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「もう、平気だってば」

店内から出てきたかわいい猫のパーカーを着た女の子。あれは、確かガトネのマスコットだったかな。あんまり着ないブランドだからうろ覚えなんだけど。

「カイエは心配しすぎ」

うざったそうに、けれど棘はそんなにない物言いで、見送りに店先に立つカイエさんを振り返る女の子。カイエさんがスマホを触ったので何か返信しようとしたのだと思うけど、女の子はそれを待たずして「バイ」と話を切り上げて立ち去った。

一連の流れを見た私は色んな驚きで呆けていた。あの様子じゃ多分ただのお客さんじゃない。私より恐らく歳が下であろう女の子の知り合いなんていたんだなあ、と思いながら店への一歩を踏み出せずにいると、先にカイエさんが私に気が付いた。次の瞬間、スマホが震えたのでカイエさんとのトーク画面を開く。

『早かったね!』

この距離では大声を出さないと届かないので、私は留めていた足を動かしてカイエさんに駆け寄った。

「用事が予定よりすぐ終わったんだ。お店から女の子出てきたからちょっとここで待ってたけど」
『ああ、ごめんね。友達が来てたんだ』

ふうん、ともだち。カイエさんの口から友達なんて言葉を聞くのは珍しくて、なんだか意外な気持ちになる。店先で立ち話するのも疲れちゃうので、カイエさんが店内へと私の手を引いた。繋がれた手に、嬉しい気持ちと小骨を飲み込んだようなチクリとした胸の痛みが走った気がした。
中に入ってソファーに腰掛けると、カイエさんは隣に座らずにスマホを触った。

『申し訳ないんだけど、ちょっとだけ仕事してもいい?』
「うん、占いじゃないほうでしょ。適当に待ってるよ」
『ごめんね!』

いつものウサギのスタンプを貼ると、カイエさんはパソコンが置いてあるデスクに向き合った。カイエさんは占いのほかにも、プログラミングとかそういうのにも強いみたいでキーボードを叩いている時間も結構長い。副業なのかな、いや占いの方が副業なのかもしれない。そこら辺私はあんまり把握していなかった。
正確に言うならば私はカイエさんのこと全般把握できていないと、最近よく思うのだ。きっと知らないことの方が多くて、私が見ているカイエさんっていったい何なんだろうって考えてしまうほど。
だって、あんなかわいい女の子が友達にいるっていうのも知らなかったし、他にどんな友達がいるのかも知らない。出身地、出身校、家族構成、住まい、職業、本当に考えてみれば分からないことだらけ。

私はカイエさんの彼女で、カイエさんが大好きで、きっとカイエさんも私のことを好きでいてくれていて、大切にもしてくれている。けれどカイエさんを近くに感じれば感じるほど、まばたきひとつした瞬間にカイエさんが目の前からいなくなってもおかしくないんじゃないかと、そんな不安が不意に腹の底から襲ってくるのだ。
あまりにも感覚的な話であるから、自分だってよく分かっていない。私は何をそんなに不安がっているのだろう。カイエさんはそばにいて、私と手を繋いで、触れてくれて、キスをしてくれるというのに。

カイエさんを好きになればなるほど根拠のない泣きたさばかりが嵩を増していくので、ここ最近の私の情緒不安定さといったらない。私のころころ変わる表情豊かなところが好き、ってカイエさんは言ってくれるけど、さすがにこれはジャンル違いなので一刻も早く払拭してしまいたかった。まあ、その方法が分からないでいるんだけれど。

不意に、ガシャン、と大きな音がして私の体は魚のように跳ねた。ハッとして開いた瞼に、自分がソファーでうたた寝をしてしまっていたことに気が付く。大きな音の正体は、私の手から滑り落ちて床に叩きつけられたスマホだった。バクバクと無駄に大きな音を立てる胸を押さえながら落ちたスマホを拾うと、目の前のデスクにカイエさんの姿がないことに気が付いた。

ぞわりと背筋に冷や水が流れたかのような感触が走って、私は勢いのまま立ち上がった。膝がかすかに震えていて、よく考えもせずに外に出ようと歩き出すと、ドカッと思い切り何かにぶつかる。頭上から驚いたような息遣いが聞こえた。

『何かあった?』

カイエさんだった。どうやら飲み物を取りに行ってただけのようで、私がぶつかって危うくこぼれそうになったところを、ギリギリで耐えた様子。
私は、カイエさんの顔を見て、送られてきたメッセージを見て、ようやく止めていた呼吸を再開した。そうしたら、涙がこぼれてしまった。

『え!本当にどうしたの!?』

カイエさんは持っていた飲み物をデスクに置いてから私の肩を抱く。私はと言えば、訳も分からずボロボロ泣くばかりで、カイエさんの混乱は一層強まったようだった。

「ご、ごめ…ちがうの、ちがくて…」
『うん』
「なんか、カイエさんがいなくなっちゃったかもっておもって、わたし……うぅ〜っ…」

勢いのまま目の前のカイエさんに抱き着くと、カイエさんはスマホをポケットにしまってぎゅうと抱きしめ返してくれた。それがすごく嬉しくて、胸がいっぱいになるほど嬉しくて、苦しくてまた涙がこぼれてしまった。

よしよしと頭を撫でられながら、首筋から漂うカイエさんの香水の匂いに浸ると、段々と気分が落ち着いてくる。こうやって触れたら触れ返してくれるのだから、それだけを信じたい。余計なことは考えたくなかった。
心の隙間を埋めるように、カイエさんの全てを抱き込むかのように回している腕に力を込める。すると、カイエさんの白い指が頬に触れた。

ゆっくりと顔を上げると優しくキスを落とされて、思考がぬるま湯に浸っていくような感覚。幼いころにお母さんがしてくれた、痛いの痛いのとんでいけのおまじないのように、カイエさんのキスは私の涙を止まらせた。
もうかなりベしゃべしゃに泣いたので、ひっく、と横隔膜の痙攣に踊らされながら呼吸を整えていると、カイエさんからのメッセージにスマホが震える。

『僕は君の前から黙っていなくなったりしない。約束するよ』
「…ぜったいに?」
『うん、絶対に』

それでも俯く私に、カイエさんがメッセージを続ける。

『どうしたら信じてくれる?』
「……一緒に、パフェ食べに行ってくれたら」

私が全然食べきれないからいつも結局二人でひとつで十分の、あのパフェ。
すると、カイエさんが任せろ、と逞しい腕を見せつけてくる劇画タッチのスタンプを送ってくるものだから、こんなネタ系のスタンプ持ってたんだと思わず吹き出す。

「ごめんね、面倒くさい彼女で」

自嘲的に笑うと、目尻に残っていた涙を拭い取られて、ヒスイのようなカイエさんの瞳と視線が絡んだ。

『謝らなきゃいけないのは僕の方だ』
「…いいよ、だって好きになっちゃったし」

自分で言っておいてひどく納得した私は、もう一度胸の内で唱えた。そう、好きになっちゃったから仕方ないのだ。あとは、カイエさんが結んでくれた約束さえあれば充分だった。


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