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TopMain同僚のよしみ
新人顔合わせの日、私達は初めて知ったのだ。同じ就職先を選んでいたという事を。
まんまると、どんぐりのような艶を持つ瞳がぱちくりと瞬いて、それから笑顔を向けられた。

「すっごい偶然」
「…そうね」
「その様子だとお互い知らなかったんだ」
「ええ、不覚にも」

それぞれの就職先なんてくの一同士でも知らない。情報共有しないことの方が当たり前だからだ。だから、忍たまの就職先だなんて露ほども知らなかったし、そもそも私とこの男は同学年であれど殆ど面識なんてないのだ。お互いに、学園内で見かけたことがある顔だなという程度だろう。
少々面倒なことになったと思いつつも、この男ならそれほど厄介なことにもならないかと私は小さく息をついた。私になんて無関心だろうし。

「これも何かの縁だし、よろしく!」
「まあ、そんなに関わらないと思うけどね」
「うわあ、つめたい」

尾浜勘右衛門、その男の差し出された手を適当に握り返して、私達は顔合わせを終えた。
一応は同じ忍び衆だったが、私の仕事は奥方様の護衛。外で情報収集をバリバリこなしてくるあちらとでは仕事内容が全く違う。私はどちらかというと側女の業務が殆どで、奥の御殿に引きこもっていれば関わることなんて殆どないと思っていたのだが。…私の読みが甘かったのだろうか。

私は学園時代、それは黙々と学業に励み、人間関係をくの一教室だけで完結させていた人間だった。勿論、授業で忍たまに関わることはあったが、必要最低限のコミュニケーションでいつも終えていたので何かが発展することもなかったのだ。
それがいいと思い、私は意識してそういう振る舞いをしていたので別になんら後悔はない。忍たまが嫌いだったのかと問われると、特にそういうわけでもない。関わる必要を感じていなかっただけで。別に、くの一同士でもそんなに手広く友好を展開させていたわけでもないのだ。

だから、あの男は私の名前など知らないと思っていた。私だって名乗られるまでは下の名前、覚えていなかったし。けれど、尾浜は私が名乗る前に「知ってるよ。名前ちゃん、でしょ」と人懐こい笑みを浮かべて答えてみせたのだった。

「それ一緒に食べない?」

今となっては聞き慣れ始めたその声に、私はこめかみを押さえつつ視線を上げた。

「…一緒に食べないって、私が御前さまにいただいたものなんだけれど」
「うん、だから。食べない?って」
「その図々しさは一体何なの…」

外から帰ってきたばかりなのか、頭巾を解きながらご機嫌な足取りで尾浜は私の横に腰を降ろす。まだいいと言ったわけではないのにも関わらず、隣で包みが解けるのを楽しそうに待っている尾浜に観念して、私は紐に手をかけた。どうせ、甘いものはそんなに得意じゃない。

「わあ、美味しそうなお饅頭」
「私一つでいいから」
「やったー!」

一つ手に取って、残りをそのまま尾浜の膝に置くと嬉しそうに手を叩く。それになんだか満足している自分もいて、本当に愛嬌よく振る舞うのが上手い男だと頭の片隅で感心した。
何故だか分からないが、尾浜は何かと私に話しかけてくるようになった。新しい人間関係に馴染めなくて母校が一緒である私に頼りたいのか、そんなことを一瞬考えたりもしたがこの男に限ってそれはない。実際、忍び衆の皆と和気藹々と話している所を見かけたこともある。
では何故、訊けるものなら訊きたかったが、わざわざ話を切り出すタイミングを窺う労力を使うのも面倒で、結局その疑問はしまいこんだままだった。

「そういえばさ、竹谷って覚えてる?」
「……生物委員会の」
「そう、その竹谷。東の方の結構遠い城に就職したんだけど、今度こっちに来るんだって」
「へえ」

竹谷、竹谷、どんな顔だったかなと記憶を引っ張り出してくるものの、どうにも輪郭がぼやける。はっきりと思い出せたのは、整えられていない太めの眉毛だけだった。人と話しているときにどこを見てたかって結構重要なものだなと少し反省した。
今でも連絡をとっているのか、と思ったが、よく考えてみれば私も同室の娘とは現在も文通中なので別にそう変わったことではない。

「だからみんなで集まろうって話になって」
「ふうん」
「一緒に来る?」
「はあ?」

考えてもいなかった誘いに訝しげに応えてしまい、尾浜がけらけらと笑う。「行かないけど」と強めに返せば、「だよね」と尾浜が頷いた。もしかして冗談の類だったのかと後から思ったが、あれは私が頷けば本当に連れて行ってただろう。一体全体、何故そんな流れになるのだか。

「雷蔵が同じ職場だって話したらびっくりしてたよ」
「まあ、そうだろうね」
「あ、不破雷蔵ね」
「不破は分かる」

図書室にはよく通っていたから、同学年の忍たまの中なら不破が一番面識があると言える。といっても貸し出しカードを提出するときのやり取りぐらいでしかないので、仲が良いというわけでもない。顔くらいは覚えているという程度だ。

「さすがに覚えてるか。図書室の常連だったしね」

お茶に口をつけようとした瞬間、話した覚えのない情報が尾浜の口から飛び出すので思わず手を止めて凝視する。

「何で知ってるの」
「えー、見てたから」

尾浜は何でもなさげにそう言うと、こちらを向いてにこやかに続けた。

「苗字は知らなかったかもしれないけど、おれ苗字のこと知ってたし、見てたよ」
「な、なんで」
「字が綺麗だったから」

字が綺麗だったから…?結びつかない理由と事実に首を傾げると、尾浜が自分の毛先をくるくると弄りながら「貸し出しカードってあったじゃん」と話し始める。

「たまたま図書室行った時苗字の貸し出しカード見て、字綺麗だな〜って。だから名前覚えてたんだ」
「はあ…、」
「まあでも、なんか必要以上に誰にも話しかけてほしくなさそ〜な雰囲気だしてたからさ、さすがのおれも話しかけるのは尻込みしたというか」
「……責められてるわけ?」
「そうじゃないそうじゃない。今一緒になれてラッキーってこと」

そう言って、尾浜は残り一つの饅頭にかじりついた。私はといえば、突然に降ってきた事実を飲み込むのに時間がかかり、お茶を流し込んでも喉に異物が引っ付いた感触が離れなかった。別に、だからどうというわけでもない話だけれど、途端に居心地が悪くなってしまった。
正直そのままのんびりとお茶をする気分でもなくなった私は、懐紙で口元を拭いてから立ち上がる。追って視線を上げた尾浜が不思議そうな顔をするものだから、私は一つも残っていない饅頭の包みを一瞥した。

「饅頭も捌けたんだから、もうお開きでいいでしょ」
「つれないのね」

僅かに唇を尖らせてふざけた口調をしてみせる尾浜に、普段のように適当に返すことができず言葉が詰まる。自身を落ち着けるように深く息をついてから、私は冷静を努めた。

「最近、小頭にも変な勘違いされているんだけど」
「別にいいじゃん」

先ほどまでの話を聞くと、尾浜の何気ない一言が別の意味を持つようにも思えて、軽度の眩暈がした。ちょっと私動揺しすぎかもしれない。改めて深呼吸をしてから「私はよくない」と言い残して、その場を早足で立ち去った。
だってそんな、知らなかった。尾浜が私を知っていたなんて。

***

「最近、勘右衛門の姿が見えないのね」

御前さまは白魚のような手を頬にあてて、可憐に息をついてみせた。尾浜は、奥の御殿によく顔を見せるものだから、女共の間ではすっかり人気者だった。人気者、と言うと尾浜が色男のように聞こえるが、何というか、そうではないのだ。尾浜は女社会への適応力がいやに高い。
いつも甘い菓子と土産話を携えて遊びに来るものだから、女共はわらわらと群がって尾浜と一緒に世間話の花を咲かす。尾浜も同じ温度で盛り上がれるのだから大したものだ。
そんな尾浜を御前さまもすっかり気に入っている様子で、さらには私と尾浜が一緒にいると全てを悟ったようなお顔をしてにこにこと微笑むものだからやりにくい。

「忍務の最中ですから」
「あら、そうなの。さびしいこと」

ねえ、と私に同意を求めるように御前さまが首を傾げるので、私は頭を縦にも横にも振ることができず曖昧な笑みを返す。別にさびしいなどと思ったことはないが…、と尾浜の能天気な顔を思い浮かべると笑みが引きつった。それでも私の沈黙が恥じらいだと思ったのか、御前さまは満足そうに頷いていた。

夕餉を終えた頃、廊下を歩いていると後ろから既視感のある気配を覚えて振り返る。相手は私が振り返っても特に驚くことなく片手を上げた。

「久しぶりー」
「は…!?尾浜!?」

私が珍しく大声をあげたのは勿論理由があった。尾浜の軽い声音とは似つかわしくないほど、右腕に包帯がガチガチに巻かれていたからだ。顔や他の部位にも所々生傷が目立ち、その悲惨な状態に震えながら口を開く。

「う、腕…」
「うん、折れた」
「折れたって…!」
「ちょーっとヘマしちゃったんだよねえ。お恥ずかしい」

わざとらしく頭を掻く尾浜に、言葉も出なくて立ち尽くす。そんな私の様子に、尾浜は慌てて顔を覗き込んできた。

「そ、そんなにびっくりした?骨折れたくらいだから結構平気なんだけど」
「…平気ではないでしょ」
「まあ…平気ではないけど、命に別状はないし」

そう聞くと骨が折れた程度で済んでよかったのかもしれない、と思ったが、骨が折れるくらいなのだから下手したら命を落としていたかもしれない。私は途端に渦巻いた胸中の砂嵐に、僅かに呼吸がしづらくなった。

「というか、そんな大怪我なら寝てなさいよ」
「そうなんだけど、苗字に顔だけ見せようかと」
「え?」
「しばらく顔見せてなかったから、心配してるかもな〜って。まあ実際こんな有様なんだけど」

はは、と乾いた笑いを零して、尾浜は肩を竦める。こうやって話していると、本当に命が助かってよかったと、そんな実感が湧き始めて喉の奥がじわりと熱くなった。

「心配は…したわよ」
「え、そうなんだ」

自分から振っておいたくせに冗談のつもりだったのか、尾浜がぱちりと目を瞬かせる。尾浜は毎回帰ってきたら何故か真っすぐ私の所に来るので、聞いていた期間より随分長く帰ってこないとなれば心配にもなる。針仕事中に手を滑らすくらいには、心配していた。絶対に言わないけれど。
しかし、私の表情から全てを悟ったのか、尾浜は嬉しそうに口元を緩めた。本当に人のことをよく見てる男だ。

「心配してくれたんだ」
「……同僚を心配するのは悪い事なの」
「ぜーんぜん!むしろ嬉しい」

にこーっと笑みを深める尾浜から顔を逸らしても、機嫌のよさがいっぱいに伝わってくるのでどうしようもない。

「同僚、同僚かあ。おれたち」
「今更なに。そうでしょう」
「いや〜、心配してくれる同僚っていいなあって」

色々な意味が含まれているであろうそれに気恥ずかしいような、腹が立つような心地で、思わず折れていない方の肩を殴る。「痛い!」と上がる悲鳴を無視して、私は奥へと歩みを進めた。

尾浜は、学生時代にも大きな怪我をしたことがあるんだろうか。だとしたら、昔はそんなこと知らないで過ごしていたことも、今は怪我一つでこんなにも心が乱されることも、可笑しなものである。
人生って分からないもんだよね!と片想いを成就させて結婚までこぎつけた同室の言葉を、不意に思い出した。


同僚のよしみ


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