a/hanagokoro/novel/1/?index=1
TopMain日々進歩
「えっ!レイジくん彼女いたの?」
「えっ!シガラキさん知らなかったんですか?」

しまった、と思ったが、美雲の口に戸を立てることは御剣には敵わないので、未然に防ぐ方法などなかったのだと諦めた。この人相手にだけは、本当に、あまり言ってほしくなかったのだが今更後悔しても遅い。信楽はわざとらしく手を振りながら御剣の目の前で驚いてみせる。

「知らなかったよ〜、レイジくんそういうこと何も教えてくれないもん」
「あ、でも確かにわたしにも中々教えてくれなかったですよね!」
「…言う義務はないからな」
「あ、ツレな〜い」

御剣は信楽の拗ねたような口ぶりに反応することなくティーカップを持ち上げる。そのまま何か話題を逸らしてしまいたかったが、おしゃべりが得意ではない御剣にそれは至難の業だ。どう切り抜けようか考える間もなく、問い詰める気満々の信楽が「それで、どんな子なの?」とウキウキ御剣を覗き込んだ。

「明るくて元気な人なんですよ!わたし、ちょっと意外でした!」
「え〜!そうなんだ〜」

御剣への問いだったにも関わらず当たり前のように答える美雲に何の突っ込みもなく、信楽が愉しげにうんうんと頷く。当事者が口を閉ざし続けているというのに続けられる話題の、気まずい事この上ない。

「ミツルギさんとっても名前さんのこと大事にしてて、すっごくお似合いなんです!」
「ミクモくん…!」
「そっかあ、名前ちゃんって言うんだね。その子」

名前まで知られてしまってはもう隠しようがない。美雲にはとんでもなく恥ずかしいことまで口にされてしまって、御剣はテーブルにめり込む勢いで項垂れた。信楽からの猛攻撃をどう躱そうか、いっそこの場を去ってしまおうかと考えていると、信楽の「そっかあ」と感じ入るような声がもう一度落とされた。

「あのレイジくんにそんな大事な人がいるだなんて、オジサンちょっと感激しちゃった」
「……」
「そっかそっか、うん。よかったねえ、レイジくん」

にこにこと信楽が柔らかい声音でそう言うので、御剣は何と言ったらいいか分からず口を噤む。御剣にとって幼少の頃より面識がある信楽は親戚のような存在だ。そんな信楽にからかわれることも嫌だったが、このように微笑ましそうにされてしまうとそれもそれで気恥ずかしくて、また視線がテーブルへと向いた。

「今度機会があったら挨拶させてよ。信さんにも報告したいしさ」
「……機会がありましたら」

父の名前まで出されてしまってはいよいよ敵わない。信楽の頼みを突っぱねることもできずに御剣が渋い返事をすれば、信楽がくすくすと笑った。
直後、糸鋸からの電話が入り急遽現場へ向かわなければいけなくなった御剣は、「また遊びに来てね〜」と信楽の見送りを後に御剣法律事務所を美雲と共に飛び出した。

***

差し込みの事件捜査を終えて、御剣がバタバタと待ち合わせ場所に行くと、駆け寄ってきた御剣に気が付いた名前が顔を上げて苦笑いを浮かべた。

「そんなに焦ってこなくてもよかったのに」
「い、いや……さすがに待たせすぎた…申し訳ない…」
「別にそこら辺のカフェで時間潰してたから平気だよ」

息も絶え絶えに謝罪を零せば、名前が気にしないでと笑う。名前の待ち合わせに遅れたりするのは今回が初めてではない。御剣が意図的に遅刻したことは勿論ないが、今日のように仕事の都合で名前を振り回してしまうのは常だった。

「今日もその、待たせてしまったお詫びに…」
「わ、なにこれ。…チョコだ!」

御剣が差し出した紙袋を受け取った名前が中を覗き込んで嬉しそうな声を上げる。店の名前やパッケージを見ただけで何か当ててしまう様子を見る限り、贈り物として間違っていなかったようだ。…これを選んだのは御剣ではないが。

今日名前との約束があることを知っていた美雲は、また遅刻になるであろう御剣に「お詫びの手土産くらい持ってってください!」と珍しく怒って現場近くにあった有名チョコレート屋で買ってきたチョコを押し付けてきたのである。勿論代金は御剣が後から支払った。
おずおずと受け取った際に「わたしが買ってきたとか、そういう余計なことは言わなくていいですからね!」と美雲から念押しされたことを思い出して、御剣は出かけた言葉を飲み込んだ。“余計なこと”を言ってしまいがちである御剣にはぐさりと来る一言だったが、的を射ているのも事実だった。
実際、自分で選んでいないのにも関わらず名前が喜んでいることに罪悪感を覚え、今にも口走りそうになったのであるから、自分も中々学ばないイキモノだ。口にした方が雰囲気を壊すということを、周りの女性陣に叱られながら最近ようやく覚えた。

「美雲ちゃんが選んでくれたのかな?ありがと!食べてみたかったんだー、ここのチョコ」
「……」

結局、言わなくともお見通しである様子に、御剣はどうしたらよかったのだ…と静かに頭を抱えた。名前は別に大して気にしていないため、そんなに悩むことでもなかったのだが。

御剣の息も整ったところで今日食事をする店に向かおうとビルの中へ入ると、館内の案内を一瞥した名前が首を傾げる。

「今日のお店何階だっけ?」
「…6階だ」

御剣が答えると、名前は頷いて何も言わずに階段へと向かう。いつものようにそれにチクチクと罪悪感を抱えながら、御剣は名前と共に階段を登り始めた。

エレベーターが苦手な御剣は可能な限り階段で移動するようにしているが、それに名前を付き合わせてしまうのが毎度酷く申し訳なかった。それほど体力があるわけでもないことも知っている。だから、御剣は別に名前がエレベーターを使おうとも気にしないし、むしろ使ってほしいのだが「上で待ってるのも寂しいし、ダイエットのためにも一緒に登る!」と言って聞かないのだ。
それを御剣があの手この手で説得するのも変であるし、名前の好意…を無駄にするのも気が引けてしまい、結局御剣は階段を登る名前の手を取ることしかできないのであった。

「私ちょっと階段慣れてきたと思わない?」
「ム、確かに…この程度ではバテなくなったようだ」
「へへ、最近は会社行くときも階段使ってるんだー」
「…そうか」

体力ついてきたかも、と嬉しそうに話す名前に御剣は自然と顔が綻んだ。そして意気揚々と階段を上がる名前の姿を見つめながら、ふと、もしかしたら考えすぎなのは自分だけなのかもしれない、と御剣は思った。迷惑をかけているとしか考えていなかったが、名前は御剣が思うより目の前の事柄をネガティブに捉えていないようだ。ひとつ、救われた気がして、御剣は名前の手を少しだけつよく握りなおした。

基本的に御剣は恋人とはそれなりの店に行くものであると価値観が染みついてしまっている。だから最初の頃はそれこそホテルの最上階の高級レストランに行ったのだが、「毎回は勘弁して!」と店で委縮しまくりだった名前に泣きつかれて、最近は中ランク程度の店にとどめている。成歩堂も一緒に大衆居酒屋で飲んだときの名前のほっとした顔といったらなかった。
別に御剣は大衆居酒屋やチェーン店を忌み嫌っているわけではないし、男同士で吞むときは普通に利用もするが、恋人である名前と食事をするならばそれなりの店に行きたいのだ。ゆっくりと落ち着いた雰囲気で話したいという御剣の気持ちが、名前も嫌なわけではないので今も御剣が店を選ぶことを良しとしていた。

店に着き席に通され、ひと心地ついた名前が「そういえば、」と水のグラスを置いて御剣を見つめる。

「今日知り合いの弁護士さんに会いに行くって言ってたよね」
「あ、ああ。よく覚えていたな」
「なるほどくんじゃない知り合いの弁護士って?って気になってたから」
「……」
「え、ごめん。訊いちゃいけないんだったら訊かないけど」
「いや、いけないわけではない、のだが…」

御剣の歯切れの悪さに、名前がぱちくりと目を瞬かせる。今日の信楽との出来事を思い出せば、御剣的に名前に信楽のことを話すのは得策ではなかったが無駄な隠し事をしたくもない。それに、信楽は御剣にとって父の事務所を継いでいて自分の幼少期も知っている大変近しい人物であったため、名前に話した方がよいのではないかという気持ちがあった。

御剣は元々誰に対しても自分のことをベラベラ話すような性格ではなかったが、名前と付き合うようになって少しずつ話すようになった。地震が苦手な理由、成歩堂に救われたこと、父に憧れていたこと。御剣を構成するそれらを知ることができたら嬉しい、と以前名前が言ってくれたからだ。
御剣も、名前が自分のことを話しているのを聞くのが好きだったし、できることならば名前のことを深く知りたい。だから、自分も話すようにしたいと思えるようになったのである。それは御剣にとって初めての感覚であり、大きな進歩だった。

「…私の父が弁護士だったということは以前、話しただろう」
「うん」
「その、父の事務所を継いでいる人なんだ」
「へえ〜。じゃあお父さんの事務所って今でもあるんだね」
「ああ。名前も変わっていない。御剣法律事務所のままだ」
「みつるぎほうりつじむしょ…」

何故かふわふわと復唱した名前に御剣が首を傾げると、名前は「いや、」と微笑を浮かべた。

「なんか不思議だなあって。私にとって、御剣は検事でしかなかったから」
「…そういうものなのかもしれないな」

他の人からすると、そういう印象もあるのかと御剣は小さく笑った。自分があのまま父のような弁護士になれば、名前から今の台詞を聞くこともなかったのかと思うとなんとも不思議な気分だ。

「じゃあ今日は御剣法律事務所に行って、その弁護士さんに会ってたんだ」
「うム。信楽さんという、父の助手をしていた人でな。私も小さい頃はその…遊んでもらったことがある」

正しくは「大変よく遊んでもらっていた」のだが、正直に言うのは気恥ずかしく適当に誤魔化して述べる。それも信楽本人に会えばすぐにバレる嘘かもしれないが。

「え〜会ってみたいなあ。怜侍の小さい頃を知ってる人」
「……それ、なんだが」
「…え?どれ?」

御剣の曖昧な表現に名前が混乱した様子で聞き返してくる。信楽に名前を引き合わせて色々とからかわれるのは心底嫌だったが、名前が会いたいと言っているのに今日のことを隠し立てするのは不器用な御剣にはできそうもない。ぐう、と言葉がつっかえながらも、御剣は苦々しく口を開いた。

「信楽さんも…名前くんにぜひ会ってみたいと…」
「えっ」
「だから、その…名前くんの都合がよいときにでも、私と一緒に…」
「えっ、え!」

慌ただしく驚いてみせた名前は、やがて顔をじわじわと赤くした。面識のない信楽から会ってみたいと言われてそこまで照れることがあろうだろうか、と御剣が不思議に感じていると、名前がふにふにと口元を緩ませながら照れ臭そうに視線を彷徨わせる。

「なんか、照れるね。家族への挨拶じゃないけど、なんか、ね!」

はにかみながら落とされた発言の意味を理解した御剣も、目の前の名前と同じように顔が赤くなるのを感じた。そういう意図は全くなかっただけに余計気恥ずかしい。御剣が震えながら黙り込む様子に、名前が慌てて空気を取り繕うように謝った。

「ごめんごめん、変なこと言った」

あはは、と笑いながら顔を手で扇ぐ名前に、御剣は思った。信楽でなければ名前のことを紹介しようとは思わなかっただろうし、同時に名前でなければ信楽のことを紹介しようとは思わなかった。そして自分がそう感じたということは名前に伝えるべきだとも。余計なことばかり言う御剣は大事なことに限って口にしない。大分その自覚も持ち始めていたため、御剣は意を決して名前の目を見つめた。

「名前くんだから信楽さんに紹介したいと思ったのも…事実だ」

耐えきれずにごほん、と咳ばらいをひとつ付け加えて、名前の様子をそろりと窺う。すると、先ほどとは比べ物にならないくらい熟れたりんごのように顔を赤くしている名前に、御剣は面食らった。

「なんでそんな、急に、そういうこと言うかな…」
「す、すまない…」
「いや、心臓に悪いって話だから、謝られることではないけど…」
「う、うム…」

しばらく二人の間に沈黙が流れて、じくじくと耳まで通った熱に意識を持ってかれる。場の空気を先に変えようとしたのは御剣ではなく名前で、ひとつ息をついた名前は冗談ぽく笑った。

「じゃあ、恥ずかしくないようにおめかししていこうかな」

名前の台詞に、御剣の脳裏にへらへらと笑う信楽の顔が浮かんで、勢いのまま「いや、」と否定の言葉が飛び出る。あの人は基本的に女タラシなのだ。そのことをすっかり忘れていた。

「ほどほどに、してもらえるとありがたい」
「え?」
「あと、信楽さんと会うにあたって一つお願いがあるのだが…」

一番最初の懸念事項。それをはっきり、素直に伝えておく必要があると思った。

「ハグは、断ってくれ」

きょとんとした名前に、信楽の習性を話すと名前はけらけらと声をあげて笑っていた。そして目尻に浮かんだ涙を掬いながら「了解」と頷いたのだった。


日々進歩


prev │ main │ next