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※オリジンズ世界線

「また凌操殿に叱られたの?」

聞き馴染んだ声に、凌統は顔を上げた。そして予想通りの人物がいたことに諦めのような気持ちが湧いて、凌統はため息をつき正面へと視線を戻す。

「あ、拗ねてる」
「べつに拗ねてなんかいないっての」
「そういう所が拗ねてるんだよ」

名前は凌統の反応などお構いなしに隣に腰かける。

「今度は何で叱られたの?」
「……関係ないだろ」
「お姉さんが聞いてあげるって言ってるんだからありがたーく思って話しなさい。はい、どうぞ」

言い方こそ強引だったが、名前はこのような物言いでないと凌統が素直に話さないことを分かっているのだ。名前が優しさで凌統の様子を見に来てくれたことを分かっているからこそ、凌統は複雑な気持ちだった。まだこんな面倒を見てもらわなきゃいけない自身の未熟さを恥じる気持ちや、それでも名前が構ってくれることに嬉しさを感じてしまっている自分がいるむず痒さ。
結局、名前のこういう世話焼きなところに毎度救われてしまっているのは事実で、凌統は観念して事のあらましを話した。

「ふーん、そっかそっか」

名前はいつも大げさに否定も肯定もせず話を聞いてくれる。だから気がつくと何も隠すことができずにあけすけに話している自分がいた。自身の反省しているところまで一通り話すと、名前がにこにことしながら凌統の頭を撫でてくる。

「そこまで反省できてるんだから充分でしょ。えらいえらい」

柔らかくて小さな名前の手が凌統の頭を撫でる。そのこそばゆさに思わず手を払いのけてしまいたくなったが、女性に対してそんなことができるようには育てられなかったため、凌統はぐっと堪えた。

「いい加減、その子供扱いやめてくんない」
「でも、私の方がお姉さんだし」
「二つ歳が違うくらいで年上ぶらないでほしいっての」

名前のこの振る舞いは昔から変わらない。確かに今より幼かった頃は二つ歳が違えば立派な歳上にしか見えず「名前姉ちゃん」などと呼び慕い、凌統は名前の後ろをついて回っていた。その頃から随分と可愛がられたものだ。
だが、今この歳になっても尚、態度が変わらないのは歯がゆい以外の何物でもない。凌統はもう一人前の男として名前に見られたかった。背丈だってずっと昔に追い越している。凌統の反抗的な物言いに名前はぱっと手を離すと、うんうんと頷いて凌統を見上げた。

「そうだよね、凌統はもう立派な大人だもんね」
「……馬鹿にしてるだろ」
「してないしてない」

馬鹿にはしていないのかもしれないが、凌統を一人前とは名前も思っていないだろう。それは明らかだった。凌統はどうにか見返したくて、ふんと鼻を鳴らす。

「いつかぐうの音も出ないくらい良い男になるから楽しみにしときなよ」
「…それは……本当になりそうだな…」
「え?」

ぶつぶつと呟かれた名前の言葉がよく聞こえず凌統が聞き返すと「なんでもない」と笑顔で誤魔化された。

「良い男って魯粛殿みたいな?」
「…名前って、魯粛殿みたいのが好みなわけ?」
「好みっていうか…、逆に嫌いな人いるの?あんなに落ち着いてて頭脳明晰で格好いい御方そうそういないよ〜!」
「ふーん……」

立ちはだかる壁にしては高すぎやしないだろうか。もうちょっと凌統にも望みのある目標にしてほしいものだ。どうしたら魯粛みたいな男になれるのか、真剣に凌統が頭を悩ませ始めたところで、誰かの足音が凌統たちに近づく。二人して視線を上げると、そこには周瑜がいた。

「名前、父上が探しておられたぞ」
「父上が?今参ります!」

ぱっと立ち上がった名前は凌統の肩を軽く叩いて「後でね」と囁いてから走り去っていく。なんとなくその後姿が見えなくなるまでぼんやりと見つめていると、その場に残っていた周瑜がどこか困ったように笑った。

「魯粛を引き合いに出されては、凌統も苦労するな」
「!?き、聞いてたんですか!?」
「少しな。許せ、凌統」

周瑜にそう言われてしまっては、盗み聞きなんてしないでくださいと詰め寄るわけにもいかず、ただただ恥ずかしい思いをした凌統は発散方法も分からずこめかみを押さえる。こうなったらこれ以上に恥ずかしいこともないかと思い、凌統は投げやりに問うた。

「俺、魯粛殿みたいになれますかね」
「……凌統。人には素質というものがあってだな、」

周瑜に静かに宥められてしまった凌統は、魯粛のような男になることは諦めたのであった。


***


凌操が死んだ。それは凌統にとって今までの日常がひっくり返るかのような衝撃的な出来事だったが、凌統はこの件について誰にも弱音を吐くつもりはなかった。今、家を率いていかなければいけないのは自分だからだ。周りからかけられる慰めの言葉を適当に流して、凌統は何でもないように振舞った。

だが、名前に会った途端、それは崩れてしまった。

「凌統……」

名前は凌統の名を呼ぶと、それ以上は何も言わずに凌統のことを抱きしめた。抱きしめられると、名前の体の小ささがよく分かった。いつの間にこんなに縮んでしまったのかと思うが、分かっている、凌統が成長したのだ。けれど名前に包まれている感触は、凌統が幼いころに鍛錬で怪我をして名前に泣きつき慰められてた時と変わらない気がして、泣いてしまった。

「そばにいるからね。ずっとだよ」

優しい名前の声が耳元で響いて、凌統は抱えていた悲しみも葛藤も怒りも全て名前に吐き出した。名前はいつものように黙って聞いてくれて、そんな名前がこれからも傍にいてくれるという事実が凌統の心に安らぎをもたらした。

その後、凌統は名前の献身もありどうにか立ち直った。甘寧のことはまだ気持ちの整理がつくものではなかったが、父の死自体は納得して前を向けるようになっていた。

「ちょっとは手加減…してくれてもいいんじゃないの……はぁっ…」
「するなと言ったのは凌統だ」
「いや、そうだけどさ……」

凌操が亡くなった後、気を使って様子を見に来てくれた紫鸞にいつも通り稽古をつけてもらうよう頼むと、当たり前に完膚なきまでに負けた。体力の限界を迎えた凌統が地に伏していると「まーたやられてる」といつの間にか鍛錬場に来ていたらしい名前の声が響く。

「何しに来たわけ……」
「え〜、凌統の情けない姿を見に。…というのは嘘で、紫鸞殿呼んできてって周瑜様に頼まれたから」

そう言って名前が紫鸞を見やると、紫鸞が無表情のままこくりと頷いた。

「分かった」
「あと、今度私とも手合わせお願いしますよ紫鸞殿!」
「……それは難しい」
「ええっ、どうして」

紫鸞が物事を断るなど珍しい。基本的には頼まれたことは何でも引き受けてくれる節があるというのに。すると、紫鸞は凌統を一瞥して首を横に振った。

「名前に怪我をさせると凌統の怒りを買う」
「はあ!?いや、別にそんなこと…!」

思わずがばっと身を起こし反論すると、紫鸞が目を瞬かせる。

「違うのか?それならば考えを改めるが…」
「…っいや…、違うっていうか……まあでも名前はまだあんたに挑めるほどの腕前ではないのも確かだと思うし……」
「やはり無理そうだ」

紫鸞は名前に向きなおして再度そう告げた。凌統はそれに言い返す言葉も浮かばずに苦い顔をしていると、名前が笑う。

「いっつも自分がこてんぱんにされてるから、ちょっと心配なんだ?」
「…ま、まあ……そう…だね…」

凌統の歯切れの悪い返事も自身の不甲斐なさから来てるのかと思っているのか、納得したらしい名前。

「もう少し腕を磨いてから紫鸞殿に挑むことにします!」
「楽しみにしている」

紫鸞は表情を柔らかくして頷くと「周瑜が呼んでるんだったな」と名前の言葉を思い出し、踵を返す。そして凌統と名前に一言告げてから、城内へと戻っていった。

「お互いにいつか紫鸞殿に勝てる日が来るといいね」
「……ああ」

紫鸞に勝てるくらい凌統が強くなれば、きっと名前のことも守れるだろう。凌統は早く名前を守れるような一人前の武将になってしまいたかった。


***


一瞬のことだった。それは凌統に選択の余地を許さず、あっという間に目の前で起こった出来事。肉をえぐる嫌な音がして、名前がどさりと膝をつく。

「っ、てめえ!」

名前を襲った兵士に咄嗟に斬りかかったのは凌統ではなく、近くにいた甘寧だった。そして、崩れ落ちた名前を支え起こしたのも甘寧だ。

「おい大丈夫か!」

腕の中の真っ青な顔をした名前に声をかける甘寧。凌統はずっと呆然としていて、それに気が付いた甘寧が声を荒げた。

「ぼさっとすんな!!こいつを天幕まで運べ!」

そう言われて初めて正気を取り戻した凌統は、甘寧の腕から奪うようにして名前を抱きかかえると、がむしゃらに自陣へと引き返した。
自陣へ着くと只事ではない剣幕に、すぐ紫鸞の連れである元化が駆け寄ってくる。名前の傷の具合をさっと見た元化は「あとはこちらで」と言い、凌統に戦場へ戻るように促した。今はただそれに従うしかなかった。
ここで凌統が戦場を抜けてはまずいのだ。自身に課せられた責任を果たすため、凌統は奥歯を砕き割りそうなほど噛みしめながら、戦場へと戻った。


戦が終わって数日後。凌統は戦後処理に慌ただしく動き回っており、名前のことを見舞う余裕などなかった。それに元化から面会の許可も下りていなかった。まだ目を覚ましていないというのだ。

鬱屈としそうなところを理性で留めて、ただ己の仕事を全うとしていると、ある時元化が息を切らして駆け寄ってきた。

「目を覚ましました!」

その言葉に飛んでいくように天幕へと走っていく。どたばたと決して静かではない動きで中へ入ると、体を起こしている名前と目が合った。

「心配かけちゃった。ごめんね、凌統」

普段と変わらない明るい声音で名前は言った。もう一度その声が聞けただけで凌統はせぐり上げる何かがあって、目の奥も熱くなって、何を言ったらいいのか分からなくなった。名前の無事を喜ぶ気持ちも確かにあったが、それより凌統は自身への不甲斐なさと、名前が目の前に飛び出してきた瞬間がずっと脳裏に焼き付いて離れなかった。

「なんで、なんであんなこと……」

出た声は震えてしまって、ぐらぐらと衝動が喉の奥で煮え立つ。

「だって、凌統を守らなきゃってそればっかりで」
「守ってくれなくたっていい!!余計なお世話だ!!」

くすぶっていた衝動が不意をついて出てしまう。自分でも驚くくらい大きな声が出て、寝台の上の名前も面食らっていた。そして、次の瞬間には傷ついたような顔でぱっと目線を逸らされて、凌統はすぐ自分の行いを後悔した。
こんな事が言いたいんじゃない。ただ、自分のせいで名前を危険にさらしたという不甲斐なさでいっぱいで、目の前にいたというのに名前の命を取りこぼしていたかもしれないと思うと夜も眠れなかった。自分への怒りを名前へぶつけてどうするんだ、と一呼吸して少し冷静になった凌統は、寝台に近づいて「悪い」と呟いた。そして目線を合わせるように跪き、名前の手を握った。

「守られるんじゃなくて、俺が名前を守りたいんだ」

ぱちくりと、名前の瞳が瞬く。凌統の真剣な様子にたじろいだ名前は、曖昧に視線を彷徨わせた。

「そ、っか……まあ、女に守られる男より女を守る男になりたいよね〜…」
「違う」

名前が話の本筋を逸らそうとするので、凌統は名前の手をぎゅっと再度強く握った。

「名前のことが好きだから。男として、名前を守りたい」

名前が息を吞む音がする。動揺は見てとれたが、凌統が決して引かない姿勢を見せていると、名前の顔がじわじわと色づいていき、やがて俯いてしまった。

「ぅ…うそでしょ……」
「俺は昔から分かりやすくしてたつもりだけどね。気づいてないのって名前だけなんじゃないの」
「え…?どういう……、ええっ!?」

周りは凌統の気持ちなどとうに気づいていることを暗に告げれば、名前がこのまま倒れてしまいそうなほど混乱し始める。本当に鈍いな、と昔から何度思ったか分からないが、まさか本当にここまで何も気づいていないとは凌統も予想していなかった。どうやらずっと一切の淀みなくかわいい弟分として見られていたらしい。

「すぐに名前を守れるぐらいの男になってみせるから、見てなよ」

凌統がじっと名前を見つめてそう告げると、名前が耳を真っ赤にしたまま唖然とする。今ここでこれ以上詰めるのは、なんだか可哀想になってきたため凌統は立ち上がった。病み上がりでもあることだし、名前も気持ちの整理をつけたいだろう。

「とにかく、名前を失わないで済んでよかった」
「凌統……」
「二度とこんな目には合わせないって、約束する」

自分への誓いでもあった。名前を二度とこんな目に合わせないよう、凌統が強くなるしかないのだ。

「ずっとそばにいてくれるんだろ?」

名前から貰って大切にしていた言葉を凌統が口にすれば、あの時とは違う意味合いを持つことも名前は理解したようで耐えきれないといったように顔を伏せる。その様子が面白く、凌統はここへ来た時とは打って変わり笑顔を浮かべながら外へと出た。

外へ出ると、何故か甘寧がしゃがみ込んでいた。

「何してんだよあんた…」
「あまりの若さにくらってたんだよ……」
「はあ?」

意味の分からないことを言う甘寧に怪訝な顔を浮かべていると、立ち上がった甘寧が「俺も見舞うからな」と入る前に凌統に一言告げてくる。

「…好きにすれば?」

凌統に気を使っているのだとさすがに理解したが、明朗な返事はできずにぶっきらぼうに返してしまう。よくよく思い返せば、甘寧は名前の命の恩人でもあり、あの場で喝を飛ばしてくれなかったら凌統は動けないままだった。

「……甘寧、助かった」
「…惚れた女くらい自分で守れ」
「っ、言われなくても分かってる!」

自分にも珍しく素直に礼が言えたというのに、図星を突かれては反発するしかない。きゃんと吠える凌統を適当に流して、甘寧は天幕の中へと入っていった。

凌統は強くならなければならない。そう再度強く自覚した凌統は、手始めに足腰が立たなくなるほどのしごきを求めて、紫鸞の姿を探すのであった。


雛鳥の試練


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