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デッドオアアライブ。生死問わず。それは手配書にはお決まりの文言。正直、捕縛よりも命を奪う回数の方がよっぽど多いんじゃないかと思う。
それでも、海賊を討つことに疑問も迷いも感じたことがなかった。だって、海賊は犯罪者なのだから。私の祖母は海賊に殺された。故郷はいくつもの家が焼け消えた。憎いと感じ、悪を粛清したいと、少しでも被害を減らすことができればと私は海軍に入った。
でも、いつからだろう。目の前の海賊も同じ人間だと気が付いたのは。犯罪者はどこか自分たちと人種からして違うような気がして、だから迷いもなく剣を取って。海賊も同じ人間だなんて、そんな当たり前のことを私は忘れていたのだ。これじゃまるで天竜人と変わらないじゃないか。

こと切れて足元に転がった海賊の手からロケットペンダントが落ちた。弾みで開いた中には目の前で動かなくなった男と、妻であろう女性と男の子の写真。この男の家族であるというのは言わずもがな分かった。それを見た瞬間、私はダメになってしまった。

気が付けば戦場に立てない体になっていた。ドクターからカウンセリングを何度も受けたが、一向によくなる兆しはなく、もう私は海軍に必要のない人材なのだと目の前が暗くなった。上官からは異動や除隊をやんわりと勧められた。私を責めることもなく、むしろ私の心身ともに気遣ってくれている上官には申し訳なさでいっぱいだ。
前線に立つことのない部隊や部所に移動して海軍勤務を続けることは可能だが、果たしてそれに意味があるのだろうか。私自身、それを見出すことができず、中庭で一人項垂れて鬱々としたため息をついたときだった。

「あ〜…お嬢ちゃん、大丈夫?」

不意に、低く気だるげに呼びかけられて、知り合いにこんな声の人いたかなと思いつつ顔を上げる。すると私は思ったよりも腰の位置が高いその人にさらに首を傾けるはめになり、その身長の大きさと視界に入った青いシャツに血の気が引いた。次の瞬間には、私は弾かれたように立ち上がって敬礼をしていた。

「く、クザン大将…!?申し訳ありません!!」
「え?何に謝られてんのおれ」
「は…、いやその…体調も悪くないのにこんなところに項垂れていたこと……でしょうか」
「いいんじゃない別に、項垂れたいときもあるでしょうよ」
「クザン大将のお手間を取らせたことも…」
「おれが勝手に声かけただけだから」

そこまで言われて、ようやく慌ただしい思考が冷静さを取り戻し始め、ゆっくり敬礼を解いていく。それを見計らったクザン大将の「落ち着いた?」という声かけに、私はぎこちなく頷いた。

「まァ、座んなさいよ」
「はい…」

先ほどまで腰を落ち着けていた場所にもう一度座ると、クザン大将がよっこいしょと当たり前のように隣に座った。何故、とやっと引いた冷や汗がぶり返し始めて固まっていると、長い脚を組んだクザン大将が私の顔を覗き込んでくる。

「名前一等兵、でしょ」
「え!?そ、そうです」
「おれ、これでも結構人の名前覚えてんのよ」
「そ、そうなのですか…」
「いやウソだけど。さっきそこで聞いた」
「……」

私、もしかして騙されやすいのだろうか。いや、冷静に考えてみれば大将に「嘘つけ〜!」と突っ込めるわけもないので、ある意味私のリアクションは正しかったのではないだろうか。大将の手のひらで転がされ終えた後で自分を正当化してると、クザン大将が悪びれなさそうに謝った。

「実はキミの上官の話を立ち聞きしちゃったのよ、かなり悩んでた様子だったから」
「っ!」
「海賊相手に剣向けれなくなったんだって?」

投げかけられた質問を受け止めると、鉛を飲んだような感触がした。私は俯き、きゅうと締まった喉から必死に声を絞り出す。

「……情けない話です」
「ん−、まァ…海兵としてはナシだわな」

もしかしてこれは辞める前の罰なのだろうか。それだとしたら効果抜群だ。大将に海兵としてナシと面と向かって言われるんて、いっそ海に身を投げたくなる。
心臓が地面に叩きつけられたように痛くて、浅い呼吸のまま唇を噛んで堪えているとクザン大将がぽんぽんと私の肩を軽く叩いた。

「別におれはキミに生きてる価値がないって言ったわけじゃねェんだけど…、そのままだと地面にめり込むよ」

気づかないうちにかなり前のめりに俯いていた私はクザン大将の言葉で、ハッと体を起こす。そして、クザン大将が別に私のことを責めようとしてるわけではないことも、そこでようやく察した。

「ただ、海兵に向いてないってだけの話じゃない。海兵なんて辞めて、別の人生を歩めばいい」
「……別の、人生」

言われてみると考えもしなかったことで、海軍を辞めたらすべてが終わりな気がしていた私の目を覚ますような一言だった。

「おれは、キミが抱いた感情を別に悪いものだとは思わねェよ」
「……」
「大事にしてやんなさいよ、自分のこと。自分が感じたことが一番正しいんだからさ」

もう誰も殺したくない。いつの間にか、私はそんな自分自身の叫びを蔑ろにして、海兵であり続けることが正しくて、辞めることが間違っていると強く思い込んでいたらしい。胸に詰められていた石が一つずつ取り出されるような感覚で、ようやく自分を許せる気になってきた私は目の奥が熱くなった。
それでも大将の前で涙を落とすのはさすがにみっともないと思い、膜を張った目を乾かすように顔を上げれば、クザン大将はどこか遠い目をして地面を見つめていた。

「沢山海賊を殺した海兵が英雄だとは、思わねェしな」
「…クザン大将……」

私の声が届くと、クザン大将の遠くへ行っていた瞳がぱっと私に向く。

「少しは楽になった?」
「…はい、ありがとうございます」
「ま、事務経理も常に人手は足りてねェみたいだし、戦闘部隊でやっていかなくたって別にいいんじゃない」
「はい。よく考えてみようと思います」

しっかりと頷いてから、改めてクザン大将に深く頭を下げる。立ち上がったクザン大将は「おれの秘書の席も空いてるから」冗談めかしてそんなことを言ってから、ひらりと手を振って去っていく。
背中を見送って一息つけば、クザン大将が座っていた横の空気がほんのり冷たくて、大将とお話していたという緊張感が波のように淡く押し寄せてくるような心地がした。

***

除隊の手続きを済ませて、海軍本部へ来るのが最後の日にクザン大将とすれ違えたのは本当に偶然だった。私が思わず足を止めて振り返れば、クザン大将も足を止めてくれていた。

「結婚するんでしょ?おめでと」
「ありがとうございます」

上官から聞いたのだろうか。もう精神も随分と安定した私が晴れやかな顔で結婚のことを伝えた時には、あの鬼のように怖かった上官がわんわんと男泣きをするものだから思わず笑ってしまった。そんな調子だから、あの上官が言いふらしていてもおかしくない。

進退については死ぬほど考えた。クザン大将から貰ったお言葉を大事にして、色々と悩んだ。そんな時、彼からプロポーズをされて、これから開く店を一緒に手伝ってほしいと言われた。たくさん悩んで、そして彼との未来を一番に描きたかった私は、結局除隊を選んだのである。

私への祝いの言葉を述べると、もう踵を返してしまったクザン大将の背中に慌てて呼びかける。

「あの…!クザン大将は甘いものはお好きですか?」
「ん?嫌いじゃねェよ。コーヒーに合えば」

そういえばクザン大将はコーヒーがお好きな方だった。そうとなれば、贈りたいあれやこれやが一瞬にして浮かんで、私はにっこりとクザン大将に笑顔を向けた。

「じゃあ、送りますね。彼のお菓子、凄く美味しいので」
「へェ…楽しみにしておくわ」

緩く笑みを浮かべたクザン大将に、最後の敬礼をしてから廊下を歩いていく。
海兵になれてよかった。もう剣を握ることはないけれども、ここで起きたこと、出会った人、大将からいただいたお言葉。何一つ忘れることはないだろう。
クザン大将へ最初に贈るお菓子は、もう決めていた。


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