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TopMain不死の口づけ
ぶわりと風が巻き起こって、弾けた様に薄桃色が舞い上がる。視界を覆いつくすほどの歓喜の光景に、レイリーは顔前に手をかざしながらつい声を上げて笑ってしまった。

「随分と、熱烈な歓迎だ」
「だってあなたったら、いつまで経っても来ないんだもの」
「おや、私の何十年は君にとって一瞬ではなかったかな」
「そうよ、だから私がお昼寝をしてる間に死んでしまったんじゃないかって」

レイリーは機嫌がよさそうに梢を揺らす桜の大樹に歩み寄り、ひとときその姿を目に収めてからそうっと手を置く。すると、白い女の手がどこからともなく伸びてきて、レイリーの額を軽く撫でていった。

「老けたわ」
「歳を取ったからな」
「あら、じゃあ私も老けた?」
「いや…、キミはいつまでだっても変わらず綺麗だ」

ふふ、と春風に溶けてしまいそうな柔らかな笑い声。レイリーが顔を上げれば、本当に出会った頃と何一つ変わらず、この世の者とは思えない美しさのままでいる女がレイリーのことを目を細めて見下ろしていた。

「キミが私との再会をこんなにも喜んでくれるとは」
「本当にいい男になったかどうか、私はまだ見届けてないもの」

肩に乗っていた花弁をつまんで揶揄るレイリーに、彼女はつんと顔を背けて唇を尖らせた。これはまた懐かしい話を持ち出すものだ、とレイリーはくつくつ笑いながら思い出に耽る。

彼女に初めて会った日。レイリーが見たことないほど荘厳で美しい桜の樹を見つけて佇んでいると、どこからともなく声がした。笛の音のような涼やかな声。レイリーが驚いてぱちんとひとつ瞬きをすると、彼女は一瞬にして目の前に姿を現した。
その時の驚きようといったらなかっただろう。なんせ、レイリーは数多の美女と出会ってきたという自負があったが、人ならざる者の美しさを目にするのは初めてだったからだ。レイリーが一番最初に発した言葉は、口説き文句だった。これはもう性だから仕方がない。彼女はレイリーの熱を帯びた言葉に呆気に取られた様子で、ややあってから「生意気」と小さく笑ってみせた。
「この私を口説いてくる人間は初めてよ」彼女はおかしくてたまらないといったように吹き出したが、次の瞬間にはもっといい男になってから出直してこいとレイリーをばっさり振ったのである。今となっては本当に懐かしい出会いだ。

「それで、査定のほどはどうだね?」
「そうねえ、一緒にお酒ぐらいは呑んであげる」
「うーむ、及第点といったところか。中々厳しいな」

青臭さは多少なりとも抜けたつもりでいたが、彼女からの評価は厳たるもので肩を竦める。だがレイリーの自己評価も人間的感性であるからして、ウン百年と生きている彼女からしたらまだまだと言われても仕方のない事なのかもしれない。
しかし、一緒に酒くらいは酌み交わしてくれるということなので、レイリーは持ってきていた酒と共に腰を下ろして栓を開けた。一口呷ってから、樹の根にも酒をかけると彼女が足をぱたぱた揺らす。どうやら気に入ってもらえたらしい。

「私を口説いたこと、懐かしい?」

酒のせいか、彼女はほんのり赤らんだ顔でレイリーの顔を覗き込んでくる。

「懐かしいが、キミの変わらない姿を見ているとつい先日のことのようにも思えるな」

過ぎ去った日々が脳裏を過るのに、それでもあの頃の感覚が鮮明に蘇りもするので、不思議なものだ。以前、ここに来たときはロジャーが死んですぐのことだったか。薄桃色の花弁はたくさんの記憶を呼び覚ますもので、少しだけ鼻先がツンとした。

「思えば、節目節目にここに来ていた気がするな」
「じゃあ次は死ぬときかしら」
「そうかもしれない」

レイリーは軽く笑い飛ばしたが、彼女はむっつりと黙り込むと、不意に手を伸ばしてレイリーの頭を撫でた。視線を上げると、その瞳に宿る慈しみに、一瞬呼吸を忘れる。

「あっという間ね、本当に。…あなたもふてぶてしくなったものだわ」

母のような響きに、レイリーはどう反応したらいいか分からなくなった。こんな人生の年輪を重ねた男に対して、少年のような扱いをするのは彼女だけだ。まあ、彼女からしたら本当にレイリーは未だに少年みたいなものなのかもしれないが。

彼女は人が好きなのだろう。度々、そう思うことがある。
島に下りて一番初めに分かったことだったが、ここは人が暮らしていた形跡がある。集落の跡が残っているのだ。しかし、人はどこにも見当たらない。戦火の果てに潰えたのか、はたまた集落ごと移動をしたのか。それがわかるだけの資料はどこにもなく、また真実を知っているであろう彼女は多く語らなかった。
悲しかったのか、憎かったのか、愛していたのか。彼女が抱く気持ちのほんの欠片もレイリーには分からなかったが、それでも彼女は人に対して恋しそうな、愛おしそうな目をする。レイリーはそれが好きだった。

彼女と沢山語らった。麦わらの少年のこと、大きな戦争のこと、新時代のこと。そうしているとやがて夕焼けが海に落ちて、夜が更けた。月明かりに照らされる夜桜も十分に楽しんだところで、レイリーは立ち上がる。

「また来るよ」
「その台詞、何人の女に言ってるのかしら」
「数えたことはないが、キミが唯一無二な存在なことは確かだ」

なんたって人ではない。自身の冗談を胸のうちで一笑していると、今日初めて彼女が樹の上から降りてきた。わざわざ見送ってくれるなんて珍しいと思っていると、おもむろに彼女がレイリーの服の裾を引く。

「あと100年は生きなさいよ。つまらないわ」
「驚いた。キミにそれだけ言ってもらえる男になれたのか」
「…そうね、あなたが死ぬのはすこしだけ惜しいの。……不死にしちゃおうかしら」
「不死に?」
「人ならざる者から不死を授かるのはよくある流れでしょ」

そう言って妖しく微笑んでみせた彼女は、するりとレイリーの頬に手を伸ばす。ふわりと甘い香りがレイリーを包んで、柔らかく唇が重ねられた。触れたのかどうかいまいち分からない心地に不思議になっていると、珠のような瞳と視線が絡む。そのままたっぷりと見つめ合って夢か現か分からないひと時を味わっていると、途端彼女がぱっと離れた。

「まあ、私にそんな力はないんだけど」
「…いや、今ので寿命が100年は延びた」
「あら、そう。それはよかった」

ころころと笑った彼女は笑顔のまま「さっさとお行き」とレイリーを追い払うので、今度はレイリーから彼女の頬に口づけを落として逃げるようにその場を後にした。「なまいき」という彼女のかわいらしい声が聞こえたような気がしたが、あそこでもたもたしていると祟られるかもしれなかったので仕方がない。
船を出して一息ついてから、またひとり酒瓶を呷る。人でなくともやはり美女に惚れられるのは悪くないものだと、レイリーは海風を浴びながらろくでもないことを思った。


不死の口づけ


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