴らした。今度って、いつになることやら。

私が水差しを持って部屋に戻ると、案外三成はまだ寝ていた。一応物音を立てずに水差しを置いて、そっと傍による。日も落ちて涼しくなってきたおかげが、しかめっ面も解消されて心地よさそうに寝息を立てていた。お得意の歯ぎしりも特にしていない。
清正の発言もよく分かる。何故だか寝顔はあの頃と変わらない気がして、つい昔を思い出す。目鼻立ちは成長しても、無防備さに面影が宿る気がした。小さな時は、自分より女の子のような佐吉の寝顔をまじまじと見て、睫毛を指先で撫でてみたことがあったっけ、と幼心が甦る。

幼心のまま、つ、と指先で睫毛を撫ぜる。些か揺れたそれに、自分より長い気がして少し落ち込んだ。三成の顔はあの頃と変わらず綺麗なままだが、やはり体つきはしっかりと成長している。寝転がる体が逞しいことに、あんなひょろひょろで枝みたいだった三成も育つんだなあと変な感動を覚えた。

「女の子、みたいだったのに」

ぽつりと呟いて、三成の頬にそっと触れると、長い睫毛が持ち上げられて三成と目線がかち合った。

「うわっ!…お……起きてたの…」
「……誰が女の子みたいだ」

目覚めて一番、三成は掠れた声で不機嫌いっぱいな文句を述べた。

「狸寝入り…。いや、狐寝入り?」
「ふざけたことを…」

掠れた声のまま反論する三成が可哀想になって、私は汲んできた水を入れて差し出す。三成は少し驚いた顔をしたが、素直にそれを受け取って水を飲み干した。

「昔の話だよ、昔は女の子みたいだったなーって」
「うるさい」
「今は立派に男(おのこ)だと思いますう」

嫌味たらしくそう言ってみせれば、暫し私を見つめた三成が意地悪く口角を上げた。

「お前は…健康的になったな」
「なにそれ、太ったって言いたいの?」
「解釈は任せる」

体を起こした三成は、適当に身なりを整えると早速といったように机に向かった。そんな三成の背中を小さな仕返しとして小突いてから、私は袖を引く。

「清正たちが秀吉様と吞んでるらしいけど」
「そうか」
「一応誘う気だったみたいだけど、私達が寝てたからって」

私の遠回しな物言いに、三成はぐるりと首を回して冷ややかな目を向けた。

「行かぬ。仕事が残っている」
「はあ、左様ですか」

分かりきっていた返答にため息をついて、私は立ち上がった。私がどこに行くのかは尋ねてこなかったが、そのまま秀吉様たちの元へ足を運ぶとでも思っているのだろう。普段なら、三成が出ないと言うならば私も三成の紙仕事を減らすべく付き合っていた。けれど。
今日はなんだかみんなで話したい気分なのだ。部屋に缶詰めの三成もよくないことだし、私は左近さんと吉継という援軍を引き連れて三成を折らせるべく、軽い足取りで二人を探しに赴いた。


幼顔の君


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